第15話「守る側の本気」
屋敷に戻ってから、空気はずっと重かった。
誰も、すぐには口を開かなかった。
レティシアは椅子に座り、外套を外したまま黙っている。
帽子は机の上。黒髪の鬘も、まだ片付けられていない。
さっきまでの熱が、少しずつ冷えていく。
楽しかった。
リオンと走って、跳んで、ユリウスを振り切った。
息は合っていた。悔しいくらいに。
けれど。
(……やりすぎた)
自覚は、あった。
「お嬢」
低い声。
エルマーだった。
その一言だけで、部屋の空気が変わる。
「……なに」
レティシアは、あえて軽く返した。
「説明を」
短い。
それだけ。
「見ちゃったから」
「それは知っています」
「だから助けた」
「それも知っています」
「じゃあいいでしょ」
「よくありません」
はっきりと否定された。
レティシアは眉を寄せる。
「……何が問題なの」
「全部です」
迷いのない声だった。
「今の状況を理解していますか」
「してるわよ」
「していません」
「してるって言ってるでしょ」
「なら、なぜ動いた」
言葉が、鋭く落ちる。
レティシアは黙った。
答えられない。
分かっていたからだ。
今は動くべきではないと。
レオとして出れば、ユリウスに追われると。
アレクシスに見抜かれる隙を増やすと。
全部、分かっていた。
「分かっていてやったんですね」
「……」
「それが一番問題です」
エルマーは一歩近づいた。
「お嬢。これは、あなた一人の問題ではありません」
「……分かってる」
「分かっていません」
即答だった。
「あなたの正体が露見した場合、アルヴェール家、王家、騎士団、外交関係——すべてに影響が出ます」
「やめて」
「事実です」
レティシアは唇を噛んだ。
正論だった。
正論だから、余計に腹が立つ。
「……それでも」
顔を上げる。
「放っておけなかった」
静かな声だった。
言い訳ではない。
本心だった。
エルマーは、少しだけ目を閉じる。
「……そうでしょうね」
分かっている。
それがレティシアだ。
面倒くさいとぼやきながら、結局一番先に走る。
嫌だと言いながら、困っている誰かを見捨てない。
昔から、何一つ変わっていない。
「だからこそです」
エルマーは目を開けた。
「止めています」
その言葉は、怒りではなく。
覚悟だった。
「……何よ、それ」
「あなたを守るためです」
はっきりと、言い切った。
「守る?」
レティシアは笑った。
「私、守られる側じゃないわよ」
「知っています」
即答。
「ですが、今回は違う」
「どう違うのよ」
「今までは、あなたが無茶をしても、こちらが回収できました」
エルマーの声が低くなる。
「ですが今回は、回収しきれない」
沈黙。
その意味は、レティシアにも分かっていた。
ユリウスは近づいている。
アレクシスは見抜き始めている。
リオンは踏み込んでくる。
カイゼルは、止めずに見ている。
もう、今までとは違う。
「だから」
エルマーは言った。
「これ以上、勝手に動くことを許しません」
「……は?」
レティシアが顔を上げる。
「許さないって、何それ。命令?」
「違います」
一拍。
「お願いです」
静かだった。
けれど、その声は重かった。
怒られる方が、楽だった。
命令される方が、反発できた。
けれど。
“守るためのお願い”は、一番断りにくい。
「……俺も同じ」
今度は、オスカーが口を開いた。
いつもより、少しだけ静かな声だった。
「珍しいでしょ。俺がエルマー側につくの」
「……ほんとに珍しいわね」
「でしょ」
オスカーは苦笑する。
「でもさ、今回はさすがに危ない」
軽くない声。
「お嬢がやめないのは知ってる。止まらないのも知ってる。でも、こっちも笑って見てられる段階じゃなくなった」
レティシアは、視線を落とした。
「……分かってる」
「分かってる顔じゃない」
「してるわよ」
「してない」
オスカーは、少しだけ笑った。
「行きたい顔してる」
「……」
図星だった。
「完全にやめろとは言わない」
エルマーが言う。
「言っても無駄ですから」
「そこは少し言い方あるでしょ」
「事実です」
「本当に容赦ないわね」
「あなた相手に遠慮していたら止まりません」
それも、正しい。
「だから、条件をつけます」
「条件?」
「今後、単独行動は禁止」
「無理」
「即答しないでください」
「だって無理だもの」
「無理でも禁止です」
エルマーの声が少しだけ強くなる。
「街へ出る時は、必ず俺かオスカーを同行させること。レオとして動く場合も、事前に共有すること。現場で判断が必要な時は、独断で突っ込まないこと」
「多い」
「最低限です」
「最低限の量じゃない」
「本来なら外出禁止です」
「それは無理」
「知っています」
オスカーが肩をすくめた。
「まあ、落としどころとしては妥当じゃない?」
「あなたまで」
「俺も守る側だからね」
その声が、いつもより少しだけ優しくて。
レティシアは、返す言葉を失った。
「……完全にやめるのは無理」
小さく言う。
「でも」
一拍置く。
「……勝手に突っ込むのは、減らす」
「減らす、ですか」
「そこが限界」
エルマーはじっと見ていた。
完全な納得ではない。
けれど、それが彼女の限界だと分かっている。
「……分かりました」
短く、それだけ。
オスカーが小さく笑う。
「ほんと、止まらないよね、お嬢」
「知ってるでしょ」
「知ってる」
だからこそ、守る。
無茶をすると分かっていても。
飛び込むと分かっていても。
その先に、自分たちが立つ。
レティシアは顔を上げた。
「……ごめん」
小さな声だった。
エルマーとオスカーが、同時に目を瞬かせる。
「何よ」
「いや」
「珍しいなって」
「うるさい」
レティシアは顔を背けた。
「分かってるわよ。私が面倒なのは」
「今さらですね」
「今さらだね」
双子が同時に言う。
「腹立つ」
けれど、少しだけ空気が緩んだ。
その日。
初めて。
“守る側”が、本気で動き出した。
そしてレティシアもまた、初めて知った。
守られることは、自由を奪われることではない。
信じられているからこそ、止められることもあるのだと。




