第102話「白い花の部屋」
白い花を刻んだ扉は、通路の突き当たりに立っていた。
扉の中央には、五枚の花弁を持つ花が一輪。
花芯に当たる部分だけが、鍵穴のように深く窪んでいる。
レオは白を左腕に抱え、右手で銀の鍵を取り出した。
「また鍵?」
「待って」
リオンが扉の前へ手を伸ばす。
触れる直前で止め、花弁の一枚を指先で示した。
白い石の表面に、細い亀裂が走っている。
「鍵穴に見えるけど、差し込めば花弁ごと割れる」
レオは鍵を止めた。
「先に言ったね」
「君が今度こそ学習するかと思って」
「学習してるから止めたでしょ」
「俺が言った後にね」
レオは返事の代わりに、白を持ち上げた。
「白。この扉、知ってる?」
開いた頁に黒い点が浮かぶ。
『しってる』
「どうやって開ける?」
『花』
「それは見れば分かる」
頁が一度閉じかけ、すぐに開いた。
『白い花』
リオンが通路の壁を見回した。
石壁には名前しか刻まれていない。
花らしいものは、扉の彫刻だけだった。
レオは扉へ顔を近づける。
五枚の花弁。
そのうち一枚だけ、縁に黒い汚れがついていた。
指先で擦ると、黒い粉が落ちる。
下から現れたのは、小さな文字だった。
『名を呼べ』
「また名前?」
レオの眉間に皺が寄る。
「本当に名前が好きな仕掛けだね」
「嫌いになりそう」
白の頁が震えた。
『名前、ない』
レオは白い本へ視線を落とした。
「今はあるでしょ」
『白』
「そう。だから呼べばいい」
『だれが』
「自分で」
白の頁から文字が消えた。
しばらく何も浮かばない。
リオンは口を挟まず、扉と床を交互に見ている。
レオが白へ答えを急がせないことを分かっている顔だった。
やがて、白の頁に一文字ずつ黒い線が走る。
『わたしは、白』
扉の花芯が青白く光った。
五枚の花弁が外側へ開き、石の中へ沈んでいく。
重い音を立てて扉が左右へ分かれた。
その先にあったのは、地下とは思えない小さな書斎だった。
壁には木製の本棚。
正面には大きな窓。
窓の外には赤い屋根と、白い花が咲く庭が見える。
さっき白が見せた記憶と、同じ部屋だった。
「地下に窓?」
レオが足を止める。
リオンは窓へ近づかず、床に落ちていた紙片を拾った。
「本物の外じゃない。見て」
紙片を窓の前へ放る。
紙は風に乗ることもなく、窓へ触れた瞬間に消えた。
代わりに、窓の中央へ波紋が広がる。
「記録を部屋ごと再現してるみたいだね」
「じゃあ、触ったら消える?」
「物によるだろうね」
「便利な答え」
レオは白を抱えたまま、机へ近づいた。
机の上には羽根ペン。
乾いたインク壺。
そして、白い花を押し花にした紙が一枚置かれている。
押し花の下には、銀灰色の髪が一本挟まっていた。
白がレオの腕の中で激しく震える。
『あの子』
「記憶にいた女の子?」
『わたしを、書いた』
レオは押し花へ手を伸ばしかけ、止めた。
代わりに羽根ペンの軸を指で軽く押す。
羽根ペンが机の上を転がり、その下から小さな引き出しの取っ手が現れた。
「隠してある」
「開ける?」
リオンが問う。
「聞くまでもないでしょ」
「一応ね」
レオが引き出しへ銀の鍵を近づけると、鍵の先が淡く光った。
机の側面に、細い線が浮かび上がる。
線の中央には、小さな鍵穴が隠れていた。
「そこか」
レオが銀の鍵を差し込み、右へ捻る。
カチリ。
引き出しが開いた。
中には、細い銀鎖につながれた楕円形の肖像画が入っていた。
描かれているのは、銀灰色の髪をした少女。
だが、顔の部分だけが黒く塗り潰されている。
肖像画の裏には、一行だけ文字が刻まれていた。
『アルヴェール家第二十四代当主の令嬢――』
名前の部分は、刃物で深く削り取られていた。
白の頁に黒い文字が走る。
『あの子も、名を消された』
レオの目から眠気が消えた。
リオンは肖像画ではなく、書斎の入口を振り返る。
「レオ。扉が閉じてる」
来たはずの通路は消え、石壁へ変わっていた。
その壁の中央に、新しい文字が浮かぶ。
『失われた名を一つ、返せ』
レオは天井を仰いだ。
「また試練?」
「どうする?」
「決まってる」
レオは肖像画を机へ戻した。
「答える前に、この仕掛けを作った奴を探す」
リオンが楽しそうに笑う。
「やっぱり、そう言うと思った」




