【第3話】白い部屋で、お茶を淹れます
アッシュフォード辺境伯領に来て、一週間が過ぎた。
与えられた部屋は、館の北側にある小さな部屋だった。石造りの壁、白い漆喰、小さな窓。華美な装飾は何もない。最初に案内された時、執事の老人が申し訳なさそうな顔をしていたが、私には十分だった。
むしろ、落ち着く部屋で、好ましいと思った。
白い壁。余計なものがない空間。窓から見える北の空。
荷物を解いて最初にしたことは、小さなティーポットと、白磁のカップを棚に並べることだった。王都から持ってきた、たった二つの私物。
ここで毎朝お茶を淹れよう、と思った。
それだけで、この部屋が自分の場所になった気がした。
*
カリアとは、毎日庭で会った。
老女は多くを語らなかった。水をやり、土を耕し、植物の世話をしながら、ぽつりぽつりと話す。私はその隣で、ハーブを摘んだり、石畳を掃いたりしながら、話を聞いた。
三日目の朝、カリアが言った。
「そろそろ、あなたに教えたいと思います」
温室の中、二人でハーブティーを飲みながら。カリアの手元には、白い花が一輪あった。
「七灯の乙女について」
「はい。ありがとうございます」と私はカップをギュッと握りながら答えた。
カリアはカップを置いて、私を見た。
「まず聞きますが、エルネスタさん。あなたは自分のことを、欠陥品だと思っていましたよね?」
少し間があった。
「はい……思っていました」
「今はどうですか?」
私は考えた。
「わかりません。でも——父が、欠陥ではないと言ってくれました。カリアさんも、加護がないことを喜んでくれました。だから、少し……違うのかもしれない、と思い始めています」
カリアは頷いた。
「そうですね。あなたは欠陥品ではありません。断言できます」
静かな声だったが、力があった。
「七灯の乙女は、加護を持たないのではありません。加護を、拒絶しているのです」
「父の手紙にも、そんなことを書いてありました」
「ヴァイス侯爵は賢い方でした」
カリアは白い花を手に取った。
「この世界の加護は、百年前から急激に広まりました。今では加護を持たない者を探す方が難しい。でも、七灯の乙女だけは違う。どれだけ時代が変わっても、七人は必ず、加護を持たずに生まれてくる」
「なぜ七人なのですか?他にも加護を持たない人はいますよね?」
「わかりません。古い文献にも、理由は書かれていない。ただ——七という数は、均衡の数だと言われています。多すぎず、少なすぎず。世界が傾いた時に、戻せるだけの数。そして——」
私はカップを両手で包んだ。温かかった。
「七灯の乙女には加護を拒絶する以外にも、力があります。そのうちのいくつかを、エルネスタさんはすでに使っています。気づいていましたか?」
「すでに……使っている?」
「あなたは、人を見ると何か感じますか。たとえば、光が痛いとか、重そうだとか」
私は息を呑んだ。
「はい。ずっと、目が痛くて。加護の光が、チカチカして見えて」
「それが、一つ目の力です」
カリアが言った。
「『真視』、見えているものを、そのままに視る力です。あなたの目は、この世界のほとんどの人間が見えていないものを、見ています」
「見えていないもの……?」
「加護の正体を感じていますよね?」
温室の中が、静かになった。
外では風が生垣を揺らし、北の光が白くガラスを透かしている。
「加護の正体は、まだ話しません。あなたが自分で見えるようになるまで待ちます。ただ——一つだけ言います」
カリアの目が、深くなった。
「あなたが美しくないと思うものは、本当に美しくないのです。あなたが重そうだと思うものは、本当に重いのです。あなたが泥のように見えるものは、本当に泥なのです」
私の手が、少し震えた。
虹色のケーキ。あれが、本当に泥だった?
夜会で、皆様が喜んで食べていたモンスターのようなスイーツ。
「二つ目の力は」
カリアが続けた。
「『拒絶体質』、加護を拒絶するだけでなく、あなたの体はあらゆる汚染を拒みます。毒が効きにくい。病に罹りにくい。そして——加護の光の中にいると頭が痛くなるのは、あなたの体が拒絶しているからです。体が正しく働いている証拠です」
「痛いのが、正しい……?」
「そうです」
カリアは静かに言った。
「痛みを感じなくなった時の方が、危ないんですよ。痛覚が人にあるのは、怪我や病気などに気づくためですから」
*
その夜、私は部屋で一人、窓の外を見ていた。
北の空に、星が出ていた。加護の光のない、静かな夜。
『真視』『拒絶体質』
十九年間、欠点だと思っていたものに、名前がついた。力だという名前が。
嬉しいかというと——正直、まだわからなかった。
力があるとして、それで何ができるのか。父は連れて行かれた。王都では誰も、私の言葉を聞かなかった。七灯の乙女が七人いるとして、残りの五人がどこにいるのかも知らない。
ただ、一つだけ確かなことがあった。
あの夜会の光は、本当に痛かった。
そして、あの虹色のケーキは、本当に食べられなかった。
カリアの言うことを信じるとすれば、私の目は、正しかった。
父が言った言葉の意味が、今夜初めて、腑に落ちた。
*
翌朝、いつものように庭に出ると、珍しく辺境伯が庭を歩いていた。
レオン・アッシュフォード辺境伯。館に来て一週間、ほとんど顔を合わせていなかった。食事は別々で、仕事が忙しいのだろうと思っていた。
辺境伯は私を見て、少し足を止めた。
「馴染んでいるようだな」
「はい。ここはとても静かで、落ち着きます」
辺境伯は頷いた。それだけで、また歩き出そうとした。
「あの」
私は思わず声をかけた。
辺境伯が振り返る。灰色の瞳。表情が乏しい、でも——不思議と、怖くない目だった。
「この領地は、なぜこんなに静かなのですか。王都と、空気が全然違います」
辺境伯は少し間を置いた。
「北の土地だからだろう」
「本当にそれだけですか?」
また間があった。
辺境伯は私を見た。値踏みするような目——いや、違う。何かを確かめるような目だった。
「それは……カリアに聞いた方がいい」
それだけ言って、歩き去った。
灰色の瞳が、一度だけ振り返った。私の頭上を——確認するように。
そして、かすかに、表情が和らいだように見えた。
*
カリアにその話をすると、老女は少し微笑んだ。
「辺境伯は、半分だけ感じているのです」
「半分だけ、とは?」
「加護の光が、薄いでしょう。あの方の加護は、発現しかけて止まっている。この土地の清浄さのおかげで、侵食が止まっているのです」
『侵食』、という言葉が、胸の奥に引っかかった。
「だから辺境伯は、うっすらと——何かがおかしいと、感じています。でも、はっきりとは見えない。霧の中にいるようなものです」
「それで、カリアさんをここに置いているのですか」
「先代の辺境伯が、私を見つけてくれました。あなたと同じように——加護がないことを、恐れなかった方でした」
カリアは遠くを見た。
「レオン様は、先代から引き継いで、私を置いてくれています。理由を聞いたことはありません。でも——あの方は、霧の中で、正しい方向を向いています」
私は庭の向こう、館の窓を見た。
辺境伯の執務室だろうか、灯りがついていた。
霧の中で、正しい方向を向いている。
加護の光が薄い、半分だけ見えている男。
私の頭上を確認して、表情が和らいだ——あれは、何を確認していたのだろう。
「三つ目の力も、話しておきましょう」
カリアが言った。
「『感応』、他の聖女の存在を、本能で感じ取る力です。あなたが私に最初に近づいてきたのは、偶然ではありません」
私は庭師の小屋を初めて見た日のことを思い出した。広い庭の、奥の奥。なぜあそこまで歩いていったのか、自分でもわからなかった。ただ——引き寄せられるように、足が向いた。
「『感応』があるなら、残りの五人にも会えるんですか……?」
「そうですね。探そうと思えば、探せます。」
カリアは静かに言った。
「でも、急いではいけません。今は——あなたが、自分の目を信じることが先です」
風が吹いた。温室のガラスが揺れた。
私はティーカップを持ち直した。白磁の、温かいカップ。
自分の目を信じる。
泥のように見えるものは、本当に泥だった。
光が痛いのは、私の体が正しく働いているからだった。
ならば——王都で見ていたあの景色は、あの夜会の、あの輝きは。
私はまだ、答えを知らない。
ただ、問いが生まれた。
答えはそのうち、見えてくるだろう。
焦る必要なない、と自分を落ち着かせた。




