第2章:聖女様のご来店と、恐怖の美肌クリーム(第2話)
「い、忌まわしきもの……? 私が毎日、顔に塗っているもの、ですって……?」
貴婦人は涙に濡れた目を丸くし、自分のバッグ(最高級のマジック収納付きポーチ)を愛おしそうに、そして恐怖を込めて抱きしめた。
「まさか……これを疑うの? これは王都の超一流錬金術師が、希少な魔獣の白油脂を配合して作った、一壺で金貨五十枚もする最高級の『純白の真珠クリーム』よ!? 塗るだけで肌が十歳若返ると、王宮の夜会でも大流行している高貴な化粧水なのに……っ!」
「高貴か、あるいは命を刈り取る死神の油か。決めるのはあなたの感情ではなく、我が助手の『分析』だ。セラム、検体を回収しろ」
ロバートが顎でクイッと合図する。
俺は一歩前に進み出ると、貴婦人の前に恭しく手を差し出した。
「恐れ入ります、御婦人。その一壺をお貸しください」
貴婦人はひどく躊躇していたが、ロバートの放つ「すべてを見抜いた名医」の冷徹な視線に気圧され、震える手でポーチから小さな、見事な細工の施された陶器の壺を取り出した。
受け取った瞬間、ふわりと、異様に甘ったるい香料の匂いと、微かな魔力の温もりが鼻腔をくすぐる。
俺はそれを持ち、部屋の隅にある衝立の裏の作業机へと引き下がった。もちろん、ここにも分析装置なんてものは一台もない。ただの薄汚れた木机だ。
だが、俺が壺の蓋を開け、その純白のクリームにそっと指先を触れた瞬間、脳内のシステムが猛烈なスピードで駆動を始める。
──【生体分析:成分プロファイル】、起動。
【検体:未知の脂質性軟膏】
【主成分:変異型魔獣の骨髄油脂、香料、有機溶媒】
【異常検出:特定成分『変異性魔力因子・Δ(デルタ)』を検出】
【毒性評価:強力な細胞変異誘発性(発がん性)あり。上皮細胞のDNA塩基配列を不可逆的に破壊、細胞の無限増殖(がん化)をトリガーする超高リスク物質と判定】
(ビンゴ。やっぱりな……。シャドウ・ウルフの骨髄油脂かよ。細胞の『再生・若返り』を促す魔力因子が、抽出の過程で劣化して『細胞の暴走(がん化)』を引き起こす最悪の変異毒に化けてやがる。これを毎日顔の皮膚に塗りたくってりゃ、局所の細胞がブチ切れてがん化するに決まっている)
前世の病院でも、特定の化学物質に曝露し続けた結果、がんを発症した患者を数多く見てきた。この世界では、その原因が「錬金術の失敗作」というわけだ。
俺は素早く羊皮紙の切れ端を取り出し、『真犯人:クリーム内の魔獣油脂(細胞変異毒)』『しこりの範囲:下顎リンパ節への転移なし、境界明瞭』『術式:局所浸潤麻酔の後、紡錘形に切開、一塊として完全切除』と殴り書きした。
正式な処方箋を持ってきたふりをして、ロバートの手元に滑り込ませる。
カンペを見たロバートは、一瞬だけ「シャドウ・ウルフ……?」と目を点にしたが、すぐにフッ……と不敵な笑みを浮かべ、大仰に腕を組んで貴婦人の前に歩み出た。
「御婦人、そして聖女よ。真実が証明されました。……その美肌クリームこそが、あなたの顔に悪魔のしこりを生み出した『呪いの元凶』です」
「な……んですって……!?」
貴婦人が悲鳴を上げる。
「そのクリームの主成分たる魔獣の油には、皮膚の細胞の設計図(DNA)を根底から破壊し、細胞を狂わせる致命的な変異毒が含まれている。若返りの魔法だと思って塗っていたものは、ただの『がん細胞製造薬』だったのだよ」
「そんな、そんなことが……」
聖女が絶望に満ちた声を漏らす。王宮の夜会で大流行しているということは、これと同じしこりに苦しむ貴婦人が、これから王都中に溢れかえるということを意味しているからだ。
「ドクター・ロバート! では、この方の命は……もう……」
「フッ、慌てなさんな聖女。我が助手の完璧なるラボワークにより、幸いにもその『がん細胞』はまだ頬の局所に留まり、体の奥深く(リンパ節)までは侵入していないことが判明している。……今すぐ、私の手でその化け物の根元を断ち切る!」
ロバートは机の引き出しから、入念に煮沸消毒された鋭利な「メス」を取り出した。この世界では、外科手術なんて野蛮な行為は廃れきっている。だが、ロバートは宮廷を追われる身となる前、エビデンスに基づいた解剖学と外科医術を密かに修めていた数少ない医師だった。
「メ、メス……!? 待ちなさい、私の顔に刃物を入れるというの!? 傷が残ったらどうするのよ!」
貴婦人が恐怖で顔を覆う。
「傷を恐れて命を落と旧か、それとも我が医術を信じて生きるか。選ぶのはあなただ。……セラム、灯り(ライト)の準備を」
「はい、先生」
俺は一歩下がり、術野を照らす魔導ランプの位置を調整した。ここからは医師の領域だ。
ロバートは懐から小さなアンプルを取り出すと、手慣れた手つきで注射器に無色透明の液体を吸い上げた。
「怖がらなくとも良い。我が医術において、苦痛などという非科学的なノイズは存在しない。宮廷医術の真髄、『局所浸潤麻酔』だ」
ロバートが貴婦人の頬のしこりの周囲へ、的確に針を刺していく。薬液がじわじわと組織に浸透し、神経の伝達をブロックしていく。流石は元宮廷医、外科的処置の基本が完全に身体に染み付いている。
「……あら? 頬の、感覚が……消えた……? 触られているのは分かるのに、痛みが、何も……」
貴婦人が呆然と呟く。
「フッ……。麻酔の効果を確認。──さあ、聖なるオペの始まりだ」
ロバートがメスを美しく構え、貴婦人の頬へと刃先を向けた。
その裏で、俺は【生体イメージング(エコー)】を静かにフル稼働させる。大がかりな手術室のモニターはないが、俺の脳内データを、ロバートの術野へ『光のガイドライン』として重ねて見せることなら、検査技師のサポート(術中エコー)の範疇だ。
(よし、ロバート先生。お前の網膜に、がん細胞と正常組織の『境界線(安全マージン)』を青いラインで投影した。その線の外側をなぞるように、1ミリもブレずにメスを動かせ。お前の腕なら、綺麗に剥離できる!)
ロバートの瞳が、俺の示した青いラインを捉えて鋭く輝いた。
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