第38話「北側」
夜の空気が、張っていた。
屋敷の裏門。
人目を避けるように、三つの影が並ぶ。
黒髪。
細身の外套。
短くまとめた動きやすい装備。
そこにいるのは、公爵令嬢ではない。
レオだった。
「……毎回思うけど」
オスカーが腕を組む。
「変わるの早いよね」
「慣れてるのよ」
レオは短く返した。
声も違う。
立ち方も違う。
呼吸も違う。
さっきまで、
クッションに埋まって「面倒」と言っていた人間と同じには見えない。
でも。
オスカーは知っている。
根っこは同じだ。
だからこそ、怖い。
「北側まで最短で十五分」
エルマーが地図を確認しながら言う。
「騎士団はまだ西通り対応中。監察側も中央寄りです」
「つまり」
レオが目を細める。
「今なら抜けられる」
「ええ」
静かな返答。
三人の歩幅が揃う。
屋敷の裏路地。
石畳。
夜風。
遠くの喧騒。
そして時折、
北側から聞こえる不穏な音。
「爆発、さっきので二回目だよね」
オスカーが軽く言った。
「派手すぎる」
「見せたいってこと」
レオは前を見る。
「混乱を」
「それとも、“誰が動くか”を?」
エルマーの声は静かだった。
レオは少しだけ笑う。
「ユリウスみたいなこと言うじゃない」
「影響されたんじゃないですか」
「最悪」
オスカーが吹き出す。
でも。
笑った次の瞬間には、
もう周囲を見ている。
屋根。
足音。
人気。
逃走経路。
双子の目が、
完全に騎士のそれへ変わっている。
「……いる」
エルマーが低く言った。
三人の足が止まる。
路地奥。
木箱の影。
黒布を被った男が一人。
こちらに気づいていない。
「見張り?」
オスカーが小声で言う。
「たぶん」
レオは静かに視線を細めた。
男の立ち位置が妙だった。
戦う位置ではない。
逃がす位置。
「北側へ流してる」
レオが低く言う。
「やっぱり、逃走路作ってる」
その時。
男が顔を上げた。
視線が合う。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、
空気が止まる。
「っ——!」
男が走る。
「オスカー!」
「了解!」
軽い返事。
次の瞬間には、
オスカーが地を蹴っていた。
速い。
まるで遊んでいるみたいな動き。
でも、
男との距離が一気に縮まる。
「うわ、逃げ足速っ」
笑っている声。
だが、目は笑っていない。
男が路地を曲がる。
その瞬間。
エルマーが短く何かを投げた。
——煙玉。
白煙が弾ける。
「なっ——!?」
男の視界が塞がれる。
その隙に、
オスカーが背後へ回った。
「はい、捕まえた」
軽い声。
でも、
男の腕は完全に極められている。
逃げられない。
レオが近づく。
男は舌打ちした。
「騎士団か」
「違う」
レオが短く返す。
男が顔を上げる。
その目が、
一瞬だけ揺れた。
黒髪。
細身。
若い男。
でも。
妙に目立つ。
「……誰だ、お前」
レオは答えない。
代わりに周囲を見る。
「一人じゃない」
男の肩が揺れた。
図星。
オスカーが笑う。
「分かりやす〜」
「黙れ」
「怖」
エルマーは静かに周囲を警戒している。
その時だった。
遠く。
北側の空に、
赤い火の粉が上がった。
レオの目が細くなる。
「陽動じゃない」
「本命が動いた?」
オスカーの声から軽さが消える。
男が、そこで笑った。
嫌な笑い方だった。
「もう遅い」
空気が変わる。
レオが男を見る。
「何が」
男は答えない。
ただ、
北側を見て笑っている。
その顔を見た瞬間。
レオの背筋に、
嫌な感覚が走った。
——違う。
物資じゃない。
人流でもない。
もっと別。
「エルマー」
低い声。
エルマーは即座に反応した。
「ええ」
「これ、“誰か”を誘導してる」
沈黙。
オスカーの目から、
完全に笑みが消えた。
「……誰を?」
レオは答えない。
でも。
頭の中には、
もう一つの顔が浮かんでいた。
——ユリウス。
あの監察官は、
どこまで読んでいる。




