第50話「夜の回収」
夜風が、煙の残り香をゆっくり攫っていく。
東通路側。
騒ぎはようやく収まり始めていた。
騎士団。
監察側。
封鎖線。
濡れた石畳。
白煙の名残が、まだ夜の空気へ薄く漂っている。
「……帰りたい」
レオがぼそりと呟く。
「珍しく素直」
オスカーが笑う。
「今日はずっと帰りたいって言ってますね」
エルマーも静かに返した。
レオはフードを深く被り直した。
面倒だった。
本当に。
今夜は、
全部が嫌な方向へ転がっている。
視線を上げる。
広場中央。
監察側が回収物を整理している。
その中心にいるのは、
当然のようにユリウスだった。
長い黒外套。
静かな横顔。
監察官補佐は、回収された紋章片を確認している。
「……仕事人間」
ぼそり、とレオが言う。
「また言ってる」
オスカーが笑った。
「本人に聞かれますよ」
エルマーが低く返す。
「もう聞かれてる気がする」
レオが嫌そうに視線を逸らした。
その時だった。
ユリウスが、ほんの少しだけ顔を上げる。
視線。
一瞬だけ、レオとぶつかる。
沈黙。
オスカーが吹き出した。
「うわ」
「完全に見られてる」
「黙って」
レオは即座に返した。
でも。
遅かった。
ユリウスは、もうこちらを見ている。
読む目。
逃がさない目。
最悪だった。
「……帰る」
レオが低く言う。
「帰る顔じゃない」
オスカーが即答した。
「ですね」
エルマーも頷く。
レオが双子を見る。
「何」
オスカーが笑う。
「気になってるでしょ」
沈黙。
レオは数秒だけ黙った。
それから。
「……別に」
「はい出た」
「絶対気になってる時のやつ」
「オスカー」
「はいはい」
エルマーが静かに口を開く。
「ダメです」
「まだ何も言ってない」
「言う前に止めてます」
即答だった。
レオは小さく舌打ちした。
本当に。
この双子、
無駄に察しがいい。
「ちょっと確認するだけ」
「ダメです」
「却下」
「帰りましょう」
「なんで今日こんな連携いいの」
「長年の経験値」
オスカーが笑う。
でも。
その目は笑っていなかった。
エルマーも、完全に警戒している。
レオは小さく息を吐いた。
「……あの紋章」
空気が変わる。
双子の視線が静かに動く。
「見覚えある?」
エルマーが低く問う。
レオはすぐに答えなかった。
でも。
その沈黙だけで、双子には十分だった。
「レオ」
オスカーの声から、軽さが少し消える。
「知ってるやつ?」
レオは数秒だけ黙った。
それから。
「……確証はない」
静かな返答。
「でも、見たことある気がする」
夜風が吹く。
広場の灯りが揺れた。
その瞬間。
遠く。
監察側の一団が動く。
ユリウスだ。
監察官補佐は、回収物を持ったまま、
西路地側へ向かっていた。
レオの目が細くなる。
「……あっち」
オスカーが即座に察した。
「行く気だ」
「ダメです」
エルマーが低く返す。
「絶対面倒になります」
「もうなってる」
「更にです」
レオは小さく舌打ちした。
でも。
止まらなかった。
「五分」
「レオ」
「確認だけ」
「その台詞、今日三回目です」
「じゃあ四回目」
オスカーが笑う。
「開き直った」
次の瞬間。
レオが動いた。
黒外套が夜風を裂く。
「うわ」
オスカーが肩を竦める。
「行った」
エルマーは静かに息を吐いた。
「回収しますよ」
「いつもの」
双子も動く。
西路地側。
広場から少し離れた裏通り。
石壁。
古い木箱。
湿った夜気。
そして。
「……ここ」
レオが足を止めた。
地面。
石畳の隙間。
そこに、何かが刻まれている。
古い印。
紋章に似ている。
でも。
少し違う。
「血?」
オスカーが低く言う。
「いや」
エルマーが屈む。
「削ってる」
石へ直接、刃物で刻まれていた。
レオの空気が変わる。
嫌な感覚だった。
まるで。
“ここに残した”。
そんな印。
その時。
背後。
カツ——。
靴音。
三人の空気が一瞬で変わる。
オスカーが振り返る。
エルマーの手が剣へ伸びる。
レオの目が細くなる。
暗い路地の奥。
影。
誰かいる。
細身。
黒外套。
でも。
監察側じゃない。
騎士でもない。
その影が、静かに笑った。
「——見つけた」
空気が止まる。
ぞわり、とした。
レオの目が鋭くなる。
知らない声。
でも。
“こっちを知っている”声だった。




