第17話「静かな王子は、逃げ道を塞がない」
双子が表に立った翌日。
レティシアは、珍しく静かだった。
庭園のガゼボの椅子に座り、街の方を見ている。
いつもなら、見えたものにすぐ反応する。
面倒くさいとぼやきながら、それでも動く。
けれど今日は——動かない。
「……変な感じ」
ぽつりと呟いた。
自分が動かなくても、誰かが動く。
自分が飛び込まなくても、誰かが守る。
それは、安心のはずだった。
なのに。
「落ち着かない」
正直な本音だった。
「レティー」
声がした。
振り返ると、庭園の入り口にカイゼル・ヴァルシュタインが立っていた。
淡い金髪。
穏やかな笑み。
けれど、そこにいるだけで場の空気が少し整う。
「……カイ」
「少し、話しても?」
「断ったら?」
「出直すよ」
即答だった。
レティシアは眉をひそめる。
「そこは押してこないのね」
「押すべき時ではないからね」
「……そういうところ、厄介」
「よく言われる」
二人は庭園を歩いた。
遠くでは、エルマーとオスカーが控えている。
近すぎず、遠すぎず。
守れる距離。
聞こえない距離。
「昨日の件、聞いたよ」
カイゼルが静かに言った。
「耳が早いわね」
「王族だからね」
「便利な言葉」
「不便な立場でもある」
レティシアは少しだけ笑った。
「それで?」
「君が珍しく、動かなかったと聞いた」
「……」
「エルマーとオスカーが前に出た」
「そうね」
「見て、どう思った?」
問われて、すぐには答えられなかった。
「……強いと思った」
「うん」
「分かってたけど。知ってたけど」
レティシアは視線を落とす。
「ちゃんと見たのは、初めてだったかもしれない」
カイゼルは、黙って聞いていた。
「私が行かなくても、何とかなることはある」
「あるね」
「それは分かる」
「うん」
「でも」
小さく息を吐く。
「見てるだけって、落ち着かない」
「あとなんかくやしい」
カイゼルは、ほんの少しだけ微笑んだ。
「君らしい」
「褒めてないでしょ」
「褒めているよ」
「絶対違う」
「本当だ」
穏やかな声。
「レティーは昔からそうだった」
「困っている人を見ると、先に身体が動く」
「……昔の話でしょ」
「今も同じだ」
「みんなそれ言う」
「みんなが見ているということだよ」
その言葉に、レティシアは黙った。
「動くなとは言わない」
カイゼルが言った。
静かに。
「君にそれを言っても、きっと意味がない」
「分かってるなら助かるわ」
「でも」
一拍。
「全部、君が背負う必要はない」
レティシアの足が止まる。
「……何それ」
「そのままの意味だ」
カイゼルも足を止める。
「誰かを助けたいなら、助ければいい」
「でも?」
「誰が動くべきかは、選んでいい」
風が、庭園の花を揺らした。
「双子に任せることは、逃げではない」
カイゼルの声は穏やかだった。
「君が動かないことで、助かるものもある」
「……私らしくない」
「そうかな」
「そうよ」
「なら、こう言い換えよう」
カイゼルは少しだけ目を細めた。
「君は、もっと面倒ごとを減らす方法を覚えていい」
レティシアは、一瞬だけ固まった。
そして。
「……それは」
「うん」
「少し、魅力的ね」
「だろう?」
カイゼルが笑う。
「君は自由でいていい」
その声は、ひどく優しかった。
「ただし、自由でいるためには、味方を使うべきだ」
「使うって」
「頼る、と言い換えてもいい」
「言い方」
「君にはこちらの方が伝わると思って」
「……否定できないのが腹立つ」
カイゼルは、レティシアの少し後ろに立った。
隣ではない。
前でもない。
後ろ。
「好きにすればいい」
静かな声。
「その代わり、背中は守る」
「背中は任せてくれていい」
レティシアは、振り返る。
カイゼルは穏やかに笑っている。
けれど、その目は本気だった。
「……そういうこと言うから、厄介なのよ」
「厄介でいい」
「よくない」
「君にとって必要なら、それでいい」
レティシアは、深くため息をついた。
「……面倒くさい」
「知っている」
「でも」
「うん」
「少しだけ、考える」
「次からは、自分で選ぶ」
カイゼルの笑みが、ほんの少し柔らかくなる。
「それで十分だ」
遠くで見ていたオスカーが、小さく呟く。
「……あれ、強いな」
エルマーも無言で見ていた。
「真正面から止めない」
「うん」
「否定しない」
「うん」
「でも、逃げ道はちゃんと作ってる」
「……だから厄介だ」
オスカーが苦笑する。
「カイゼル殿下、やっぱ本命感あるね」
「言うな」
「顔に出てるよ」
「出てない」
「出てる」
庭園の中央。
レティシアは、もう一度街の方を見た。
動きたい。
でも、今は動かない。
それは我慢ではなく。
選択。
そう思えば、少しだけ息がしやすかった。
面倒ごとは嫌いだ。
でも、放っておけない。
なら。
これからは、考える。
誰が動くべきか。
いつ動くべきか。
そして——自分が動くべき瞬間は、どこなのか。
レティシア・フォン・アルヴェールは、初めて知った。
動かないこともまた、戦い方のひとつなのだと。




