[第8章]黄色い目のふたご姫と、禁断の果実(第1話)
時計の針は16時40分。
カルテの整理を高速で終わらせ、お気に入りの居酒屋の「本日のおすすめ:冷やしトマトとモツ煮込み」に思いを馳せていたその時、下町の場末にある診療所のドアが、建付けを壊さんばかりの勢いで蹴破られた。
「ロバート先生! 頼む、力を貸してくれ……っ!」
息を切らせて飛び込んできたのは、王宮の近衛騎士長であり、ロバートの元同僚でもある男だった。
その顔は土気色に変わり、尋常ではない緊迫感を漂わせている。
「おや、旧友じゃないか。相変わらず騒々しいね。私の診療所は予約制だと──」
「ロバート、冗談を言っている場合ではない! ……王都がひっくり返る大不祥事、いや、神罰が起きたのだ」
騎士長は周囲を警戒するように声を潜め、震える声で告げた。
「誕生したばかりの、ふたごの姫君の肌と目のお白が……一晩にして『黄金』に染まった。教会はこれを、王家に神の寵愛が下りた『黄金の祝福』だと宣言し、国中にお触れを出そうとしている。だが……」
「だが?」
「姫君たちは、祝福されたはずのその身体で、今も激しく泣き叫び、ミルクも吐き戻して衰弱していく一方なのだ! 宮廷医官たちは『神の光が強すぎるゆえの試練』などと言って祈るばかりで、誰も手を下せん!」
ロバートが眉をひそめて、部屋の隅で無言のまま片付けを続けるセラムに視線を送った。
セラムは、口を開く代わりに、手元のメモ帳にサラサラとペンを走らせてロバートに差し出した。
『肌と眼球の結膜が黄色く染まり、全身の不快感で乳児が泣き叫ぶ。生化学的に言えば、それは単なる【黄疸】です。体内の有害な黄色い色素が処理しきれず、組織に沈着しているだけ。放置すれば脳にその毒素が回り、核黄疸を起こして手遅れになります』
そのメモを読み落としたロバートは、不敵に微笑んで往診鞄をひっつかんだ。
「なるほど、脳に毒が回るか! よし、行こうセラム殿! 宮廷医官どもの鼻をあかしてやる絶好の機会だ!」
「……先生」
セラムは低く冷淡な声で、ロバートにだけ聞こえるように告げた。
「ここから王宮までは馬車で片道30分。……今日も定時は過ぎてしまいますね」
ロバートは懐から「金貨が詰まった袋」をジャラリと響かせた。
「王家からの極秘依頼だ。報酬は弾む。もちろん、君の大好きな『黄金の液体』の数ヶ月分も含めてね」
セラムはそれ以上何も言わず、無言で往診鞄に必要な機材を詰め込み、白衣を翻した。
手柄も名誉もすべてロバートに押し付け、自分は影の空気として動き、1秒でも早く帰る。
その執念だけがセラムを動かしていた。
厳重な警備を潜り抜け、案内されたのは王宮の最深部、豪奢な天蓋付きのベッドが置かれた「ふたごの姫」の寝室だった。
部屋の中は、異様な熱気と香炉の煙で満ちていた。
ベッドの周囲では、きらびやかな法衣をまとった高位の神官たちが、熱心に聖印を結んで祈りを捧げている。
「おお、見よ! この神々しい黄金の肌を! これぞ次代の王家に莫大な富と繁栄をもたらす、太陽神の祝福である!」
「何という奇跡か! 目のお白までもが、聖なる金色に満ちておられる!」
神官たちの歓声の病床で、生後間もないふたごの姫君たちは、ぐったりと力なく横たわっていた。
その小さな肌は、神官たちの言う「高貴な金色」などではなく、生気を失った不気味な「泥黄色」に染まっている。
セラムは部屋の入り口付近で完全に気配を消し、壁の影に身を潜めた。
一言も喋る気はない。
だが、その鋭い視線は姫たちの瞳を捉えていた。
眼球の白い部分が、べっとりと黄色く変色している。
(……典型的な眼球結膜の黄疸。それも、この短期間でここまで濃く出るということは、生体内の排泄システムが完全に破綻している証拠。
セラムは、急ぎ姫たちの微量な血液を採取した。
──【生体分析(アナライズ:肝機能・ビルビン)】起動)
そして脳内ラボの分析器が、凄まじい速度でその生化学データを弾き出していった。
チーン、と脳内で警告音が鳴り響く。表示された異常値の羅列に、セラムの目元がピクリと不機嫌に跳ね上がった。
【生体分析:ふたご姫の血液データ】
総ビリルビン(T-Bil): 24.8 mg/dL} (基準値:乳児期 1.0以下) ※異常高値・核黄疸の危機
直接ビリルビン(D-Bil): 18.5 mg/dL} (基準値:0.2以下) ※著明な高値(抱合型優位)
AST(GOT): 1450 U/L} (基準値:数十) ※限界突破
ALT(GPT): 1820 U/L} (基準値:数十) ※限界突破
γ-GTP: 850\ U/L} (基準値:百前後) ※逸脱酵素として激しく上昇
(……は? 何ですかこの最悪な数値は。直接ビリルビンがこれほど異常に高いということは、肝臓で処理された後の色素が、完全に破壊された肝細胞から血液中へ逆流している証拠。ASTやALT、γ-GTPも通常の数十倍に跳ね上がっている。これは単なる新生児の生理的黄疸などではない。何らかの強烈な外的要因によって、【急激に肝細胞が大量死(壊死)している】。急性肝不全の一歩手前です)
あまりにも劣悪なデータに、セラムのプロとしての冷徹な怒りが静かに燃え上がった。
その時、ベッドの傍らにいた何も知らない王妃が涙を流しながら、姫たちの口元に「ある赤黒い果実の汁」をスプーンで流し込もうとした。
「さあ、我が愛しき黄金の子らよ……。お腹が空いたでしょう。王家に代々伝わる、この聖なる『秘薬の果実』をお飲みなさい……。これを飲めば、さらに祝福の光が強くなりますよ……」
その果実を見た瞬間、セラムの脳内の病理データベースが激しく明滅した。
(──待て。あの果実は、まさか……!)
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