(改善版)第9話「追う者と、逃げる者」
空気が、張り付いていた。
倒れた男たち。散らばった荷。
その中心で——視線だけが、ぶつかっている。
ユリウス・ヴァン・クロイツは動かない。
黒髪の青年——レオも、動かない。
互いに知っている。
先に崩れた方が、不利になると。
「……妙ですね」
先に口を開いたのは、ユリウスだった。
「ただの通りすがりにしては、慣れすぎている」
レオは、わずかに肩をすくめる。
「何が?」
「状況判断。介入のタイミング。退き際」
淡々と並べる。
「すべてが、“場数を踏んだ人間”のものだ」
「買い被りすぎ」
短く返す。
だが、声音は揺れない。
ユリウスの視線が、わずかに落ちる。
足元。重心。
腕の角度。指先の力。
(……無駄がない)
ただの素人ではない。
それだけは、確信できる。
「運、ですか」
「そうかもね」
「否定します」
即答。
「運で人は制圧できません」
「じゃあ技術?」
「そうでしょう」
「どこで習った?」
「答える必要はありません」
「ないね」
即座に同意する。
だが——それで終わらない。
「では」
ユリウスが一歩、距離を詰める。
「あなたの目的は?」
間。
核心。
レオは、ほんの一瞬だけ沈黙し——
「ない」
軽く言う。
「気分」
「気分で動くにしては、一貫性がある」
「たまたま」
「それも否定します」
切り返しが速い。
だが、それ以上に——
食い下がりが鋭い。
「……あなた」
ユリウスが声を落とす。
「“助ける対象”を選んでいる」
レオの目が、わずかに細くなる。
「弱者。非対称。理不尽」
並べる。
「偶然ではない」
「よく見てる」
「仕事です」
沈黙。
数秒。
だが、その数秒で——
ユリウスは確信を強める。
(……意図がある)
(だが、動機が読めない)
ただの善意ではない。
ただの衝動でもない。
「痕跡を残さないのも、意図的ですね」
さらに踏み込む。
「逃走経路の確保。目撃の分断。情報の断片化」
「……」
「すべて、偶然ではない」
レオは、静かに息を吐いた。
そして——わずかに笑う。
「すごいね」
「褒め言葉として受け取っておきます」
「でも」
レオが言う。
「一つだけ、外してる」
ユリウスの目が細くなる。
「何ですか」
「そこまで大層なこと、考えてない」
肩をすくめる。
「見えたものに、手を出してるだけ」
沈黙。
(……嘘ではない)
ユリウスは見抜く。
(だが、それがすべてでもない)
「……面倒な人間ですね」
ぽつりと漏れる。
「よく言われる」
「名前は?」
唐突な問い。
レオは一瞬だけ間を置き——
「レオ」
短く答えた。
「レオ、ですか」
ユリウスが繰り返す。
一歩、さらに詰める。
「では、レオ」
声を落とす。
「次に会う時は——」
ほんのわずかに、間。
「もう少し詳しく、話を聞かせてもらいます」
レオは、目を逸らさない。
「会えたらね」
短く返す。
数秒。
完全な静止。
だが、その内側では——
完全な読み合い。
「……行くぞ」
低い声。
エルマーだった。
「だね」
オスカーが軽く応じる。
リオンがくつりと笑う。
「もう終わり?」
「終わり」
レオが言う。
次の瞬間——
レオは動いた。
視線の死角へ。
人の流れへ。
音の隙間へ。
——消える。
「……」
ユリウスは追わない。
ただ、目を細める。
「レオ」
名を、もう一度呟く。
「……面白い」
だが、その声に温度はない。
「次は、逃がしません」
少し離れた場所。
リオンが笑う。
「完全にロックされてるね」
「でしょうね」
オスカーが返す。
「やっぱり揃うとやばいな」
「だな」
エルマーが短く言う。
追う者と、逃げる者。
その距離は——
確実に、縮まり始めている。




