第5章 真実
タクヤとユウキは、町外れにある古い一軒家の前に立っていた。マカベの自宅だ。庭の草木は手入れが届いておらず、湿った土の匂いが立ち込めている。
タクヤがインターホンを押すと、しばらくして玄関のドアが静かに開いた。
そこに立っていたのは、ポロシャツを着たマカベだった。十五年前と変わらない、どこか頼りなく、目立たない佇まい。彼は二人を見ると、不思議そうに首をかしげ、いつも通りの丁寧な笑顔を浮かべた。
「タクヤ君に、ユウキ君? どうしたの、こんな時間に」
その声にも、表情にも、何の警戒心も動揺も感じられない。まるで昨日も学校で会ったかのような自然さだった。
「マカベ、話があるんだ」
タクヤの静かな声に、マカベは「いいよ、上がって」と二人を招き入れた。
薄暗いリビングに通され、パイプ椅子に腰を下ろす。マカベはお茶を淹れようと台所へ向かおうとしたが、タクヤはそれを制した。
「いいんだ、マカベ。長居はしない」
「そう? 何の話?」
マカベは首を傾げ、二人と向かい合うように椅子に座った。その瞳は澄んでいて、恐ろしいほどに何も映していない。
タクヤはまっすぐにマカベの目を見つめた。
「十五年前の雨の日。カノンがいなくなった日のことだ」
マカベの眉が、ほんのわずかに動いた。だが、笑顔は消えない。
「カノンのこと……ニュースで見たよ。可哀想にね。山で事故に遭ったんだろ?」
「事故じゃない」
タクヤはゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの日、カノンはみどり亭の庇の下でサトウを待っていた。サトウに借りた本を返すためにね。そこへお前がやってきた。お前はサトウを探してスーパーワカバに行ったけれど、サトウには会えなかった。……なのに、お前はカノンに『サトウが山の方で待っている』と嘘をついて、彼女を山へ連れ出した」
マカベの笑顔がピタリと止まった。
「何を言ってるの? 僕はあの日、家で勉強をしていたよ。シマムラさんの見間違いじゃないかな」
「お前は嘘をつく時、まったく瞬きをしない」
タクヤが静かに告げる。
「ニシムラさんが言っていたよ。お前は完璧な嘘を、まるで今日の天気でも話すみたいに口にするって。……そして何より、僕は見ていたんだ。あの日、雨の中でカノンをお前が連れ去る瞬間を。この目でね」
静寂が部屋を支配した。ユウキが隣で拳を固く握りしめ、荒い息を吐いている。
マカベから、すべての「表情」が消え去った。
笑みも、困惑も、申し訳なさも存在しない。ただの記号のように、無感情な二つの眼球がタクヤを捉えていた。
「……見ていたんだ」
マカベの声から、機械のように平坦な声が発せられた。
「見ていたなら、なんで十五年間黙っていたの? 警察にも言わずに。今更僕を脅して、警察に突き出そうとでもいうの? それとも……復讐でもしに来た?」
マカベは感情を持たないサイコパスだ。彼にとって、人間の行動は「損か得か」「復讐か自己保身か」という計算でしか処理できない。
「復讐なんてしないよ、マカベ」
タクヤの声には、怒りも憎しみも含まれていなかった。ただ冷徹な事実だけがそこにあった。
「お前を殴っても、お前を責めても意味がない。お前には人の苦しみも、命の重さも、罪の意識も最初から理解できないんだから。お前はただ……他人を真似て人間らしく振る舞っているだけの、空っぽな存在だ」
なおも、マカベの無機質な瞳をしていた
「僕はただ、真実が知りたいと思っただけだ。ただ、それだけもうお前を捕まえることはできないだろう。それでも、僕だけでも真実を知れて満足なだけだ」
タクヤや静かにいった。ユウキかただ黙ってるだけだった。
二人は背を向け、玄関へと向かった。背後からマカベの声は追ってこなかった。ただ、暗闇の中にポツンと残されたサイコパスの空虚な静寂だけが、屋敷に残されていた。
◇
駅のホームには、夜の静けさが満ちていた。
遠くから、上り電車の接近を告げるアナウンスが響いている。
「本当に……行っちまうのかよ」
ユウキがポケットに手を突っ込み、不機嫌そうに明後日の方向を見ながら言った。
「ああ。この町での僕のやり残したことは、これで終わりだから」
タクヤが荷物を抱え直すと、ユウキは大げさにため息をついた。
「ハッ、勝手な奴だな。頭ぶつけて倒れたと思ったら、十五年前の事件を勝手に暴いて、勝手に去っていくのかよ。……面倒くせえ奴」
口では吐き捨てるように言いながらも、ユウキの目は濡れていた。彼はタクヤの肩を、拳でポンと強く叩いた。
「……元気でやれよ」
「ユウキもね。……付き合ってくれて、ありがとう」
滑り込んできた電車のドアが開き、タクヤはステップを上がった。
車内から振り返ると、ホームに立つユウキが一度だけ不器用に手を振り、すぐに背を向けて歩き出していった。
ガタゴトと揺れる電車。車窓の外には、十五年間タクヤの心に重くのしかかっていた自然豊かな町が、闇の中に遠ざかっていく。
カノンの横顔が脳裏をよぎる。
雨の日、庇の下で遠くを見つめていたミステリアスな少女。彼女が抱いていた孤独も、あの日奪われた未来も、もう戻ってはこない。
だが、真実は明かされた。もう誰も、嘘の記憶の中で生きていく必要はないのだ。
タクヤはそっと目を閉じた。
十五年間、胸の底で澱のように重く沈み続けていた過去の記憶が、弾けて消える海の泡のように、夜の風の中に静かに溶けて消えていった。




