【第19話】
「さて、どうやって彼女にこの犬を渡すか・・・・」
朝起きた時には成美の姿は無く、小さなダンボールに入った仔犬だけが寺澤の部屋にいた。
近くのコンビニへ行き、ミルクを買って来ると、食パンを漬して与えた。
「生霊が、犬拾ってくるかね・・・」寺澤は呟いた。
彼はとりあえず、雪絵の携帯に電話した。
中野の大通りに寺澤の車が着く頃、彼女は迎えに出て姿を見せていた。
普段は見ることがない、ブルージーンズにオレンジ色のTシャツというラフな格好と、下ろすと以外と長いツヤのある栗色の髪が、寺澤の目にはやけに新鮮に映った。
「どうしたの、休みの日にいきなり電話よこして相談したい事なんて」
寺澤は車のリヤシートに置いたダンボール箱を開けて見せた。
「何、かわいー。どうしたの、この仔犬」
雪絵は思わず仔犬の頭を撫でながら言った。
「成美が拾ってきた」
寺澤は無表情で応えた。
「うそ・・・・」
彼女は、一瞬手を止めて信じられないという顔をして寺澤の方を見た。
「本当・・・・」
寺澤は、同感という素振りで応えた。
「成美ちゃんも優しい娘なのね」
「おいおい、感心してる場合か。これをどうにかして、本当の成美に渡したいんだ。なんか、いい方法ないかな」
「えっ、彼女にあげるの?」
「そうすれば少しは寂しさが癒せるんじゃないかって・・・・彼女の希望なんだけどね」
「本人の希望なのに、その娘にあげる工夫が必要だなんて、なんだか変な話ね」
「変なのは、今始まった事じゃないからな・・・・」
「この仔、ちょっと汚いから、とりあえず洗ってきれいにしてあげましょう」
雪絵はそう言って、寺澤の車に乗り込むと、彼女の家へ向かった。
中野の住宅街の路地を入ると間も無く着いたが、一方通行が多いため、何度か遠回りの右折と左折を繰り返した。
彼女は実家住まいだった。
レンガの塀で囲われた洋風造りの一軒家だった。普段は父親のセルシオが停まっているというガレージに、寺澤は車を滑り込ませた。
「さぁ、上がっていいよ」
玄関を入ってスグに、右へ曲がる廊下があり、一段下がって石畳が二メートルほど続いている。その左側の壁はガラス貼りで、ガラスの向こうには一坪ほどの、観賞用の中庭が設けられ、直立した石盤を流れる小さな滝も見える。
室内なのに屋外のような不思議な空間だ。
訊けば、彼女の父親は大手企業で工業デザインをしているそうで、自宅のデザインも原案は父親なのだとか。
石畳を渡った所のドアを開けると、彼女の部屋がある。ちょうど離れのような造りらしい。
本物のフローリングの真ん中には、白地にグレーとターコイズブルーで模様が染められた大きなラグが敷いてある。
ベッドには、ワインレッドとセピア色の幾何学模様が描かれたベッドカバーが掛けられていた。
寺澤は、新鮮な風景を見渡した。
クラシカルウッドのチェストの上には、バリ島の工芸品の置物が数個連ねて置いてあり、その横にはカエルの置物。
「あんまり、じろじろ見ないで」
「あ、なんか楽しい部屋だね」
小さな赤い鏡台の横にはボー・ジョボー人形が掛けてあったが、寺澤の目には奇妙な木製人形としか映らなかった。
ふと本棚に目が行った。
コミックが半分を占めているが、もう半分はハードカバーや文庫の小説が並んでいる。
一番下の棚に差し込まれた一冊の、大判の本に寺澤の目が止まった。
彼は雪絵に断る前にその本を手に取った。
「あ、それ小学校の頃に買って貰った絵本よ」
淡い水色に紺色で縁取られた白い文字で「天使の香り」と書いてあった。
寺澤は何となく興味を引かれページを開く。
「そういえば、あたし思ったんだけど・・・・」
雪絵はそう言いかけて、言葉を切った。寺澤が、真剣に絵本を読み出したからだ。
それは絵本と言うよりも児童書と言う感じで、思いのほか字数が多かった。
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〈天使の香り〉 ロメリオ・ガネット=作 長嶋玲司=訳
天使は誰もがなりえる権利を持っている。
天使は救った人間の苦悩、苦痛を一生背負わなければならない。
そして、多くの天使たちは、その苦痛に耐え切れず、無の世界へと自分の存在を消し去る。
天使は善意が作り出す幻影。
しかし、誰かを救いたいと言う強い気持ちがこの世に芽生える限り、天使は存在するのだ。
寺澤はページをめくり続けた




