[第8章]黄色い目のふたご姫と、禁断の果実(第3話)
ベッドの上のふたごの姫の一人が、ヒッ、と短い悲鳴のような声を上げ、全身を硬直させて激しく痙攣し始めた。
「ひぃっ!? 姫君が……!?」
「な、何が起きたのだ!?」
慌てる室内の中心で、セラムの目が鋭く見開かれた。手帳に文字を書いている時間などない。
一分一秒の遅れが、乳児の脳に致命的な後遺症をもたらす。
セラムは部屋の隅から、ロバートのすぐ背後へと一歩で間合いを詰めた。
周囲の神官たちの喧騒に紛れ込ませるように、ロバートの耳元へ向けて、低く、しかし極めて明瞭で鋭い声を叩き込んだ。
「先生、核黄疸です。ビリルビンが脳の基底核に沈着し、中枢神経症状が始まりました。一刻を争います、今すぐ往診鞄の底に入れた『例の茶色い遮光瓶』を最大量、経口投与してください!」
(……診療所で話を聴いた時点で十中八九、重症黄疸を予測していた。以前、マリアアザミに似た薬草の種子から精製してストックしておいた、シリビニン含有オイルを持ってきて正解だった)
ロバートの身体がビクリと反応する。背後にいる相棒がなぜあのボトルを事前に忍ばせていたのか、その意図を瞬時に理解した。
「わ、分かった……!」
ロバートは即座に鞄の奥からセラム特製の遮光瓶を取り出すと、痙攣する姫たちの口内へ、その緑がかった油を手際よく滴下した。
これで肝細胞へのこれ以上の毒素取り込みを遮断する。
しかし、セラムの指示はそれだけでは終わらない。彼は神官たちが掲げる杖の「光」を真っ向から睨みつけ、さらに言葉を続けた。
「それから、神官たちのその無駄に強い光の魔力を使います。先生、彼らに『青緑色の波長』に変化させた光を、姫たちの全身の皮膚へ均一に浴びせるよう命令してください。早く!」
「よし、任せろ!」
ロバートは大きく息を吸い込むと、まだ混乱している神官たちに向かって、雷のような怒号を浴びせた。
「神官諸君! 太陽神の光を信仰しているのなら、今すぐその魔力を私の指示する位置へ照射し給え! 姫君たちの全身の皮膚へ、青緑の波長に変えた魔力光を均一に浴びせるのだ!」
「な, 何だと!? 聖なる魔力をそんなことに……」
「ブツブツ言うな! 脳が焼ける! 姫君たちの命を救う『神の光』になりたいのだろう! 早くしろ!」
ロバートの圧倒的な剣幕と「脳が焼ける」という恐ろしい言葉に押され、高位神官たちが慌てて手をかざした。ベッドが青白い魔力の光で満たされていく。
背後に一歩退いたセラムは、その光を見つめながら、心の中で生化学の数式を組み立てていた。
(……これでいい。青緑色の光(波長450〜460nm)は、水に溶けない未抱合型ビリルビンを光異性化させ、水に溶ける構造へと変化させる。機能の落ちた肝臓を介さずとも、尿や胆汁から直接、毒素を体外へ排泄できる)
生化学のロジックに基づいた的確な処置により、効果は劇的に現れた。
ものの数十分もしないうちに、姫たちの激しい痙攣がすうっと収まり、荒かった呼吸が穏やかなものへと変わっていく。
さらに、シーツに敷かれたおむつが、排泄された大量のビリルビンによって、濃い茶褐色に染まった。
それと同時に、あれほど不気味に変色していた姫たちの肌と目の白さが、またたく間に本来の、抜けるような美しい乳白色へと戻っていった。
「おお……! 黄金の光が消えていく……!」
「元の、可愛らしいお姿に戻られた……っ!」
王妃が歓喜の涙を流してベッドへ縋り付き、宮廷医官たちは「神がかり的な医術だ……」とロバートの前に平伏した。
「ふははは! 見たかね諸君! これぞ我がロバートの医術! 『黄金の祝福』の正体は、ただの毒素による内臓の悲鳴だったというわけさ!」
ロバートがガハハと笑いながら、すべての称賛と名誉を一身に浴びている。
その喧騒の真ん中で、セラムは誰にも気づかれないよう、音もなく部屋の重厚な扉を開けた。
時計の針は17時ちょうど。
(17時。定時ですね。お疲れ様でした。……これで居酒屋のモツ煮込みに間に合います)
一仕事終えたセラムは、王宮の影へと完全に溶け込み、下町の診療所、そしてお気に入りの赤提灯へと向かって、足早に立ち去っていった。
翌朝。下町の診療所には、昨日とは比べ物にならないほどの金貨の山が届けられていた。
「いやぁ、セラム殿! 昨日の一件で、私の名は再び王都中に轟いたよ! これが君の分の報酬だ」
ロバートが金貨の袋をバサリと机に置く。
セラムはそれを無表情に引き出しへと仕舞いながら、冷えたハーブティーを口にした。
「先生、私の指示に躊躇なく動いた手際は見事でしたが、次回からは16時以降の王宮からの依頼は一律で断ってください。昨日のモツ煮込み、常連の席が埋まりかけて危うく食べ損ねるところだったんですから。それから、棚にストックしてあったボトルの補充、手伝ってくださいね」
「ははは、相変わらず手厳しいねぇ。だが、君の事前の完璧なリスクヘッジと迅速な口頭指示のおかげで、姫君たちの脳はノーダメージで救われた。まさに生化学の完全勝利だ」
セラムはパチンと手帳を閉じ、冷徹な目を窓の外へと向けた。
「医学がオカルトに負けるのは不愉快ですからね。……さて、定時まであと8時間。今日も目立たず、静かに生体データを読み解くとしましょう」
下町の平穏な日常が、再び静かに動き出す。だが、王都の闇では、すでに次の「目に見えない脅威」が、貧民街の水を介して静かに這い出そうとしていた。
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