第74話「鐘楼へ続く道」
地下室を抜ける頃には、外は夕暮れに染まり始めていた。
誰も口数は多くない。
レティシアの腕には、布で包まれた名簿。
セドラスの手には、封印された手紙。
そして全員の頭の中には、同じ言葉が残っていた。
『――鐘が三度鳴る日、失われた名を戻す。』
ヴァレント家に向かう馬車の中。
静寂を破ったのはオスカーだった。
「兄上」
「何だ」
「結局さ」
オスカーは窓の外を眺めながら言う。
「アウレリア家って、悪人じゃなかったんだよな」
セドラスは少し考え、静かに答えた。
「少なくとも、今見つかっている資料はそう語っている」
「でも」
エルマーが続ける。
「誰かは真逆の歴史を残した」
「ああ」
その一言だけで十分だった。
歴史は書き換えられた。
名前だけではない。
真実そのものが消されていたのだ。
馬車が屋敷へ到着する。
その夜。
セドラスの書斎。
机の上には名簿、手紙、地図、そして中央広場の古い見取り図が並べられていた。
レティシアは名簿を静かに開いた。
一枚。
また一枚。
やがて、小さく息を止める。
「気になることがある」
全員が顔を上げた。
「名前を消された人は多い。でも」
紙をめくる。
「全員じゃない」
オスカーが身を乗り出す。
「本当だ」
エルマーも紙を見る。
「数人だけ残されている」
「なぜ?」
ルシアンが首を傾げる。
セドラスは眼鏡を押し上げた。
「消せなかったのではない」
「残した」
「わざと?」
レティシアは一人の名前を指差した。
「この人物だけ、何度も証人になっている」
その名は削られていない。
何枚もの記録に現れる。
「重要人物か」
オスカーが呟く。
「いや」
レティシアは首を振った。
「もっと違う」
「消す必要がなかった人物」
部屋が静まり返る。
セドラスが地図を広げた。
「こちらを見てくれ」
中央広場。
鐘楼。
アウレリア館。
地下室。
赤い線で結ばれている。
「一直線じゃない」
エルマーが言う。
「少しずれてる」
「その通り」
セドラスは机を軽く叩いた。
「この線は地上ではなく地下道を示している」
「地下道?」
ルシアンが驚く。
「王都建設初期の避難路だ」
「現在は存在しないことになっている」
オスカーが笑う。
「また『存在しない』か」
「最近その言葉ばっかり聞いてる気がする」
「存在しないことにされた、だ」
エルマーが訂正する。
「それだ」
オスカーは肩をすくめた。
レティシアは地図を見つめ続けていた。
頭の奥が疼く。
鐘楼。
地下道。
石畳。
何かを知っている。
そんな感覚だけが残る。
その時だった。
コンコン。
静かなノック。
執事が一枚の封筒を運んできた。
「セドラス様」
「中央広場の管理局からです」
全員の視線が集まる。
セドラスは封を切った。
中には短い文だけが書かれていた。
『鐘楼改修工事
明朝より地下点検開始』
沈黙。
オスカーが最初に口を開いた。
「兄上」
「ああ」
セドラスは頷く。
「時間がない」
レティシアは静かに立ち上がった。
「明日」
その瞳には迷いがなかった。
「鐘楼へ行く」
誰も反対しなかった。
真実はもう。
すぐそこまで迫っていた。




