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婚約破棄された私は戻った前世で、実は国王に溺愛されていた  作者: 数庭 読み


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第二話 隠された過去

 


 国王陛下の離宮というのは、王城の端に静かに佇む白い建物だった。


 私はそこに連れてこられた。

 有無を言わさず、というわけではなかった。

 ただ陛下が「来てほしい」とおっしゃり、私は反射的に足を動かしていた。


 なぜ従ったのかは、自分でもよくわからない。

 あの眼差しに、逃げることを忘れさせる何かがあったのかもしれない。


 離宮の応接室は、質素だが品があった。

 暖炉の前に二つの椅子が向かい合い、陛下は私に座るよう促した。


「怖がらせてしまったなら、詫びる」


 陛下は自分も椅子に座り、まっすぐ私を見た。

 あの無表情は変わらないが、声の中には不思議な柔らかさがある。


「でも、どうしても急がなければならなかった。今夜逃してしまったら、また同じことになる」


 私は首を傾げた。

 直感が告げていた。この人は、何かを知っている。私が知らない何かを。


「……陛下。率直にお聞きしてもよろしいですか」

「何でも聞け」

「なぜ私を『妻』と呼ばれたのですか。わたくしは、まだ王太子殿下の婚約者のはずで……」

「もうその婚約は、今夜中に解消させる」


 陛下は静かに遮った。


「エドワードの望みはかなえてやる。ただし、彼が選んだ女が隣国のスパイであるという事実も、同時に明るみに出ることになるがな」


 私は息を呑んだ。スパイ?

 前の人生で見たあの少女が?

 前回の人生では、私はそんな事実を知らないまま死んだ。


「陛下は……どうしてそれをご存じなのですか」


 陛下は少しだけ沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。


「話す。すべて話す。ただ、聞いても混乱するなよ」

「……覚悟はできています」

「私も、戻ってきた人間だ」


 私は目を見開いた。


「二度目の人生の記憶を持って、一年前の今日に戻っている。二度目の人生で――君が路地で命を落とす瞬間を、私は見た。間に合わなかった。その悔いを抱えたまま死に、気づいたら今日に戻っていた」


 陛下の言葉は、淡々としていた。

 感情を押さえているというより、もう何度も反芻してきた言葉のように。


「前の人生でも……陛下はわたくしをご存じだったのですか?」

「知っていた。ずっと見ていた」


 陛下は初めて、かすかに表情を動かした。


「王太子の婚約者という立場で、君は誰に対しても誠実だった。政務の補佐を自ら申し出て、孤児院への寄付を続けて、民の声に耳を傾けた。誰も頼んでいないのに。ただそれが正しいことだから、と」

「……それは当然のことをしていただけで」

「私はずっと、君に恋をしていた」


 はっきりと、陛下は言った。


「王太子の婚約者だから、身を引いた。それが正しいと思った。しかし間違いだった。君を守れなかった。あの路地で君が死ぬのを見て、私はようやく悟った。正しいことと、大切なことは、違うのだと」


 私は言葉が出なかった。

 知らなかった。そんな目で見られていたなんて、一度も気づかなかった。

 前の人生で、私は必死に婚約者の隣に立つことだけを考えていたから。


「その後、二度目の人生で、私は多くのことを調べた」


 陛下は続けた。


「民も貴族も、君の人徳を正しく評価していた。君が孤児院に私財を寄付し続けていたこと、辺境の農村の陳情を直接受け取っていたこと――そういった事実を、私は二度目の人生でようやく知った。君は誰にも言わずに、それだけのことをしていた」

「……誰かに知ってもらうためにやっていたわけでは」

「わかっている。だからこそ、私は後悔した。もっと早く君のそばにいれば、と」


 暖炉の火が、静かに揺れていた。


 私はずっと、自分一人で逃げようとしていた。

 誰にも頼らず、誰も信じず。前の人生で傷ついたから。

 でも目の前の人は、私のために一度死んだ。

 後悔を抱えて死んで、それでも今日に戻ってきた。


「今回は違う」


 陛下の声に、静かな決意が宿っていた。


「君を傷つけた者たちには、相応の報いを受けさせる。そして今度こそ、君を守る。それが私の、今生の目的だ」


「陛下、一つだけ聞いていいですか」

「何だ」

「前の人生で……わたくしが死んだとき、陛下は泣きましたか?」


 陛下は少しの間、私を見つめた。


「泣いた」


 短い答えだった。

 でもその一言に、すべてが詰まっていた気がした。


 その夜、私の元に一通の手紙が届いた。王太子からだった。


「明日のパーティーは予定通り行う。アリシア令嬢の出席を求める」


 私はその手紙をテーブルに置いた。

 前の人生と同じ言葉。同じ流れ。

 でも今回は、断罪される側が私ではないかもしれない。


 陛下が隣で、微かに笑った。


「楽しみだろう」


 私の胸の中で、初めて小さな炎が灯った。

 それは怒りではなかった。怒りはもうとっくに、静かな決意へと変わっていた。


 あの場で笑顔を向けてやりたい、と。

 あの断罪の舞台を、自分の手で終わらせてやりたい、と。


 それは貴族令嬢としての意地――いや、もう一人の自分を取り戻すための、静かな戦いだった。

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