第3章:王都がんパニックと、秘密の夜間回診(第2話)
午後8時。ボロ診療所の勝手口が、規則正しく3回ノックされた。
トントン、トン。
「……来たな」
俺は手元の懐中時計をパチンと閉じた。定時をとうに過ぎ、深夜手当(自称)が発生する時間枠のスタートだ。
ドアを開けると、そこにはフードを深く被った聖女の姿があった。そしてその背後には、同じく顔をベールで隠した、いかにも育ちの良さそうな若い女性が3人、恐怖に肩を震わせて立っている。
「夜分遅くに恐れ入ります、ドクター・ロバート、助手殿。約束通り、初期症状の著しい者を3名、お連れいたしました」
「ふむ、案内しなさい。セラム、トリアージ(優先度判定)だ」
診察室の奥から、すでに完璧な「天才医モード」をまとったロバートが厳かに声をかける。
「はい、先生。では最初の方、こちらへどうぞ」
俺は1人目の令嬢を診察用の椅子へ促した。ベールを外すと、彼女の右の目尻の少し下に、小さな大豆ほどのしこりがあった。
すかさず俺の脳内システムが起動する。
──【生体分析:スクリーニング】
【患者:1人目(伯爵家令嬢)】
【病変:右眼窩下部、直径8ミリメートル】
【診断:初期腺癌。境界明瞭、周囲の重要神経・血管への巻き込みなし】
(よし、クリアだ。この位置なら眼を動かす神経(動眼神経)からも離れている。ロバート先生、10分コースだ)
俺は素早く羊皮紙に『右眼窩下部、マージン1ミリ、顔面神経回避ルート、術後ヒール可』と書き殴り、ロバートの机に滑り込ませた。
ロバートはチラリとそれを見るや、不敵に笑う。
「お嬢さん。少しチクっとするが、すぐに感覚が消える。怖がらなくていい」
手慣れた手つきで局所麻酔を打ち、俺が脳内に投影する青いガイドラインに沿ってメスを走らせる。1ミリのブレもない。パチンとモスキートペアンで微小血管をクランプし、俺がガーゼで血を吸い取る。
しこりを一塊として皿の上に落とすと、ロバートはすぐさま純白の魔力を右手に込めた。
「──ヒール」
傷口が魔法によって美しく融合し、十数分後には、令嬢の目元には赤みすら残らない完璧な素肌が戻っていた。
「あ……! 消えた……、本当に消えたわ……!」
鏡を見た令嬢が歓喜の声を上げる。
「次の患者を」
ロバートは汗ひとつかかぬポーカーフェイスで告げた。もちろん、裏で俺のイメージングナビがフル稼働しているからこそのノーミスなのだが、聖女と令嬢たちの目には、彼が神の如き手際を持つ絶対的な名医に見えているはずだ。
続いて2人目の令嬢。こちらも左顎の下の初期がん。俺のナビに従い、ロバートはわずか12分で完全切除と魔法閉創をやってのけた。
そして、最後の3人目。
椅子に座った令嬢が震える手でベールを外した瞬間、ロバートの眉がピクリと跳ね上がった。
(……おいおい、これはちょっとマズイぞ)
彼女の左の頬、ちょうど鼻の横から上唇にかけて、ピンポン玉ほどの巨大なしこりが赤黒く盛り上がっていた。先の2人とは明らかにステージが違う。
──【生体分析:深度プロファイル】
【患者:3人目(公爵家次女)】
【病変:左上顎部、直径35ミリメートル】
【危険度:高。腫瘍の底部が『上顎動脈』および『眼下神経』の直上に達している】
【警告:このままメスを入れれば、大出血、あるいは顔面半分の永久麻痺を引き起こすリスク大】
(チッ……! かなり深いところまで根を張ってやがる。高級クリームをドバドバ塗りたくった挙句、神殿のヒールを何十回も重ね掛けされたな……。境界線が神経と血管に完全にベッタリ癒着してやがる)
俺の脳内モニターに、真っ赤に点滅する警告アラートが浮かび上がる。
この世界の野蛮な外科医術なら、間違いなく神経ごと肉を削ぎ落とし、顔を半分歪ませて終わるケースだ。
ロバートが俺の方をチラリと見る。その目は「セラム殿! これ無理! メス入れたら動脈ブチ切れるよ!?」と、完全に引きつっていた。
聖女が悲痛な声を上げる。
「ドクター・ロバート……。この方は公爵家の令嬢で、数日後に王太子殿下との婚約発表を控えているのです。ですが、神殿でヒールをかけるたびにしこりが巨大化し……。どうか、彼女をお救いください……!」
診察室に、重苦しい絶望の静寂が広がる。
ロバートは組んだ腕の中で、じっと俺の次の指示を待っている。
俺は静かに、衝立の裏の作業机へと向かった。
(……定時はとっくに過ぎてる。だけど、ここで大出血を起こされて診療所を血の海にされるのは、その後の掃除(残業)が面倒くさすぎるな)
俺はペンを執り、羊皮紙に「特別な術式」を書き込み始めた。
(ロバート先生。普通のメスじゃ無理だ。血管と神経を傷つけずに、がん細胞『だけ』を綺麗に剥がす、ミクロの解剖学(剥離術)をやるぞ
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