第29話「選択の代償」
王都、夜。
静かだ。
だが——
「……増えてる」
レオが、小さく呟いた。
中央区の件から、一日。
小さな騒動。
細かいトラブル。
確実に——増えている。
アルヴェール公爵家。
レティシアの部屋。
机の上には、地図。
印。
報告書。
そして——
完全にやる気を失ったレティシアが、ソファに沈んでいた。
「もう無理」
「脳が帰宅した」
「身体はまだ帰宅途中ですよ、お嬢」
エルマーが淡々と返す。
「あと外套半分しか脱げてない」
オスカーが笑った。
レティシアは、ぐったりしたまま片手を上げる。
「脱がせて」
「嫌です」
即答。
「騎士ってそういう仕事じゃないの?」
「違います」
「じゃあ何する仕事なの」
「お嬢を面倒ごとから遠ざける仕事です」
「それは失敗してるわね」
「非常に遺憾です」
オスカーが吹き出した。
「お嬢、今日ちょっと元気ない?」
「元気だよ」
「魂が半分死んでるだけ」
「それ元気じゃないんだよなあ」
その時。
「姉様」
静かな声。
ルシアンだった。
扉の近くに立っている。
「南東区」
淡々と告げる。
「今、動いています」
空気が変わる。
「中央区の次?」
オスカーが地図を見る。
「露骨すぎない?」
「意図的です」
エルマーが低く言う。
「“追わせている”」
沈黙。
レティシアは、ゆっくり身体を起こした。
「……分かってる」
視線は地図。
(来てる)
完全に。
「で?」
オスカーが聞く。
「どうするの」
同じ問い。
だが——意味が違う。
一瞬。
沈黙。
(全部は無理)
理解している。
「……南東区」
短く。
「行くんだ」
「当然です」
エルマーが頷く。
ルシアンは、黙っている。
「ルー」
レティシアが言う。
「何かある?」
一拍。
「……あります」
静かに。
「これは」
視線が、上がる。
「“選ばせている”のではありません」
一拍。
「“選ばせた結果を使っている”」
沈黙。
「……つまり?」
「どこを選んでも」
ルシアンが言う。
「どこかが空きます」
完全な沈黙。
レティシアは、再びソファに沈んだ。
「……無理」
「情報量が多い」
「いつものことです」
エルマーが即答する。
「今日は多い」
「脳が処理を拒否してる」
「お嬢、それ昨日も言ってた」
「昨日の私はまだ元気だった」
「どこが?」
「座ってた」
オスカーが吹き出す。
「今は?」
「沈んでる」
「違い分かんないんだよなあ」
その時。
「姉様」
ルシアンが静かに呼ぶ。
「話を戻してください」
「はい……」
完全に怒られた顔で、
レティシアがゆっくり身体を起こした。
そして。
小さく、息を吐いた。
「……それでも行く」
短く。
ルシアンの目が、わずかに細くなる。
「理由は」
レティシアは、顔を上げる。
「“全部は無理”だから」
一拍。
「だから、選ぶ」
沈黙。
ルシアンは、小さく息を吐いた。
「……了解しました」
南東区。
夜。
空気が、重い。
すでに——遅い。
「遅かったね」
オスカーが呟く。
倒れた荷。
荒らされた跡。
血。
「……やられた」
レオが、低く言う。
「負傷者が出ています」
エルマーの声が低くなる。
人が、怯えている。
「……くそ」
オスカーが珍しく、笑っていない。
その時。
「——やはり、こちらを選びましたか」
止まる。
前方。
影。
セドリック。
「結果が出ています」
淡々と。
「あなたが中央区を選んだ」
一拍。
「だから、南東区が空いた」
沈黙。
「……分かってる」
レオが言う。
「では」
セドリックが一歩、近づく。
「どうしますか」
視線が刺さる。
「次も、選びますか」
空気が、張り詰める。
「……」
レオは、答えない。
その代わり——
一歩、前に出た。
「助ける」
短く。
「目の前を」
沈黙。
セドリックの目が、わずかに細くなる。
「非効率です」
「知ってる」
「ですが」
一拍。
「それでは、追いつかない」
「知ってる」
沈黙。
レオは、笑った。
「だから何」
一歩。
「全部は無理でも」
視線が、まっすぐ刺さる。
「見捨てる理由にはならない」
完全な沈黙。
セドリックは、数秒黙った。
「……やはり」
小さく呟く。
「感情で動く」
「悪い?」
レオが返す。
「長くは持たない」
「じゃあ試せば?」
一拍。
「どっちが先に折れるか」
空気が、張り詰める。
セドリックは——
わずかに笑った。
「いいでしょう」
一歩、引く。
「では」
「壊してみせましょう」
静かに。
「あなたの“選択”を」
人を助ける。
傷を見て。
声を聞いて。
レオは、動き続ける。
だが。
(……足りない)
理解している。
(追いつかない)
それでも——
止まらない。
その夜。
レティシアの選択は。
誰かを救い。
そして——
誰かを、救えなかった。
それが、“代償”。
面倒ごとは、減らない。
むしろ——増える。
それでも。
レティシアは、選ぶ。
止まらないために。




