第108話「枕元の新入り」
二日目。
レティシアは、まだ動かなかった。
昨日と違うところがあるとすれば、寝返りを一度打ったことくらいだった。
「お嬢、朝だぞ」
エルマーの声に、毛布がわずかに動く。
「知ってる」
「起きろ」
「知ってる」
「返事になってない」
「聞こえてるから大丈夫」
枕元で白が開いた。
『だめそう』
「白、余計なこと覚えたね」
『ひもの』
「それも忘れて」
『いや』
レティシアは毛布を頭まで引き上げた。
オスカーが窓辺で笑う。
「完全に言うこと聞かなくなってきたな」
「誰のせい」
「俺じゃないぞ」
「エルマー?」
「俺でもない」
その時、扉が叩かれた。
三回。
昨日と同じだった。
「姉上。今日は入ってもいいでしょう?」
ルシアンである。
レティシアは無言。
オスカーが扉へ近づいた。
「お嬢、どうする?」
「留守」
「今日も?」
「あと四日間は留守」
扉の向こうから、低い声が返ってきた。
「部屋にいることは分かっています」
「じゃあ寝てる」
「会話していますよね?」
「寝言」
オスカーが口元を押さえた。
エルマーは慣れた顔で朝食を並べている。
「ルシアン様、面会禁止は継続中です」
「分かりました」
意外にも、すぐ返事が来た。
足音が遠ざかる。
レティシアが毛布から目だけ出した。
「諦めた?」
「まさか」
エルマーが即答する。
数分後。
再び扉が叩かれた。
「姉上。白を外へ出してください」
レティシアが瞬きをする。
「なんで?」
「昨日からずっと姉上の部屋にいるでしょう」
枕元の白が開く。
『いる』
「返事しなくていいよ」
『ここにいる』
扉の向こうが静かになった。
オスカーが嫌な予感を察したように白を見る。
「白、それ以上は……」
『ここがいい』
沈黙。
「…………」
ルシアンの気配が、扉越しでも分かるほど重くなった。
「姉上」
「何」
「なぜ、その本には姉上の枕元が許されているのですか」
「本だから」
「昨日も聞きました」
「じゃあ同じ答え」
「僕は弟です」
「知ってる」
「十七年近く弟です」
「それも知ってる」
白の頁がぱらりとめくれた。
『わたしは、白』
「自己紹介をするな」
ルシアンの声が低くなる。
「知っています」
『きのうから、ここ』
「日数で張り合うつもりですか?」
『うん』
「白!」
レティシアがようやく毛布から顔を出した。
オスカーは壁を向いて肩を震わせている。
エルマーすら眉間を押さえた。
「お前、絶対楽しんでるだろ」
『たのしい』
「成長が早すぎる」
ルシアンが扉の向こうで大きく息を吸った。
「姉上。その本、一度書庫へ移しませんか」
途端に白の頁が大きく揺れた。
『いや』
「適切な保存場所があります」
『いや』
「貴重な書物なら、なおさら――」
『ここ』
白の頁が勢いよく閉じた。
レティシアはしばらく白を見た。
「白」
本が少し開く。
「書庫、嫌なの?」
数秒たって。
小さな文字が浮かんだ。
『ひとり、いや』
オスカーから笑みが消えた。
エルマーも手を止める。
扉の向こうのルシアンも、何も言わなかった。
レティシアは枕元の白へ手を伸ばした。
昨日、水差しまで届かなかった腕が、今日は白の表紙には届く。
指先で、白い表紙を軽く叩いた。
「じゃあ、ここにいれば」
頁が開く。
『いい?』
「好きにして」
『ここ、わたしの?』
レティシアは少し考えた。
「居場所って意味なら、そう」
白の頁がしばらく真っ白になった。
やがて、一文字ずつゆっくりと浮かぶ。
『いばしょ』
「そう」
『わたしの、いばしょ』
レティシアは目を閉じた。
「うん」
扉の向こうから、ルシアンの声がした。
「……四日後、僕も入りますからね」
「予約制じゃないよ」
「予約します」
オスカーがとうとう吹き出した。
「白、強敵認定されたな」
エルマーは朝食の盆を持ち上げる。
「その前に、お嬢を起こせ」
「無理」
即答だった。
白の頁に文字が浮かぶ。
『ひもの』
レティシアは目を開けないまま、枕元を軽く叩いた。
「書庫に移すよ」
『ごめんなさい』
謝るのも、ずいぶん早くなった。




