第88話 死霊魔導師と悪魔。
「悪魔だと! チャッピー、間違いではないのだな!」
悪魔!? 悪魔までテイムしていたのかよ!
『うむ、間違いない、それもかなり高位のようだ、勝てぬとはいわぬがな』
どうすればいいか……。拘束された時にさえ呼び出さなかった悪魔、おそらく殿下の切り札と思って間違いはないだろう。
それもドラゴンであるチャッピーが苦戦しそうな口振り。
チャッピーと戦う覚悟をしたのと同じくらい、ここが踏ん張りどころだ。が、悪魔と共に殿下がいる。
あ、そうだ! ここにテリエが出てきたってことは影の居住空間が使えるってことだ!
「それは難儀だな……契約者よ、なにか案でもあるかの?」
「テリエ、聖女たちの封印はおわったんだよな?」
「完璧にな。もう影の中にも問題なく入れるぞ」
よし、予想通りだ。
「それならチャッピーは先ほど浮いていた位置に戻ってくれないかな」
『構わぬが、奴と戦うつもりなら……』
「卵だよね、それなら影の居住空間で預からせてもらう」
「いい考えだな契約者よ、いかに悪魔といえど、あの空間には契約者が招かねば入ることも叶わぬ」
『ふむ、テリエがそう言うのなら、預けよう。だが、万が一そのまま奪おうと考えているのなら、いかにテリエといえど容赦はせんぞ?』
「我輩も契約者たちも、チャッピーの子に手出しなどせんわ」
『ならば信じようぞ』
「して、契約者よ、我輩たちは影の中へ一度入り、奴らの様子を見に行くのじゃな?」
「うん、急ごう」
チャッピーが元の位置に戻ると同時に、俺たちは影の居住空間に沈み込み、外を見ると、ちょうど殿下は悪魔と交渉している場面だった。
「それで、ドラートツィーアー殿下、ご用向きは?」
側頭部に巻き角を持つ、典型的な悪魔。
「よ、よくやったブリュートナー、私をここから逃がすのです! できますか!」
戦いに使うのではなく、逃走に使うつもりか。
「ふむ。ワイバーンからではなく、あのドラゴンから、というわけですね。それに……」
「どうした! 早くしてください! まさか無理とは言いませんよね!」
「ドラートツィーアー殿下、わたくしを馬鹿にしているのですか? 戦うのではなく逃走にわたくしを使うと?」
普通の考えならそうだよな。
「そうです! 奴らが来ないところならどこでも構いません! 早くしてください!」
悪魔、ブリュートナーの表情が凍ったように冷えきったように見えた。
「……いいでしょう、敗北より遠慮したい逃走をわたくしに強いるのですから、それなりの対価はいただきますが、よろしいですか?」
悪魔との契約ではよくあるパターンだろう。
「止めろ兄上! 悪魔が欲しがる報酬などひとつしかない!」
聞こえることはない、影の外に向かって叫ぶヘルヴィ。
「わ、わかった望みの対価を払おう」
ヘルヴィの思いとは違い、殿下は悪魔の提案をあっさりと飲んでしまった。
「くく……くははははは! いいでしょう! 望み通り、ドラートツィーアー殿下を誰にも手が出せないところにお連れしてさしあげます!」
両腕を広げ、心底楽しそうに笑い、その笑いが含みのある笑みに変化した。
「くひっ、封印を解いていただいた恩人でもありますので、ひと思いに逃がしてあげましょう」
そう、ニヤリ、と表現するのが一番しっくりとくる笑い。
「ちょ、ちょっと待て、なにか嫌な予感がするのですが――」
スッ、と腕を上げ、指を鳴らすように構えるブリュートナー。
今の会話はテイムされたものが、ルールから外れるための言質を取ったようにしか聞こえなかった。
……ブリュートナーは殿下を誰にも手が出せないと言いながら、殺す気だ。
死ねば完全に逃れられるだろう。
その逃走先か、逃げる必要もなくなる場所だと上手く明言せずに言っただけだ。
「奴は殿下を殺す気だ!」
「兄上を!?」
「いえいえ、なにも感じる暇もなく、逃がしてさしあげましょう」
「くそっ! あとを頼む!」
「待てネクロウ! お前まで――」
影から飛び出そうとした俺を、ヘルヴィが腕を掴み止めた時、パチン、と指の鳴る音が聞こえた。
「ひにゅい? ――ギッガガがギガが」
「では、ドラートツィーアー殿下のお望み通り、誰にも手が出せない……いえ、死霊魔導師以外は手を出せないところに逃がしてさしあげましたよ」
ブリュートナーの左手には、殿下の胸を突き破り出てきた、まだ脈動を続ける心臓が握られていた。
横たわる殿下、うっすらとした靄がその体から抜けていくのも見えた。
あまりのことに、動くことも、声を出すこともできない。
「驚いているようですが、ドラートツィーアー殿下。これで逃げる必要もありませんので、対価をいただきますね」
ブリュートナーが誰かと話している……っ! 浮いてる靄って殿下のレイスか!?
心臓を持つ手とは逆の右手で、横たわる殿下の上、宙を掴もうと手を伸ばした。
「させるか! 死霊使役!」
速く、それだけを念じ、ブリュートナーの伸ばした手の影から魔力の糸を伸ばし、絡め捕る。
「来い! ジム!」
「了解!」
殿下のレイスを影の居住空間に引き込むと同時に、殿下の体も影に沈み込んだ。
「くはっ! そう来たか! ならば奴の持つものもいただいておこう! アイシャ!」
「任せて!」
テリエが影から飛び出し、ブリュートナーの顔に向かって魔法を撃つ。
「少々苦しむがよいぞ悪魔よ! はっ!」
「なっ! 何者で――」
バシャッ、とブリュートナーの顔に当たり、包み込む水球。
「いただきますわね」
アイシャが殿下の心臓を掠め取ったその時、あの二人が帰ってきた。
『今度はなんなんっすか!』
『これは! 中々の強者のようですぞ!』
「今のうちに畳み掛けるぞ!」
「兄上の仇!」
「ぶっ飛ばしてあげるんだから!」
『やる!』
影の外に全員が飛び出し、各々の全力をブリュートナーに放った。




