第69話「残された誓い」
地下室には静かな空気が流れていた。
壁一面に刻まれた巨大な紋章。
そして。
『我らは名を失っても』
その続きを奪われた古い言葉。
誰もすぐには口を開かなかった。
最初に動いたのはエルマーだった。
壁の文字を一つひとつ指でなぞる。
「削られた跡が新しい」
「新しい?」
レティシアが聞き返す。
「ああ」
エルマーは頷いた。
「紋章より後だ」
セドラスが目を細める。
「つまり、この地下室が造られた後に誰かが文字だけを消したということか」
「そうなる」
オスカーが壁を軽く叩いた。
鈍い音。
だが、一か所だけ違う。
コン。
乾いた音が返ってきた。
「兄上」
「分かっている」
セドラスもその場所へ歩み寄る。
「空洞だな」
「壊す?」
オスカーが当然のように言う。
「待ちなさい」
即座に止められた。
「まず調べる」
「はい」
返事だけは良かった。
ルシアンが肩を震わせる。
「兄弟って面白いね」
「そうか?」
「毎回この流れだよ」
レティシアも思わず笑った。
セドラスは壁の装飾を観察する。
紋章の縁。
蔦の模様。
その中に、小さく磨耗していない石が一つだけあった。
「これか」
指先で押し込む。
カチッ。
小さな音。
壁の一部がゆっくりと手前へ開いた。
中には細長い石箱が納められていた。
埃一つ積もっていない。
「誰かが管理していた?」
ルシアンが息を呑む。
セドラスは首を横に振った。
「違う」
「密閉されていたんだ」
石箱を慎重に開く。
中に入っていたのは。
一冊の革表紙の手帳。
そして。
封蝋が押された手紙だった。
封蝋には。
巨大な紋章と同じ印。
アウレリア家の紋章。
「残っていた……」
レティシアが小さく呟く。
セドラスは手紙を裏返した。
そこには一行だけ。
『我らの名を知る者へ』
全員が息を止める。
「開けるか」
オスカーが言う。
「ああ」
エルマーも頷く。
「待て」
またセドラスだった。
「ここでは開けない」
双子が同時に振り返る。
「なぜ?」
「この手紙は証拠だ」
静かな声だった。
「湿気で傷めるわけにはいかない」
オスカーは肩をすくめる。
「兄上らしい」
「ああ」
エルマーも苦笑した。
レティシアは石箱の中をもう一度見つめる。
その瞬間。
頭の奥で小さな鐘の音が響いた。
カラン……
知らないはずの景色。
陽射しの差し込む大広間。
金色の髪の少女が笑っている。
『約束よ』
誰かの声。
『名前は消えても』
そこで記憶は途切れた。
レティシアが思わず額を押さえる。
「お嬢!」
オスカーが駆け寄る。
「大丈夫か」
「……うん」
ゆっくり顔を上げる。
鼓動だけが速い。
「思い出しかけた」
その一言に。
地下室の空気が変わる。
セドラスは静かに手紙を抱えた。
「ならば急ごう」
兄の視線が全員を見渡す。
「この家が隠した真実は、もう目の前だ」




