第一話 四百年目の起動
目が覚めたら、四百年が経っていた。
もっとも、それを知るのは、もう少し後の話だ。
最初に理解したのは、もっと単純なこと──俺が、俺の知らない何かに、なっていたということだった。
◇
≪──起動認証、開始≫
声がした。男でも女でもない、抑揚のない声。耳で聞いたというより、頭の内側へ直接置かれた感じがする。
≪炉心稼働、異常なし。自律制御、異常なし。戦闘適応、異常なし≫
瞼を動かした感触もないのに、真っ暗だった視界へ、じわりと光が滲んでくる。崩れた石。折り重なった瓦礫。埃まみれの、薄い光。
身を起こすと、背中に載っていた石の塊が、乾いた音を立てて転がり落ちた。人ひとりよりでかい石が、肩を動かしただけで、勝手に転がっていく。
……重かったはずなんだが。
立ち上がろうと手をついたら、その床が、粉みたいに砕けた。
嫌な予感がして、俺は自分の手を、顔の前まで持ち上げた。
黒い。
指も、掌も、手首も、黒い金属に覆われている。継ぎ目に沿って赤い線が走っていて、それが呼吸するみたいに、明るくなったり暗くなったりしていた。
手袋じゃない。外そうと指をかけても、境目がない。腕も、胸も、首も、全部おなじ黒で繋がっている。
足元の石を、拾って握ってみた。
握り潰していた。
力を入れた覚えはない。拳を開くと、粉になった石が、指の隙間からこぼれ落ちていく。
「……おいおい」
声は出た。少しくぐもって、金属の内側で反響していたが、間違いなく俺の声だ。喉は動いていないのに。息も、吸えていないのに。
最後の記憶は、戦いの底だ。仲間を逃がすために、俺一人が残った。剣が折れて、槍を奪って、それでも敵の数が減らなくて──誰かが俺の名を呼んで、それを最後に、暗闇へ沈んだ。
あれから、どれだけ経ったんだろうな。
腹も減っていない。喉も渇いていない。眠くもない。体が、何一つ訴えてこない。訴えてくる場所が、もう無いんだと思った。
まあいい。
俺は瓦礫を押しのけて、立ち上がった。動く。喋れる。それだけありゃ、まだやりようはある。
ここがどこなのかも、今がいつなのかも、わからない。だが、じっとしていても始まらない。
外へ出よう。話は、それからだ。
◇
崩れた石の通路を、しばらく進んだ頃だった。
どこからか、悲鳴が聞こえた。
女の声。それも、戦い慣れていない人間の悲鳴だった。
考える前に、走っていた。
声の方へ回り込むと、開けた広間に出た。崩れた祭壇を背に、灰色の巨躯が二頭、低く唸っている。
狼だ。だが、ただの狼じゃない。体高は俺の胸ほどもあり、背には硬質な棘が並んでいる。目が四つ。牙の間から、紫がかった涎が滴っていた。
ローグウルフ。
その名前は、すぐに出てきた。四百年前、俺たちが何度も殺し合った、上級の魔獣だ。並の兵じゃ、束になっても喰い殺される。
そのローグウルフの向こう、壁際に、旅装の若い娘が座り込んでいた。錫杖を胸の前で握りしめて、腰が抜けて動けずにいる。旅装は軽く、装備も貧弱。どう見ても、駆け出しだ。
……妙だな。
こんな格上の魔獣と、あんな新米が、同じ場所にいる。釣り合いが、まるで取れていない。まるで、迷い込んじゃいけない場所に、迷い込んじまったみたいに。
だが、考えるのは後だ。
一頭が、娘へ跳んだ。
──間に合え。
転がっていた折れた石柱を掴んで、横へ薙いだ。
石柱の重さも、自分の力も、まるで見当がついていなかった。ローグウルフは真横に吹き飛んで、広間の壁へ叩きつけられ、壁の方が砕けた。
「……重っ」
いや、そこじゃない。上級の魔獣が、石柱の一撃で壁にめり込んでいる。俺の力の方が、明らかにおかしい。
だが、驚いている暇はなかった。もう一頭が、今度は俺へ牙を剥く。
避けようとしたら、両手の甲の装甲が勝手に開いて、指の間から黒い爪がせり出してきた。三本ずつ、左も右も。
「うおっ、なんだこれ!?」
驚いたが、体は勝手に動いた。交差させた爪で、ローグウルフの喉を薙ぐ。上級魔獣の硬い皮が、紙を裂くみたいに裂けた。
狼が落ちて、動かなくなる。
と思ったら、爪が勝手に引っ込みはじめた。
「……出るのも戻るのも、俺の意思は関係ないのかよ」
文句を言っても、爪は素知らぬ顔で(顔はないが)収納されていった。
◇
娘は、まだ座り込んだままだった。逃げようともしない。逃げられないんだろう。
俺は近づかず、その場に膝をついて、目線を下げた。この図体で近づいたら、間違いなく二度目の悲鳴を上げられる。
「怪我は、ないか。お嬢さん」
「……ひっ」
娘が、錫杖を抱え直した。俺の顔があるはずの場所を、震える目で見上げてくる。声が、出ないらしい。
「に……人間、ですか……?」
やっと絞り出した、というような声だった。
「多分な」
「……た、多分……」
娘は繰り返しただけで、あとは口をぱくぱくさせて、言葉にならない。無理もない。上級の魔獣に襲われて、それが黒い化け物に引き裂かれて、その化け物が今、目の前で膝をついている。頭が追いつくわけがない。
俺は、それ以上は何も言わず、待つことにした。急かしたところで、この子の足は、すぐには動かない。
安心させようと「もう危なくないぞ」と声を落としてみたが、金属の内側で反響して、余計に地の底から響く声になっただけだった。娘の肩が、びくっと跳ねる。
……逆効果だったらしい。喋れば喋るほど怖がらせている気がする。
俺は口を閉じて、ただ、娘の息が整うのを待った。
どれくらい経った頃だろうか。娘の呼吸が、少しずつ落ち着いてきた。
「……エマ、です。エマ・アーネット。……治癒術士です。まだ、新米ですけど」
「ルクス・ウェインだ」
名乗ると、少しだけ楽になった。名前があるうちは、まだ人間だって気がする。
「立てるか」
「……た、たぶん」
「無理ならそう言え。担ぐのは最後にしたい。この手で掴んだら、エマの腕くらい、簡単に折れる」
「……そ、それ、安心させようとして、言ってます……?」
声はまだ震えていたが、さっきまで「ひっ」しか言えなかった娘とは、少し違った。言い返す余裕が、ほんの少しだけ戻ってきたらしい。
「正直に言っただけだ」
「……正直すぎると思います」
小さな声だったが、確かにそう言った。俺は、ちょっと感心した。この子、怖がってるわりに、芯のところは折れていない。
それでもエマは、錫杖を突いて、自分で立ち上がった。膝は笑っていたが、確かに立った。
いい子だ。怖がりのくせに、ちゃんと自分の足で立つ。
◇
「なあ、エマ。ひとつ聞きたい。ここは、魔神の前線要塞だよな」
「……はい?」
「魔神の軍勢が拠点にしてた要塞だ。俺は仲間と、ここでそいつらと戦ってた。だが、様子が違いすぎる」
「……あの、待ってください。魔神の、軍勢……?」
エマが、ぽかんとした。
「ここに出るのは、魔獣ですよ。魔神の軍勢なんて……そんなの、大昔に、勇者様が倒したじゃないですか」
勇者。
その単語に引っかかったが、それより先に、エマの言葉のもう一つの部分が、耳に刺さっていた。
大昔。
「……その大昔ってのが、俺にとっては、ついこの前なんだよ」
「……ルクスさん、頭は大丈夫ですか……?」
お。
ついに、はっきり言い切った。ついさっきまで「ひっ」しか言えなかった娘が、今は真顔で俺の正気を疑っている。
いい傾向だ。人間、減らず口が叩けるうちは、まだ立ち直れる。
「頭は多分、大丈夫だ。体は色々おかしいがな」
「そこは自信持ってください……」
俺は、周りを見回した。見覚えのある柱。見覚えのある崩れた祭壇。だが、そこに積もった分厚い埃と苔だけが、俺の記憶にはない。
「なあ。この場所、昔は前線要塞って呼ばれてた。今は、なんて呼ばれてるんだ」
「暁の、迷宮です」
暁。
要塞に、夜明けの名をつける奴はいない。つけるとしたら、ここで何かが終わったあとの人間だ。
嫌な予感が、また膨らむ。
「……なあ。勇者アーサーは、無事なのか」
「アーサー様?」
「勇者アーサーだ。俺の──」
親友だ、と言いかけて、やめた。エマの顔が、途方もない冗談を聞かされたときのそれになっていたからだ。
「あの……勇者アーサー様が魔神を討伐したのは、四百年も前のことですよ」
「──」
四百年。
うまく飲み込めなかった。喉が動かないせいじゃない。
アーサーは、魔神を討った。世界は、救われた。俺が残った意味は、ちゃんとあった。
まず、そこに安心して──そのあとで、遅れて、理解が追いついてくる。
四百年。
なら、あいつらは。ヴィルキスも、ランドルムも、リーネも、セラスも。俺が、この手で逃がした、あの仲間たちは。
「……エマ。勇者一行には、他に誰がいたって伝わってる」
エマは、指を折って数えた。峰嵐のヴィルキス様。到達者のランドルム様。神弓のセラス様。
どれも、大層な二つ名に様呼びまでセットで出てくる。四百年前の英雄なんて、この子にとっては御伽話の中の存在なんだろう。
だが、最後の一人だけは、違った。
「それから──聖女リーネ様」
その名前を言うときだけ、エマの声が、少し高くなった。
「わたし、あの方に憧れて、治癒術士になったんです」
「そうか」
全部、俺の知っている顔だった。聞いたことのない二つ名が付いている以外は。
俺は、少し間を置いて、聞いた。聞かなくても、答えは分かっていた気がする。それでも、聞かずにはいられなかった。
「その勇者一行の話に……ルクス・ウェインって名前は、出てこないか」
エマが、きょとんとした。俺がなぜそんなことを聞くのか、分からないという顔だ。
それから、記憶を辿るように少し考えて──申し訳なさそうに、首を横に振った。
「……いえ。有名な英雄様の中には……そのお名前は、聞いたことがありません」
崩れた祭壇の石の上で、赤い光が、ひとつ揺れた。
俺の目から漏れた光だ。
「……そうか。まあ、そうだよな」
うまく笑えた自信はない。顔がないから、笑えたかどうかも、自分でわからなかった。
四百年。俺の名前は、どこにも残らなかった。世界を救った英雄たちの中に、俺の席は、最初から無かったことになっている。
仲間を逃がしただけの男の名前なんて、誰も覚えちゃいない。当然だ。
◇
エマが、じっと俺を見ていた。
さっきまでの、化け物を怖がる目じゃない。何かを、必死に考えている目だった。
「……ルクスさん」
「なんだ」
「さっきから……変なことばっかり、言ってます」
「そうか?」
「はい。ここで魔神の軍勢と戦った、とか。勇者アーサー様を、当たり前みたいに呼ぶ、とか。自分の名前を、四百年前の英雄譚の中に、探す、とか」
エマの声が、少しずつ、震えはじめた。さっきの、俺を怖がる震えとは、違う震えだ。
「全部……四百年前に、そこにいた人じゃないと、言わないことです」
──お。
この子は、頭が回る。俺は、もう誤魔化す気にもならなかった。
「ああ。そうだ」
俺は、肩をすくめた。
「信じられないだろうがな。俺は、四百年前、勇者アーサーと一緒に魔神と戦った。仲間を逃がすために、この場所で一人残って、死んだ──はずだった。目が覚めたら、この様だ。名前も、歴史から綺麗さっぱり消えててな」
エマは、しばらく黙っていた。
当然だ。信じられるわけがない。四百年前に死んだ人間が、目の前で喋っている。俺だって、逆の立場なら疑う。むしろ、正気を疑って逃げ出すのが、まともな反応だ。
「……証拠は、ない」
俺は、正直に言った。
「信じてくれとも言わん。頭のおかしい鎧だと思って、忘れてくれてもいい」
だが、エマは逃げなかった。
俺の顔があるはずの場所を、まっすぐ見上げて──それから、ゆっくり、口を開いた。
「……わたし、嘘をついてる人は、なんとなく分かるんです。神殿にいた頃、色んな人を見てきたので」
「そりゃ結構だ」
「ルクスさんの声、さっきから……ずっと、寂しそうです」
──。
思わず、言葉に詰まった。
「作り話で、そんな声は出せません。だから……信じます。信じられないですけど、信じます」
妙な理屈だった。信じられないけど、信じる。矛盾している。
だが、その矛盾を、この子は本気で言っていた。それが、伝わってきた。
「……そうか」
俺に言えたのは、それだけだった。
四百年、誰にも覚えられなかった俺のことを、会って間もないこの子が、その寂しさだけを頼りに、信じると言う。
なんだ。
残ってたじゃないか。
名前じゃない。歴史でもない。もっと、あったかいものが。ちゃんと、この時代にも。
◇
「よし」
俺は立ち上がった。エマが、ぎょっとして見上げてくる。ずいぶん、見上げる角度が急だ。四百年寝てる間に、背まで伸びたらしい。
「エマ。出口まで案内してくれ。俺は、この場所がどう変わっちまったのか、もう分からん。上に出たら、色々教えてくれ。この四百年で、世界がどうなったのかをな」
「え、あ、はい。……でも」
「なんだ」
「ルクスさんは、これから、どうするんですか? その……行く当ても、ないんですよね」
いい質問だ。
俺は、赤く光る目で、崩れた天井の向こう──まだ見ぬ、四百年後の空を見上げた。
異名を持つ英雄が四人。そのうち二人は、人間じゃない。エルフのセラスと、竜人のヴィルキス。あいつらなら、四百年くらい、平気で生きていてもおかしくない。
まだ、どこかにいるかもしれない。
それに──この鉄の体でも、まだできることは、あるらしい。さっき、一人助けられた。助けを求める声があるなら、応えるくらいはできる。
名前が残らなかったって、いい。
もう一度、この手で、残せばいいだけの話だ。
「決まってるだろ」
俺は、エマを見下ろして、笑った。今度は、たぶん、ちゃんと笑えた。
「──もう一回、生きてみる」
四百年後に一人取り残された黒騎士、ルクスの物語です。名前は歴史から消えていましたが、彼はもう一度、この手で何かを残そうとしています。
善意で人を助けるたび、なぜか伝説だけが大きくなっていく——そんなお話です。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。




