第103話「壁の向こうの回収役」
「やっぱり、そう言うと思った」
リオンの笑みを横目に、レオは書斎を見回した。
本棚。
机。
偽物の窓。
そして、通路を塞いだ石壁。
壁に浮かぶ文字は、変わらず淡い光を放っている。
『失われた名を一つ、返せ』
「返せって言われても、名前が分からないんだけど」
レオは白を左腕に抱えたまま、肖像画を裏返した。
削られた部分へ銀の鍵を近づける。
だが、鍵は反応しない。
「これは違うみたいだね」
リオンは本棚の前へ立ち、並んだ本の背を指先で押していく。
一冊目。
二冊目。
三冊目。
どれも動かない。
「仕掛けを作った奴を探すって言ったけど、どう探す?」
「こういう部屋には、大体見られたくない場所があるでしょ」
レオは机の下へ屈み込み、床へ手をついた。
石ではない。
薄い木板が一枚だけ混ざっている。
指の関節で叩く。
こつ。
こつ。
こん。
三か所目だけ、音が軽い。
「ここ」
銀の鍵を隙間へ差し込もうとした瞬間、白の頁に文字が浮かんだ。
『だめ』
レオの手が止まる。
「罠?」
『ちがう』
「じゃあ何?」
『下に、いる』
レオとリオンが同時に床を見る。
その直後だった。
どん、と部屋の左壁が揺れた。
本棚から埃が落ちる。
レオは白を抱え直し、リオンは剣を抜いた。
二度目の衝撃。
どん!
壁に一本の亀裂が走る。
「新しい仕掛け?」
「動き方が雑すぎるね」
三度目。
石壁の一部が内側へ膨らみ、細かな石片が床へ落ちた。
そして、壁の向こうから声が響く。
「お嬢ー! そこにいるなら返事しろ!」
レオは目を瞬いた。
「オスカー?」
「返事をする前に離れて」
リオンがレオの肩を引き、壁から三歩下がらせる。
次の瞬間、石壁が内側へ崩れた。
白い粉塵の中から、剣を肩へ担いだオスカーが姿を現す。
その後ろからエルマーが穴を広げ、周囲を確認しながら入ってきた。
「いた!」
オスカーの顔が明るくなる。
「いた、じゃない」
エルマーはレオの姿を上から下まで確認した。
服の汚れ。
握った銀の鍵。
腕に抱えた白い本。
顔色。
「お嬢、あとどのくらい動ける?」
「帰るまで」
「帰った瞬間に止まる答えだな」
オスカーが白を覗き込む。
「それ、何?」
白の頁に素早く文字が浮かんだ。
『白』
「名乗った」
「懐かれてるな」
「助けただけ」
「お嬢、それを世間ではたらしって言うんだぞ」
「本までたらしたみたいに言わないで」
「実際、懐かれてるだろ」
その間にも、エルマーは壊した壁の向こうを振り返っていた。
「話は歩きながら聞く。地下全体が動き始めてる」
「動く?」
リオンが穴の奥を見る。
崩れた通路の天井から、細かな砂が落ちている。
遠くでは石が擦れる音が続いていた。
「部屋の配置が変わってる」
エルマーが短く答える。
「俺たちも同じ通路を三回通った。カイゼル殿下とは途中ではぐれた」
リオンの表情から笑みが消える。
「兄上は?」
「別ルートを探してる。オスカーが壁の向こうから、お嬢の声を聞いた」
「声?」
レオは眉を寄せる。
「それ、さっき別の部屋で言った言葉だけど」
オスカーが床を指した。
「でも、下から聞こえたんだよ。『失わせる』って」
レオは白を見る。
白の頁には、何も浮かばない。
その時、床下から低い音が響いた。
ごり、と木板が持ち上がる。
机が横へ滑った。
床の一部が開き、暗い穴から黒い手袋をはめた腕が伸びる。
レオを狙った手を、オスカーの剣が弾いた。
同時にエルマーがレオの前へ入り、リオンが開いた床板を蹴り戻す。
三人の動きに迷いはなかった。
「今のが、作った奴?」
レオが白を抱えたまま身を乗り出す。
エルマーが肩越しに睨んだ。
「近づくな」
「でも」
「帰り道を確保してからだ」
オスカーが床板を剣先で押さえ、笑う。
「お嬢、今回は俺たちが来たんだから、少しくらい回収されろよ」
床下から、何本もの黒い指が隙間を押し上げる。
部屋全体が大きく揺れた。
リオンは崩れた壁の向こうへ視線を走らせる。
「話し合いは移動しながらにしよう。ここ、あと一分も持たないよ」
レオは白を抱え直し、深いため息をついた。
「休憩どころか、帰るだけでも大仕事じゃない」




