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婚約破棄された私は戻った前世で、実は国王に溺愛されていた  作者: 数庭 読み


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1/5

 第一話 終わりと始まり



 人生で最も惨めな夜のことを、私は一生忘れないだろうと思っていた。


 煌びやかなシャンデリアの光。色とりどりのドレス。

 笑顔と歓声に満ちた会場の中で、私だけが石のように立ち尽くしていた。


「アリシア・フォン・グランツェ。お前との婚約を、ここに破棄する」


 王太子エドワード殿下の声は、よく通った。

 まるでそれが当然のことであるかのように、彼は私の名前を呼んだ。

 私が六歳のときから十年間、ずっと将来の伴侶として敬い、慕い続けた人の名前を。


 会場がざわめいた。当然だ。

 本来ならば、今夜は私たちの婚約を改めて披露するパーティーのはずだった。


「リリア……この者を愛している。平民であろうと、彼女のためならばすべてを捨てる覚悟がある」


 彼の隣に立つ少女は、うつむいて頬を赤らめていた。

 栗色の巻き毛。大きな瞳。庶民的だが愛らしい顔立ち。

 見たこともない女だった。


 私はゆっくりと息を吸い込んだ。

 怒りとも悲しみとも言えない感情が、胸の奥でぐるぐると渦を巻いていた。


「……わかりました」


 私が絞り出せたのは、その四文字だけだった。


 その夜、屋敷を追われた。

 父は「王太子殿下のご意向に逆らうわけにはいかない」と言い、母は泣いていた。

 使用人たちは私の荷物を玄関に並べながら、誰も目を合わせようとしなかった。


 冷たい石畳の上を歩きながら、私は泣かなかった。泣けなかった。

 ただ足を動かした。


 そしてその夜、路地の角で馬車に跳ねられた。

 不思議と、痛みはなかった。

 ただ夜空が遠くなって、すべてが真っ暗になった。


 ――ああ。こんな死に方をするとは思わなかった。


 目が覚めると、朝だった。


 見慣れた天井。見慣れた寝台。見慣れた自室の壁紙。


「……え?」


 私は勢いよく起き上がり、手の甲を見た。

 柔らかい、傷一つない肌。窓から差し込む陽光が、何の痛みもなく私の手を照らしている。


 侍女のソフィアが扉をノックした。


「アリシア様。本日は殿下とのご婚約披露パーティーの日でございます。そろそろご準備を」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中に濁流のように記憶が流れ込んできた。

 一年前だ。今日は、あの夜から一年前だ。

 パーティー当日の朝。まだ婚約破棄も、路地での死も、何も起きていない朝。


 私は震える手で顔を覆った。夢ではない。夢にしては記憶が鮮明すぎる。

 あの断罪の言葉も、父の冷たい顔も、夜空が遠ざかっていく感覚も――すべてが現実として脳裏に刻まれている。


「……もう、同じ過ちは繰り返さない」


 呟きながら、私はベッドから立ち上がった。

 決めた。今夜のパーティーには行く。行って、華やかに笑って見せる。


 しかしその隙に、馬車を手配する。

 王都から離れて、辺境の街で新しい人生を始める。エドワード殿下の婚約者という立場は、もう要らない。

 誰にも頼らず、誰にも縛られず、自由に生きる。

 それだけが今の私の望みだった。


 パーティーは盛況だった。

 爵位持ちの貴族が勢揃いし、楽団の音色が華やかに響き渡る。

 私はドレスを完璧に着こなし、笑顔を顔に貼り付けて、令嬢たちの挨拶をそつなく返した。


 いつでも抜け出せる。もうすぐ辺境行きの馬車が来る。


 そう思いながら出口に向かいかけた私の前に、突然、人影が現れた。


「待て」


 低く、静かな声だった。

 見上げた先にいたのは、王太子エドワードではなかった。


 黒い礼服を纏った、長身の男。切れ長の銀眼。

 整った顔立ちは無表情で、しかしその目には確かな意志の光が宿っていた。


 国王陛下。カイエン・レギス国王陛下が、私の前に立っていた。


 私は思わず足を止めた。

 なぜ国王陛下がここに?

 パーティーには王太子殿下がご出席のはずで、国王陛下がこのような貴族の集まりにいらっしゃることなど、前回の人生では一度もなかった。


 国王陛下は無言で私の手をとった。

 強く、しかし乱暴ではなく。まるで大切なものを掴むような手つきで。

 そして――会場中に響く声で、言った。


「この方を傷つける者は、この国から追放する」


 静寂が落ちた。

 ざわめきが起きた。

 貴族たちがざっと陛下を見て、私を見て、また陛下を見た。

 誰も言葉を発せない。あの無表情の王が、一人の令嬢の手を握り、公言した。


 私の頭の中が真っ白になった。

 前回の人生で、こんなことは一度もなかった。

 国王陛下は政務に没頭し、社交の場にほとんど姿を見せないことで有名だった。

 私にとって陛下は、遠い存在だった。


 陛下は私を見下ろし、今度は声を低めて、耳元でささやいた。


「やっと会えた、私の最愛の妻」


 妻?

 私は陛下を見上げた。銀眼が、静かに揺れていた。


 ……妻? 陛下は独身のはずだ。婚約者さえいなかったはずだ。

 なのになぜ。なぜ陛下は私を「妻」と呼ぶのか。


 何かが、大きく狂い始めていた。

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