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『万能鑑定士? いいえ、裏方の臨床検査技師です 〜手柄は全部相棒の医者に押しつけて、私は貧民街で定時退社を目指します〜』  作者: 波留馬 喬


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第3章:王都がんパニックと、秘密の夜間回診(第1話)

「せ、聖女様……。今、何百人とおっしゃいましたか?」

ロバートが、引きつった笑みを浮かべたまま、壊れた操り人形のように首をギギギと聖女へ向けた。

その背中で、俺の白衣の裾を掴むロバートの指先が、さっきの手術の時より激しく震えている。

「ええ、ドクター・ロバート。あの『純白の真珠クリーム』は、王都の最高級錬金工房が総力を挙げて売り出した、今シーズン最大のヒット商品なのです。王宮の夜会に出席するような名門貴族の婦人、令嬢、果ては王族の方々に至るまで、競うように顔へ塗りたくっていますわ」

聖女は悲痛な面持ちで、ぎゅっと胸の前で手を握りしめた。

「もし、あれが本当に悪魔のしこり(がん細胞)を作り出す毒なのだとしたら……。そして、それを神殿の神官たちが良かれと思って『ヒール』で大増殖させてしまっているのだとしたら、王都は遠からず、顔に化け物を宿した貴婦人たちで埋め尽くされてしまいます……!」

(想像したら地獄絵図だな、おい)

俺は一歩下がったポジションで、冷や汗が流れるのを禁じ得なかった。

原因物質(発がん性プロモーター)が王都中に流通し、さらにそれを『超加速』させる回復魔法の総本山(神殿)が全自動で火に油を注ぎ続けている。医療崩壊なんて生易しいレベルじゃない。ガチの薬害パニックだ。

「ど、ドクター……。どうか、神殿へ来て、神官たちにその『エビデンス』の概念と、しこりの切り取り方を教えてはいただけないでしょうか。もちろん、お礼は神殿が全力を挙げて支払います!」

聖女がすがるような目でロバートを見つめる。

ロバートの目が「セラム殿! どうしよう! 神殿の講師なんてなったら、目立ちすぎて宮廷の追手に一発でバレる! でも断ったら不敬罪!」と、完全に限界を迎えて白目を剥きかけていた。

よし、助手の出番だな。

「失礼いたします、ロバート先生」

俺はすっと二人の間に割って入り、いかにも「事務的な補佐」というトーンで声を落とした。

「聖女様、お言葉ですが、我がドクター・ロバートの医術は、長年の緻密な研究とラボワーク(検査)の連携によって成り立つ、極めて繊細なものです。一朝一夕で神殿の神官たちが真似できるものではありません。特に、先ほどお見せした『がん細胞と正常組織の境界を見極める眼』がなければ、生兵法はかえって患者の顔をズタズタにするだけです」

「それは……」

聖女が言葉を詰まらせる。確かに、ロバートが迷いなくメスを動かせたのは、俺が網膜に投影した【術中エコー】の完全なナビゲーションがあったからだ。魔法しか使えない神官たちが真似をすれば、がん細胞を取り残して再発させるか、あるいは顔面神経を切って顔を麻痺させるのがオチだ。

「それに」と、俺はさらに言葉を続ける。「ドクターは現在、この貧民街の市井の患者たちを救うという崇高な義務を背負っておられます。昼間にここを空けるわけにはまいりません」

(嘘だけどな。定時で帰りたいだけだ)

ロバートが背後で「そう、そうなのだ!」と、我が意を得たりとばかりに深く頷いている。

「無礼な助手ね! この私が神殿に掛け合って、この診療所ごと王都の一等地に買い取らせてあげても良くてよ!? お金ならいくらでも──」

「──お待ちなさい、御婦人」

遮ったのは、ロバートだった。

俺の意図を察したのか、彼はフッ……と不敵に笑い、再び「孤高の天才医」のスイッチを入れた。

「我が助手の言う通りだ。私の医術は、権力や金で動く安価な見世物ではない。……だが、無知な医療によって命が失われていくのを、この私が看過すると思うかね?」

彼は堂々と腕を組むと、机の上の美肌クリームの壺を指差した。

「まずは、この『呪いのクリーム』の流通を即座に止めなさい。神殿の権力を使えば、販売停止に追い込むことなど容易なはずだ」

「はい、それはすぐにでも!」

「シャドウ・ウルフの油(発がん物質)に曝露ばくろし、すでに発症している、あるいは疑いのある患者については……」

ロバートは一瞬、俺の方をチラリと見た。俺は指を三本立て、時計の針を指すジェスチャーを送る。

(午後8時以降、1日3人まで。それ以上は残業になるから絶対NGだ)

ロバートはその意図を完璧に翻訳し、厳かに告げた。

「──夜間だ。日の沈んだ後、お忍びでこの診療所へ連れてきなさい。一晩に付き、上限は3人まで。私が直々に、その化け物を根こそぎ切り伏せてやろう」

「夜間の、隠密回診……!」

聖女の目が、崇拝の光でキラキラと輝きだした。

「分かりました、ドクター・ロバート! すぐに神殿へ戻り、極秘裏に重症者のリストを作成します。この御婦人の身内の令嬢にも、すでに初期のしこりが出ている者がおりますので、今夜、第一陣を連れてまいります!」

「ふむ。遅れないようにしなさい。我が診療所の夜間受付は、時間が厳格なのでね」

(よし、よく言ったロバート先生。夜間手当はきっちり3倍で請求書に上乗せしておいてくれよ)

こうして、大満足した貴婦人と聖女は、金貨が詰まったずっしりと重い袋を机に置き、嵐のように去っていった。

静まり返る診療所。

ドアが完全に閉まったのを確認した瞬間──

「セラム殿ォォォ!!! 夜間回診って何!? 一晩に3人もがんの手術するの!? 俺の心臓が保たないよ、死んじゃうよぉぉぉ!!」

ロバートが机に突っ伏して、情けない声を上げて大号泣した。

「静かにしてください、ロバート先生。まだ午前10時です。今日の分の通常外来が始まりますよ。ほら、涙を拭いて、次の患者さん(ただの風邪)を呼んでください」

俺は冷徹にカルテをめくりながら、今夜の「裏のシフト表」を脳内で組み立て始めるのだった。

よろしければ何点でも構いませんので評価やコメントをいただけると嬉しいです。

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