第八十九話 最初に強く当たって、あとは流れで
工兵が穴の縁へ補強枠を据える間も、床下の機械は動き続けていた。降ろされた灯具の光を太い鎖が横切り、鋼の擦れる音が石壁を伝って這い上がってくる。長年放置されたはずの砦で、こんなものを動かし続けている連中がいる。床板を開いただけでは、まだ入口に立ったとも言えないらしい。
「ねえ、あの音! 床を動かす鎖と、奥の回転がちょっとずれてるよね? 下でも別の機械が動いてるのかな。ああ、見たい!」
ディートヒルトは穴に近寄ろうとして、ヨナスに工具帯の端を押さえられた。本人はその場で足踏みするばかりで、悪びれる様子もない。
「主任、先ほども申し上げましたが、降りる手段と戻る手段を確保するのが先です」
「分かってるってば! わたしだって、何が噛み合ってるか分からないうちに触ったりしないもん!」
「あの勢いで覗き込まれたら、見てる方が落ち着かん。ヨナスが心労で老けてしまうぞ」
「ルクスまで! もう、二人とも心配しすぎだよぉ!」
言い合っているうちに、床下の構造を調べていた工兵が壁際の資材棚を動かした。背後に鉄扉が現れる。錆びた取っ手とは裏腹に蝶番は油で黒く、押せば抵抗なく開いた。石壁の内側に狭い点検階段が続き、曲がり角の向こうから同じ機械音が聞こえる。
「先遣は斥候と工兵、後続は間隔を取ってください。逃げ場のない階段で全員が固まる必要はありません」
帝国兵が階段へ入り、俺も続こうとすると、ディートヒルトが工具帯を持ち上げた。
「ええーっ、階段があったの!? じゃあ、わたしも――」
「主任。安全が確認されてからです」
「……わかってるわかってるって! ねえルクス、下に何があったか、帰ったら全部教えてね! 変な装置があったら、できれば壊さないで残しておいて!」
「なるべく努力する。ただし、そいつが俺を壊しに来た場合は相談する暇もないからな」
「むぅ……。じゃあ、壊す前に危ない部分だけ外すとか!」
どこまで注文が増えるのやら。ヨナスが広げた機構図を見つけると、彼女はまだ何か言いたげにこちらを振り返り、それでもおとなしく作業台へ向かった。
◇
階段の鑿跡は途中で途切れ、そこから先は鋼板と鋲で補強されていた。古い石と新しい固定具が入り交じり、廃砦の腹へ後から別の建物を詰め込んだような造りだ。
降りきった先は、予想以上に広かった。石柱の列を縫ってレールが延び、車輪付きの荷台が並んでいる。古い鉱山の印が残る木箱の隣には、塗装も新しい金属容器。廃砦の地下で、これほどの荷が動いているとはな。
搬送台では男たちが荷を押し合い、奥から急かす声が飛んでいた。斥候が後続へ合図を送ろうとしたとき、荷箱の陰にいた護衛がこちらへ弩を向けた。さらに奥では別の男が杖を構え、その先に赤い光が膨らみ始めている。
「伏せろ!」
火弾が階段脇の岩を打ち、石と火の粉が兵士たちへ降った。斥候を押し戻して射線へ立つと、二発目が胸甲にぶつかり、外套の裾を焦がした。鎧への攻撃は構わないが、飛び散った火の粉が木箱へ移るのは厄介だ。
次の攻撃に備えて踏み出すと、広間の床が揺れた。低く詠唱している男の周囲で石がせり上がり、厚い石盾が搬送台までの道を塞ごうとしている。壁の向こうでは、仲間たちが荷を奥へ引きずり込んでいた。こちらを足止めして、積荷を運び出すつもりらしい。
「いい連携だな。感心してる場合じゃないが」
「ルクスさん、足元を押し上げられたら、後続の人まで危ないよ!」
サクヤは俺の肩越しに、巻き添えを出さずに撃てる場所を探っている。下手に火力を広げれば、支柱も荷箱も一緒に壊しかねない。
「石の壁は俺がこじ開ける。サクヤ、向こうの杖持ちを頼む。お前が撃つ間は、こっちへ一発も通させん」
「言い切ったね。……じゃあ、そこから先には出ないで。狙いをつける前に突っ込まれたら困るんだから!」
「注文の多い砲手だ」
「誰のせいだと思ってるの!」
石盾は通路をほぼ塞いでいた。裏から撃たれた矢を前腕で受け、六爪剣を石板の根元へ食い込ませる。岩盤から引き起こされた石には、床と繋がったままの筋がある。刃を差し込んで押し広げると、鈍い音とともに亀裂が走った。
向こうの術者が慌てて両手を突き出した。石を重ねて厚くするつもりらしいが、割れ目へ六爪剣を押し込む方が一足早い。石板が傾き、その隙間から火の杖を握る男の姿が現れた。
男がこちらへ杖を振り直すより先に、雷光が石の裂け目を貫いた。サクヤの雷霆は木箱を避け、術者の腕で弾ける。杖が床を転がり、男は荷台の車輪へもたれたまま崩れた。甲高い悲鳴が岩肌に反響すると、護衛たちの攻撃が一拍途切れた。
その隙を逃さず、帝国兵が攻勢に転じた。弩を持つ男の武器へ矢が打ち込まれ、通路を確保した兵士たちが踏み込む。荷の陰へ逃げ込んだ者の退路には、すでに別の兵士が回り始めていた。
石盾を立てた男だけは、まだ抵抗を諦めていない。床を這う振動が膝の装甲を伝い、足元から石槍が突き上がった。鋭い先端は脛を擦って砕けたものの、吹き飛んだ破片が石柱の根元を打つ。古い目地に亀裂が走り、頭上から砂がぱらぱらと落ちてきた。
鉱山の天井を自分の頭へ落とす気か。二度目の詠唱が形になる前に距離を詰め、男の手首を床へ押しつけた。暴れる身体を鎧の重量で押さえ込むうち、帝国兵が縄を掛けに来た。
「杖を回収しろ! 残った荷台から離すんだ!」
兵士の怒号に混じって、棚の辺りで木が爆ぜる音がした。最初の火弾が移ったらしい。炎が荷箱の隙間へ潜り込もうとしたところへ、エマの耐魔聖壁が差し込まれた。燃える棚と積荷の間を透明な壁が隔て、彼女は逃げ遅れた兵士を壁の内側へ引き込んだ。
「火傷した方はこちらへ。まだ熱い床には触れないでください! 消火は軍の方にお願いします!」
水桶が運ばれ、煙が石天井へ押しつけられたように広がる。白く濁った視界の向こうから、捕虜の数を確かめる声と武器を取り上げる金属音が続いた。
◇
エマの足元には濡れた灰が溜まり、治療を受けた兵士は仲間に支えられて階段へ向かっていた。
「ルクスさん、もう! 無茶をするなら、せめて一言くらい言ってください。後から平気だったと言われたって、こっちは心配するんですから!」
「そうだよ! 盾になるって言った次にはもう石の向こうだもん。こっちが間に合わなかったらどうするつもりだったの、ルクスさん」
「お前なら間に合うと思った。実際、いいところへ落としてくれたじゃないか」
「そこは褒められたら嬉しいけど! ……話を逸らさないでよ」
サクヤは未使用の符を指に挟んでいた。術の射線を勝手に横切ったことについては、言い返す余地がない。
「入るまでに時間を掛けすぎたと思ったんだ。軍が慎重なのは当然だよ。偵察も退路の確認も、あの人数を動かすなら欠かせない。ただ、こっちは向こうの事情に合わせて待っていられない」
「荷車から助けた方のことですか?」
「ああ。『まだ、いる』……あの男はそこまで言って、続けられなかった。誰が、どこにいるのかも聞けていない。だが、連中は人を乗せた荷車ごと谷へ落としかけたんだ。奥へ運ばれた者がいるなら、準備が整う頃に手遅れでした、じゃ笑い話にもならん」
拘束された男の罵声が響く。積荷を焼こうとした連中が、捕虜にだけ親切だとは考えにくい。
「それに、ここで長々と術を撃ち合ってみろ。さっきの石槍だけで柱に亀裂が入った。相手が土の魔術を使うと分かった時点で、膠着させる方が危ないと踏んだ」
「……そこまで見てたなら、ひと言くれたっていいじゃない」
「次はそうする。今回は俺の独断だった。悪かったな」
「……次は本当に言ってよね」
「ルクスさんは自分が平気ならいいと思ってるんでしょうけど、わたしは嫌です。あんなふうに姿を見失うのは、もう勘弁してください」
「二人がかりで詰められると、勝ち目がないな」
「ごまかしても駄目です。『次はそうする』って言いましたよね? わたし、ちゃんと覚えてますから」
そこへ、捕縛の確認を終えたヴィクトルが帳面を片手に戻ってきた。
「話の途中に失礼します。ルクス殿、急いでくださったおかげで焼失を免れた物もあります。ただ、先へ進む際は後続へ合図を。救出した方を運び出す道まで失っては困りますから」
「まったく、今日は四方から叱られる日だな」
「それだけ皆さんが、あなたの背中を追ってくださっているということですよ」
帳面には負傷者と捕虜の数が並び、退路に残す人員まで書き込まれていた。
広間の片隅で検分が始まった。採掘会社の焼き印の上から別の印を押した木箱、軍需品の番号を削り直した金具。正規の倉庫なら隠す必要のない代物ばかりだ。
「これだけでは横流しの経路までは繋がりませんね」
ヴィクトルは封を切らず、箱の寸法と番号を控える。近くの机に残された帳簿には搬入の日付と荷の重さが並んでいたが、搬出先の欄は何度も削られ、薄い紙の向こうが透けて見えた。
「消すなら、もう少し上手く消せばいいのにな」
「消す必要が生じた時点で、管理する側には困った事情があったのでしょう。こちらにはありがたい不手際です」
「何を運んでいたか、分かりそうか?」
「荷の番号だけなら照合できます。ただ、人の移動があったとしても、この帳簿だけで断定はできません。証言と、運送会社に残った控えが要ります」
数字の脇には、見慣れない記号もある。ヴィクトルに問うても分からないらしい。この男は、分からないことを分かったふりで塗りつぶさない。俺がそばの容器へ手を掛けると、彼は帳面から顔を上げずに続けた。
「蓋はまだ開けないでください。封印を調べてからにしましょう」
「壊すな、開けるな、勝手に走るな。帝国の捜査は俺にはなかなか窮屈だ」
「ずいぶん控えめな不満ですね。請求書をお送りする段階には至っていませんから、ご安心を」
監察官の冗談には、たまに油断ならない値札が付いている。
安全が確認され、ディートヒルトとヨナスも護衛を伴って降りてきた。彼女は石柱の亀裂とレールの継ぎ目を交互に調べ始めた。
「あれ、この柱、内側に補強材が入ってる……? うわっ、亀裂まで! これ、さっきの戦闘で?」
「土の魔術を使われた。床から石の槍を突き出してきたんだ」
「ええっ、こんなところで!? 荷重を逃がす仕組みがあるのに柱まで揺さぶられたら……ああもう、気になる! でも、台を動かすのは待って。下の噛み合わせを見てから!」
工兵が被覆線へ工具を差し入れかけると、彼女は鋭く声を掛けた。
「待って待って、そこ切っちゃ駄目! ほら、この束、奥へも分かれてるでしょ!?」
「主任。接続先が分からないうちに切れば、向こうの装置を起動させる可能性もありますね」
「そう、それ! 停止線と伝達線が混ざってるの。……ええっ、なんでこんな繋ぎ方したんだろ? 間違えたら大変なのに!」
ヨナスが測定器の端子を当てると、針は奥の通路へ延びる線に反応した。灯りを移すと、レールの先に厚い金属扉があるのが見える。錠は一つや二つではなく、上から重ねられた補強板には新しい工具の跡があった。扉の向こうでは、いまも機械が回っている。耳を澄ませていると、金属が擦れる音の合間に、何かを叩く乾いた響きが混じった。
「……待ってください」
エマが作業を止めた。俺も音のする方へ向き直る。機械の唸りがいったん大きくなり、叩く音を飲み込んだあと、その奥から掠れた声が届いた。
「……だれか……」




