第1章:貧民街のボロ診療所と、サボテンの呪い(第2話)
「お、おいセラム殿ォ! 帰ったんじゃなかったのか!?」
診療所の奥から顔を出したロバートが、情けない悲鳴を上げた。だが、俺の後ろに控えるガチガチのフルプレートアーマーを着込んだ護衛たちと、毛皮の外套に身を包んだ男の異様な威圧感を察した瞬間、その表情がピキッと硬直する。
(セ、セラム殿……何この人たち!? 明らかに貧民街の住人じゃないよね!? 宮廷の刺客!? 俺消されるの!?)
目がそう訴えている。顔が引きつっているぞ、ドクター。
だが、そこは元宮廷医だ。男がただ事ではない苦痛に顔を歪め、股間を押さえて脂汗を流しているのを見た瞬間、ロバートの瞳にプロの光が灯った。
「ふむ……尋常ならざる気配。ただの患者ではなさそうだが……まずはそちらの長椅子へ。我が診療所に足を踏み入れた以上、身分も過去も関係ない。ただの病人と医者だ」
フッ、と髪をかき上げ、一瞬で「孤高の天才名医」のオーラをまとうロバート。流石の切り替えの早さだ。これがあるから、この男に手柄を押し付けるのは罪悪感が湧かない。
「う、うむ……。私が誰であるかは、今は伏せさせてもらう……。だが、一刻を争うのだ……。昨晩から、下腹部と腰のあたりに、まるで灼熱のナイフで抉られるような激痛が走り……先ほど、用を足したところ、信じられんことに『血』が出たのだ……!」
男──裏社会を牛耳る大公爵は、長椅子に崩れ落ちるように座り込み、息も絶え絶えに訴えた。
「王都の宮廷医術師どもは、口を揃えてこう言った……。『これは政敵が放った、内臓を腐らせる闇の呪殺魔法である』と。神官どもが治癒魔法を何度もかけたが、痛みが和らぐどころか、ますます激痛が酷くなる一方なのだ……! もう、私には時間が残されていないのか……!」
大公爵の顔は絶望に染まり、護衛たちは悲痛な表情で拳を握りしめている。
(あー、出た出た。なんでもかんでも『呪い』って言えば済むと思うなよ異世界の無能医ども……。あと、原因を特定してないのに治癒魔法を乱打するな。細胞が活性化して余計に痛むに決まってんだろ)
俺は心の中で盛大にため息をつきながら、ロバートの背後に回った。
ロバートはキリッとした顔のまま、机の下で俺の袖をグイグイと引っ張ってくる。
(セラム殿! セラム殿助けて! 闇の呪殺魔法だって! そんなの俺の魔法医術じゃ解呪できないよ! あとヒールが効かないってことは本当に手遅れなの!?)
「ドクター。まずは落ち着いて『検体』の採取を」
俺は極めて冷静な声で言い、あらかじめ用意しておいた、日本の病院でもよく使われる小さな採尿カップをロバートの手に握らせた。
「ふむ……。閣下、まずはこの聖なる容器に、あなたの検体(尿)を。どれほど強力な呪いであっても、私の『裏付け(ラボワーク)』にかかれば、その正体を暴けぬものはありません」
「う、うむ……分かった……」
大公爵が護衛に支えられながら衝立の奥へと向かう。
数分後、戻ってきたロバートの手には、明らかに赤茶色く濁った液体が入ったカップが握られていた。
「セラム殿、頼む……!」
「はいはい。17時過ぎてるので超特急で行きますよ」
俺はカップを受け取ると、大公爵たちからは見えない衝立の裏の作業机へ向かった。顕微鏡も、遠心分離機も、試験紙もないボロ机だ。
だが、今の俺にはそれ以上のものがある。
俺はカップにそっと指先を触れ、脳内でそのコマンドを引き出した。
──【排泄・体腔液分析】、発動。
瞬間、俺の視界に鮮やかなホログラムのようなウィンドウがポップアップし、瞬時に尿の成分データが展開される。
【尿定性:潜血(3+)、蛋白(±)、比重(1.025)、pH(5.5)】
【尿沈渣イメージング:赤血球多数、白血球少数、尿細管上皮少数、円柱、】
【異常所見:正八面体型とビスケット型の結晶多数。成分:シュウ酸カルシウム】
(ビンゴ。比重は高いな、水分不足だ。そしてこの沈渣のグラフィック……、おおう、見るからに痛そうだ。サボテンかトゲ付きの鉄球みたいな形のシュウ酸カルシウム結晶が、尿道の中にびっしり浮いてやがる)
続けて、俺はさりげなく長椅子でぐったりしている大公爵の横を通り過ぎる際、その脇腹のあたりに一瞬だけ手を触れた。
──【生体イメージング(エコー)】、起動。
俺の脳裏に、大公爵の尿管の立体3Dエコー画像が映し出される。
左の尿管の上部、ちょうど狭窄部(狭くなっている場所)に、直径6ミリほどの小さな「石」がしっかりと詰まり、それより上流の腎盂が痛々しく腫れ上がっていた。
(はい、確定。呪いでも何でもない。ただの激痛王、【尿路結石】だ。石のトゲが尿管の粘膜をガリガリ傷つけてるから血尿が出てるんだよ。高級な肉とチーズばっかり食べて、水も飲まずにワインばっかり浴びてるからこうなるんだ。自業自得だな、公爵様)
原因さえ分かれば、やることは一つだ。
俺は素早く羊皮紙の切れ端に、文字ではなく「ミクロのサボテンの絵」と「結石の場所の図」、そこで行う処置の指示を殴り書きした。
机の下から、そっとロバートの手にその紙きれ(カンペ)を忍ばせる。
紙を見たロバートの目が、一瞬で点になった。
(な、何これセラム殿……。サボテン? 石? 呪いじゃないの!?)
(いいからその通りにドヤ顔して喋ってください。17時半までに帰りたいんです)
目でお互いに強烈なアイコンタクトを交わす。
コホン、とロバートはわざとらしく咳払いをすると、長椅子の公爵の前へ堂々と歩み出た。
その顔には、先ほどまでの焦りは微塵もない。すべてを見通した「神の眼を持つ医師」の不敵な笑みが浮かんでいた。
「……閣下、安心なさい。闇の呪殺魔法など、この世には存在しません」
「な、何だと……!?」
大公爵が、驚愕に目を見開く。
「宮廷医術師たちが見誤ったのも無理はない。彼らは『マクロ』の表面しか見ていない。だが、我が助手の精密なるラボワークは、あなたの体内の一滴から『ミクロの真実』を導き出した。──あなたの病名は、呪いではなく『尿路結石です!」
「にょ、にょうろ……けっせき……?」
「左様! あなたの体内で、サボテンのごとき鋭利な『結晶のトゲ』が生まれ、それが内側の細き管をガリガリと傷つけている。だから血が出る。だから悶絶するほどの激痛が走るのです! 最近、贅沢な肉や乳酪ばかりを食し、清らかな水を飲むのを怠っていたのではないですか?」
図星を突かれた大公爵が、「はひっ!?」と情けない声を上げてのけぞった。護衛たちも「確かに閣下は最近、水を一切飲まずにヴィンテージの高級ワインばかりを……!」とガタガタ震え出している。
「フッ……。ヒールが効かなかったのも当然。原因たる『石』を取り除かねば、いくら細胞を活性化させても、傷口をさらに石で抉るだけの拷問に等しい。……だが、案じ召されるな。我が奥義をもって、その石を内側から粉砕してご覧にいれましょう」
ロバートが格好良く右手を突き出す。
その手の平の先にある大公爵の脇腹に向けて、俺は背後からそっと自分の手をかざした。
──【生体イメージング】の周波数を変更。結石粉砕用の「衝撃波(超音波体外衝撃波)」を出力制御。
(位置固定……。カウント、スリー、ツー、ワン、照射!)
パチッ、と空気の弾けるような微かな音が診療所に響く。
ロバートの手の平から、目に見えない超音波の衝撃が公爵の結石へピンポイントで叩き込まれた。
「……あ、あ、あれ?」
次の瞬間。大公爵の顔から、あの地獄のような苦悶の表情が嘘のように消え去った。
腎臓の腫れが引き、管を塞いでいた石が綺麗に砂状に砕けて流れ落ちていくのを、俺の脳内エコーが確認する。
「痛みが……消えた……? 嘘だろ、あんなにのたうち回っていた激痛が、一瞬で……!?」
大公爵は自分の腹を叩き、信じられないというように立ち上がった。
「おお……おおお! 本当に呪いが解けた! いや、石が砕けたのか!? 素晴らしい……これが、宮廷を追われた天才医師の力か……!」
「ハッハッハ! エビデンス(根拠)なき医療に救いはありません。閣下、あとは今夜、水を浴びるほどお飲みなさい。砕けた砂がすべて排出されれば、完全なる元通りだ」
完璧なドヤ顔で腕を組むロバート。大公爵と護衛たちは、まるで本物の神を見るかのような畏怖の眼差しでロバートに何度も頭を下げ、金貨がぎっしり詰まった革袋を机に置いた。
「恩に着る、ドクター・ロバート。この御恩、決して忘れん……!」
嵐のような大物たちが去っていき、診療所に静寂が戻る。
ガチャン、とドアが閉まった瞬間、ロバートは机の上の金貨の袋を掴んで俺の前にスライディングしてきた。
「セラム殿ォォォ! 今の俺のセリフどうだった!? 『エビデンスなき医療に救いはない』って、めちゃくちゃ格好よくない!? あと尿路結石って何!? 凄すぎるんだけど!」
「はいはい、100点満点です。その金貨で、明日は高級なエールを奢ってくださいね」
俺は魔石の懐中時計を見る。時刻は17時25分。
「よし、25分の残業ですが、これだけのボーナスが出るなら許容範囲内です。今度こそ、私は冷えたビールを飲みに行ってきます。お疲れ様でした」
「えっ、ちょ、セラム殿! まだ片付けが──」
後ろ髪を引く相棒の声を無視して、俺は今度こそ貧民街の夜へと滑り出す。
今日も裏方として完璧な仕事をこなし、手柄は全て医者に押し付けた。最高の定時退社(ちょっと過ぎたけど)の始まりだった。
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