第72話「導かれた先」
地下室は静まり返っていた。
炭の粉で浮かび上がった文字。
『約束』
『未来』
『娘』
誰も言葉を発しない。
レティシアだけが、その文字を見つめ続けていた。
胸の奥が熱い。
懐かしい。
そんなはずはないのに。
「お嬢?」
オスカーが呼ぶ。
返事はない。
「姉上?」
ルシアンも声を掛ける。
それでも反応はなかった。
レティシアは一歩。
また一歩。
まるで誰かに導かれるように歩き始める。
「あれ」
オスカーが首を傾げた。
「兄上」
エルマーが小さく呼ぶ。
「様子がおかしい」
セドラスはレティシアを見つめたまま静かに言う。
「止めるな」
「無理に戻せば、記憶まで途切れる」
全員が振り返る。
「記憶に導かれている」
レティシアは迷いなく壁際まで歩く。
そこには何もない。
ただ古い石壁だけ。
それでも彼女は手を伸ばした。
細い指先が一つの石へ触れる。
カチッ。
乾いた音。
「……え?」
オスカーが固まる。
次の瞬間。
ゴゴゴゴ……
地下室全体が揺れた。
「またか!」
オスカーが叫ぶ。
「まただな」
エルマーも即答する。
床がゆっくり傾き始めた。
「うわっ!」
オスカーが足を滑らせる。
「お前!」
エルマーが腕を掴む。
だが。
そのまま二人まとめて床ごと沈んだ。
「オスカー!」
「エルマー!」
ルシアンが叫ぶ。
ガタン!
大きな音が地下へ響く。
静寂。
数秒後。
「兄上ー!」
下から聞こえてきた。
オスカーだった。
「無事か」
セドラスは落ち着いて聞く。
「無事だけど!」
「着地失敗!」
「お前が重い!」
「俺のせいじゃない!」
すでに言い争いが始まっていた。
ルシアンが吹き出す。
「相変わらずですね……」
セドラスはため息をついた。
「だから無闇に前へ出るなと言った」
「兄上!」
「説教は後!」
オスカーが抗議する。
「いや」
セドラスは即答した。
「今だ」
エルマーが苦笑する。
「心配性」
「お前たちが心配を掛けるからだ」
そのやり取りに。
レティシアだけは反応しなかった。
まだ石壁を見つめている。
瞳が揺れていた。
『こっち』
誰かの声。
幼い少女の声だった。
『早く』
景色が変わる。
明るい廊下。
笑い声。
金色の髪が揺れる。
小さな女の子が振り返った。
『一緒に行こう』
レティシアが思わず手を伸ばす。
「待って!」
声が響いた瞬間。
記憶は途切れる。
レティシアはその場に膝をついた。
「姉上!」
ルシアンが駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
レティシアは苦しそうに息を整える。
「……女の子がいた」
セドラスの表情が変わる。
「何が見えた」
「金色の髪」
その一言で地下室が静まり返る。
「アウレリアか」
セドラスが静かに呟く。
その時だった。
地下からオスカーの声が響く。
「兄上!」
「降りてきて!」
「すごいもの見つけた!」
エルマーも続ける。
「来た方が早い」
普段ほとんど感情を表に出さないエルマーの声が、わずかに弾んでいた。
セドラスはレティシアへ手を差し伸べる。
「行こう」
「次の答えが待っている」
レティシアは小さく頷いた。
一行は双子が落ちた先――
地下のさらに奥へ続く秘密の部屋へ向かった。




