第106話「帰るまでは」
「狭いな」
オスカーが、上へ続く通路を見上げた。
大人一人が通れる程度の幅しかない。
石段ですらなく、削られた岩に不揃いの足場が続いている。
リオンが壁へ手をつく。
「でも、風が来てる」
確かに、地下の重い空気とは違う。
わずかに冷たい風。
土と草の匂い。
外は近い。
「先に行く」
エルマーが通路へ入ろうとすると、カイゼルが止めた。
「私が行こう」
「兄上、さっきまで捕まってたんだけど」
「歩ける」
「そういう問題?」
リオンが呆れたように笑う。
その横で、レオは白を抱えたまま壁へ寄りかかっていた。
オスカーが顔を覗き込む。
「お嬢?」
「聞こえてる」
「目、半分閉じてるぞ」
「開いてる」
「それで大丈夫か?」
「十分」
エルマーがため息をついた。
「十分じゃない」
「地上まで持てばいいでしょ」
「持たせる側のことも考えろ」
レオは答えなかった。
答えるのも面倒になってきたらしい。
結局、先頭をカイゼル。
その後ろをリオン。
中央にレオ。
レオのすぐ後ろにエルマー。
最後尾をオスカーが進むことになった。
「お嬢、足元」
「見えてる」
「段差」
「分かってる」
「右」
「分かって――」
レオの足が滑った。
エルマーの腕が即座に腰を支える。
「……る」
「説得力がないな」
後ろからオスカーが笑う。
「エルマー、回収一回目」
「数えるな」
「地上まで何回あるかな」
「本人の前で賭けないで」
レオは白を抱え直した。
白の頁に文字が浮かぶ。
『だいじょうぶ?』
「白まで聞かないで」
『だめそう』
「学習が早いね」
リオンが前から振り返り、笑いを噛み殺した。
「随分仲良くなったね」
「不本意」
『うそ』
「白?」
返事の代わりに、頁の端がぱたぱたと揺れた。
さらに上る。
途中で何度か地下全体が揺れたが、追ってくる黒い指はもう現れなかった。
やがて先頭のカイゼルが立ち止まる。
「光だ」
岩の隙間から、細い光が差し込んでいた。
オスカーが後ろから顔を上げる。
「本当に外?」
『そと』
白が即答する。
カイゼルとリオンが石を押し退けると、冷たい夜気が一気に流れ込んだ。
月明かり。
草。
遠くの街灯り。
レオはしばらく黙ってそれを見た。
「……外」
「さっき白も言っただろ」
「実物を見るまでは信用しない」
「地下に何回騙されたんだよ」
全員が地上へ出た頃には、夜はかなり深くなっていた。
出口は、最初に地下へ入った場所から少し離れた古い庭園の端だった。
待機していた騎士たちがこちらへ駆け寄ってくる。
カイゼルが短く状況を説明し、地下への立ち入りを禁じるよう命じた。
その横で、レオは岩へ腰を下ろそうとした。
エルマーが止める。
「座るな」
「なんで」
「立てなくなる」
「もう立ちたくない」
「屋敷まで我慢しろ」
「横暴」
オスカーが肩を貸しながら笑った。
「お嬢、それ逆だぞ」
馬車へ乗り込むと同時に、レオは座席の背へ沈んだ。
白は膝の上。
銀の鍵は握ったまま。
リオンが向かいの席から覗き込む。
「寝た?」
「寝てない」
「返事遅かったけど」
「省エネ」
カイゼルが静かにレオを見る。
「屋敷に戻ったら、医師を」
「いらない」
返事だけは速かった。
「寝れば治る」
エルマーとオスカーが同時に頷く。
「それは本当です」
カイゼルが二人を見る。
「どのくらい?」
双子が顔を見合わせた。
オスカーが指を折る。
「今回だと……」
「三日」
エルマーが答える。
レオが目を閉じたまま訂正した。
「五日」
「増やすな」
「必要」
屋敷へ着いた。
玄関の扉が開く。
レオは自分の足で馬車を降り、廊下を歩き、自室までたどり着いた。
扉を開ける。
ベッドが見えた。
その瞬間だった。
銀の鍵を机へ置き、
白を枕元へ置き、
上着だけ脱ぐ。
そして。
ぼすん。
レティシアは男装のまま、ベッドへ顔から倒れ込んだ。
オスカーが扉にもたれる。
「止まったな」
エルマーは毛布を引き上げた。
「ああ」
枕元で白の頁が開く。
『だいじょうぶ?』
毛布の中から、かすかな声がした。
「五日後に聞いて」
エルマーとオスカーは顔を見合わせる。
「五日か」
「今回は長いな」
その夜。
アルヴェール家では、レティシアへの面会が五日間、全面禁止になった。




