第104話「崩れる道の先」
「走るよ」
リオンの声と同時に、エルマーが崩れた壁の向こうへ踏み出した。
オスカーが床板を押さえていた剣を引き抜く。
途端に、何本もの黒い腕が隙間から伸びた。
「うわ、増えた」
「感想は後だ」
エルマーがレオの背を押す。
「お嬢、前へ」
「私、自分で走れるけど」
「帰るまで、だろ」
返す言葉がなく、レオは白を抱えたまま通路へ入った。
その後ろをリオンが続き、最後尾へ回ったオスカーが迫る黒い腕を剣で払い落とす。
切られた腕は床へ落ちる前に、黒い煙となって消えた。
だが、消えた場所から低い声が漏れる。
『失わせる』
レオの声だった。
「趣味が悪い」
「お嬢の声で言われると、余計にな」
オスカーが振り返らずに答える。
通路が大きく揺れた。
右側の壁が沈み、天井から石が落ちる。
エルマーはレオの腕を引き、落下地点から外した。
ほぼ同時に、リオンが足元の石を蹴り上げる。
石は天井から落ちてきた別の破片へ当たり、その軌道をわずかに逸らした。
「右は塞がる。左へ」
「分かるの?」
レオが尋ねる。
「崩れる音が違う」
リオンは軽く答えたが、笑ってはいなかった。
左の通路へ曲がると、そこには三つの扉が並んでいた。
どれも同じ形。
どれも同じ古い取っ手。
そして、すべての扉に白い花の紋が刻まれている。
レオは足を止めかけた。
「また選ばせる気?」
「選ばない」
エルマーが中央の扉を蹴り開けた。
扉の向こうは、壁だった。
「外れ」
オスカーが左の扉を開ける。
その先には、今通ってきたはずの書斎があった。
床下から黒い腕が伸び、こちらへ這い寄ってくる。
「大外れ」
オスカーが扉を閉め、剣の柄で取っ手を壊した。
残るのは右の扉だけ。
リオンが取っ手へ手を伸ばすより早く、白の頁に文字が浮かんだ。
『あぶない』
「この先が?」
『あのひとがいる』
リオンの手が止まる。
「あの人?」
『きんいろ』
「兄上だ」
リオンが扉を開けた。
扉の向こうには、下へ続く長い石段があった。
暗い。
底は見えない。
だが、はるか下から金属がぶつかる音が響いてくる。
一度。
二度。
続けて三度。
エルマーが耳を澄ませた。
「剣の音だな」
「兄上の剣は、もう少し重い音がする」
リオンは石段の壁へ手を触れた。
指先に、細い傷が残っている。
縦に一本。
その下に斜めの線が二本。
「王家の近衛が使う印だ。兄上が残した」
「下にいるってこと?」
「少なくとも、ここを通った」
その瞬間、後ろの通路から扉を叩く音がした。
どん。
オスカーが壊した取っ手が跳ねる。
どん。
扉の隙間から黒い指が滑り込んだ。
「急いだ方がいいな」
オスカーが剣を構える。
レオは石段を見下ろした。
「下へ行ったら、さらに地下だけど」
「兄上を置いて帰るわけにはいかないからね」
リオンは迷わず一段目へ足を置く。
エルマーもレオの横へ立った。
「お嬢、白を渡せ」
「嫌がると思う」
『いや』
文字が出るのが早かった。
オスカーが笑う。
「本にも即答されてるぞ」
「じゃあ、せめて鍵を渡せ」
レオは右手の銀の鍵を見た。
「これは私が持つ」
「どうして」
「また何かあった時、使うのは私でしょ」
エルマーは数秒、レオを見つめた。
説得しても無駄だと判断したらしい。
代わりに、レオの腰へ手を回した。
「何?」
「足を滑らせた時の回収準備だ」
「まだ滑らせてない」
「滑らせてからじゃ遅い」
前ではリオンが石段を確認し、後ろではオスカーが扉を押さえている。
昔からそうだった。
自分が前へ出ようとすると、二人は止めるのではなく、落ちても戻せる位置へ先に回る。
レオは小さく息を吐いた。
「過保護」
「今さらだな」
扉が大きく軋んだ。
黒い指が一本、二本と隙間を広げていく。
「お嬢、そろそろ本気で行け!」
オスカーの声に、レオたちは石段を駆け下りた。
背後で扉が破れる。
無数の黒い指が石段を掻く音が、すぐ後ろまで迫ってくる。
だが、その音に混じって、下から別の声が響いた。
「リオン!」
低く、よく通る声。
リオンが顔を上げる。
暗闇の先で、金色の光が一瞬だけ揺れた。
「兄上!」
返事の代わりに、激しい金属音が響く。
その直後、白の頁に大きな文字が浮かんだ。
『とじこめられてる』
レオは階段を下りながら、白を強く抱え直した。
「助ける相手が増えたんだけど」
エルマーが隣で剣を抜く。
「いつものことだ」
後ろから追いついたオスカーも笑った。
「殿下を助けて、お嬢を回収すれば終わりだな」
「じゃあ、回収はよろしく」
レオは暗闇の先を睨み、銀の鍵を握り直した。




