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『万能鑑定士? いいえ、裏方の臨床検査技師です 〜手柄は全部相棒の医者に押しつけて、私は貧民街で定時退社を目指します〜』  作者: 波留馬 喬


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第1章:貧民街のボロ診療所と、サボテンの呪い(第3話)

「おいセラム殿、大変だ! 大変なことになってしまった!」

翌朝、午前8時55分。

俺が診療所のドアを開けるやいなや、ロバートがすっ飛んできた。その手には昨日の大公爵が置いていった金貨の袋ではなく、一枚のきらびやかな羊皮紙が握られている。

「おはようございます、ロバート先生。まだ始業5分前です。業務の話なら9時を過ぎてからにしてください」

「そんな悠長なことを言っている場合じゃないんだ! これを見てくれ!」

無理やり押し付けられた羊皮紙には、大層な金箔の紋章とともに、流麗な文字でこう書かれていた。

『偉大なる神の眼を持つ名医ロバートへ。昨夜の奇跡的な呪解の手腕、聞き及んでおります。つきましては、我が教会の高貴なる知人が抱える「悪魔の腫物」について、ぜひあなたの神託を仰ぎたく──』

差出人は、王都の神殿に籍を置く最高位の『聖女』。

いわゆる、治癒魔法ヒールの総本山のトップエリートだ。

「……セラム殿、昨日の今日でもう噂が王都の上層部に届いちゃったよ! 聖女様直々の指名だよ! これ断ったら俺、今度こそ不敬罪で地下牢にぶち込まれる!」

「言わんこっちゃない。だから昨日あんなに目立つドヤ顔をするなと言ったんです」

俺は白衣を羽織りながら、あきれてため息をついた。

時計の針が9時を指す。よし、ここからは勤務時間だ。切り替えていこう。

「要するに、その聖女様とやらが『治癒魔法でも治せないしこり』を抱えた患者を、近々ここに連れてくるってことですね?」

「近々じゃない、今さっき『本日お忍びで伺います』って魔導通信が入ったんだよ!」

「は?」

その瞬間だった。

診療所のボロい木のドアが、遠慮がちに、しかしはっきりと三回ノックされた。

ロバートと二人で顔を見合わせる。

ロバートは慌てて髪を整え、いつもの「孤高の名医」の顔を作って深く椅子に腰掛けた。俺はいつものように、一歩下がって無口な助手のポジションにつく。

「……入りなさい」

ロバートが厳かに声をかけると、ドアが開いた。

入ってきたのは二人連れの女性だった。一人は全身を地味な灰色のローブで包んでいるが、隙間から見える金髪と聖なるオーラを隠しきれていない。おそらく彼女が『聖女』だろう。

そしてもう一人。同じく顔をベールで隠しているが、身にまとっているドレスは隠しようもなく一級品。歩き方ひとつとっても、平民を見下ろすような高慢なオーラがにじみ出ている貴婦人だ。

「あなたが、大公爵の呪いを一瞬で解いたという異端の医師ロバートですね?」

ローブの隙間から、鈴を転がすような澄んだ声が響く。聖女だ。

「ふむ……。聖女様がわざわざ貧民街のボロ診療所に足を運ぶとは。それで、そちらの御婦人が、件の『悪魔の腫物』に怯える患者、ということでよろしいかな?」

「ええ。お忍びですのでお名前は伏せますが、王都でも非常に影響力のあるお方です。……さあ、ドクターに見せて差し上げなさい」

聖女に促され、高慢な貴婦人は忌々しそうにベールを跳ね上げた。

現れたのは、確かに美しい顔立ち。しかし、その左の頬、顎に近い部分に、梅干しほどの大きさの不気味な「しこり」が盛り上がっていた。

「……これよ」

貴婦人は屈辱に震える声で言った。

「ある日突然、顔にこの醜いしこりができたの。王都の最高位の神官たちに、何度も、何度も最上位の治癒魔法ヒールをかけてもらったわ。でも……治るどころか、魔法をかけるたびに、このしこりは信じられない速さで大きくなっていくのよ! 神官たちは『これぞ神の罰、悪魔の呪いだ』と言って匙を投げたわ! 私は、私はどうなるの!?」

貴婦人は半狂乱になってロバートの机を叩いた。

ロバートの顔が、一瞬で引きつる。

(セ、セラム殿……ヒールをかけるたびに大きくなるしこりだって!? 本当に悪魔の呪いなんじゃ……!)

机の下で、ロバートの足がガタガタと震え、俺のすねを小突いてくる。

俺は小さく息を吐き、貴婦人の顔へ一歩近づいた。

(ヒールをかけるたびに、大増殖するしこり……。まさかな)

この世界の治癒魔法ヒールは、ただの『細胞増殖・活性化魔法』だ。

もし、そのしこりの正体が、俺の予想通りだとしたら──ヒールをかける行為は、火に油を注ぐどころか、核爆弾を落とすようなものだ。

俺は貴婦人の横に立ち、「失礼します。診察の補助を」と声をかけ、手袋をはめた手で、その頬のしこりにそっと触れた。

触診。硬い。周囲の組織に固着しているような、嫌な硬さだ。

すかさず、脳内でコマンドを入力する。

──【組織・細胞診パソロジー】、および【生体分析アナライズ】、同時起動!

瞬間、俺の脳内に、そのしこりの内部のミクロの世界が爆発的なスピードで展開された。

顕微鏡を覗くまでもない。脳内に投影された細胞のグラフィックは、あまりにもグロテスクで、あまりにも無秩序だった。

細胞の形が完全に崩れている。核が異常に巨大化し、いびつに歪み、ものすごい勢いで細胞分裂を繰り返している。血管が不自然に引き込まれ、周囲の正常な組織を侵食しながら増殖していくその姿。

HE染色ヘマトキシリン・エオジンせんしょくのイメージが脳内で赤紫に染まる。

【組織診断:悪性腫瘍(低分化腺癌)】

【進行度:局所浸潤あり。遠隔転移(現時点でマイナス)】

【生化学データ:腫瘍マーカー異常高値、代謝活性異常】

(……クソ、最悪だ。呪いでも何でもない。ガチの**【悪性腫瘍がん】**じゃねえか。しかも、ヒール(細胞増殖魔法)を何度もかけられたせいで、がん細胞が栄養を吸いまくって超マッハでステージを進めてやがる……!)

さらに俺は、貴婦人の肌の表面に残る、微かな魔力の残滓ざんさいと成分を【生体分析】で引っ掛けた。

(……待てよ。この代謝異常のパターン、見覚えがあるぞ。前世の文献で読んだ発がん性物質の作用にそっくりだ。……この魔力の波形、王都の貴婦人の間で大流行しているっていう、あの超高級な『魔獣のオイル入り美肌クリーム』の成分か!? 原因はそれだ。高級クリームのせいでがんになり、無知な神官のヒールでがんを育てられたんだ、この人は)

真実のデータは出揃った。

一刻を争う。これ以上ヒールをかけたら、本当に全身に転移してゲームオーバーだ。

俺はすぐさま、ロバートの死角にある羊皮紙に、文字ではなく、大きなバツ印(×)と、**『悪性腫瘍がん』『ヒールは絶対に厳禁(即死トラップ)』『メスでの切除が必要』**というキーワードを殴り書きした。

そして、わざとらしくカルテを渡すふりをして、ロバートの手元にそのカンペを滑り込ませた。

カンペを盗み見たロバートの顔が、恐怖で一瞬にして真っ白になる。

(ひ、ヒール厳禁!? 即死トラップ!? メスで切るって、顔を切り裂くの!?)

ロバートの目が「セラム殿、これ本当に俺が言うの!?」と絶叫している。

(いいから早く喋れ、このドヤ顔ドクター。これ以上もたついたら、このおばさん死ぬぞ)

俺は目で強烈なプレッシャーをかけた。

ロバートはゴクリと唾を飲み込むと、意を決したように椅子の背もたれにドサリと寄りかかった。

そして、フッ……と冷徹な笑みを浮かべ、バンッ!!! と激しく机を叩いた。

「ひゃっ!?」

貴婦人と聖女が、恐怖で肩を跳ね上げる。

「聖女よ、そしてそこの御婦人。……今すぐ、その醜悪なヒール(治癒魔法)の使用を全面中止しなさい!!」

ロバートの怒号が、狭い診療所に響き渡った。

よろしければ何点でも構いませんので評価やコメントをいただけると嬉しいです。

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