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『万能鑑定士? いいえ、裏方の臨床検査技師です 〜手柄は全部相棒の医者に押しつけて、私は貧民街で定時退社を目指します〜』  作者: 波留馬 喬


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第5章:青い血の騎士団と、白銀の呪縛(第4話)

「明日から、3日3晩徹夜で不眠不休の猛特訓……だと?」

カバンを掴みかけていたセラムの動きが、完全に停止した。

時計の針は16時56分。定時退社まであと4分というところで、目の前の若き騎士団長は、信じられないほどの特大地雷を笑顔で踏み抜いてみせたのだ。

「そうだ! この『黒鉄の肉』のおかげで、体に力が満ちていくのが分かる! これなら、明日の夜明けから始まる王宮守護のための強行軍演習も、完璧にやり遂げられるはずだ!」

レオポルドは満足げに、真っ黒なタレのついた口元を拭った。

(バカか……!? バカなのかこの筋肉鎧は……!!)

セラムは顔を引きつらせ、心の中で激しい悲鳴を上げた。

(食べたからって、数分で鉄分が赤血球に変わるわけがない! 今彼らの体が楽なのは、単にニンニクの血行促進効果と、肉のエネルギーが一時的に脳に回っただけだ。体内の貯蔵鉄が空っぽの状態でそんな過酷な運動をすれば、今度こそ心臓がギブアップしてショック死する……!)

もしこいつらが王宮の前でバタバタと行き倒れたら、確実にこの診療所に救急搬送され、今夜の退社はおろか、今週のシフトは地獄の残業確定コースになる。

セラムが絶望しかけた、その時だった。

「──レオポルド団長。今すぐ、その愚かな特訓の計画を中止、または延期しろ」

地を這うような、いつも以上に冷たく響く声。

ロバートのその一言に、診療所の空気が一瞬で凍りついた。

「な、何だと……? ドクター・ロバート、食事を勧めてくれたことには感謝するが、騎士団の軍務に口を挟むのは──」

「口を挟まざるを得んと言っているんだ、この大馬鹿野郎が」

ロバートは椅子から立ち上がると、レオポルドの言葉を容赦なく叩き潰した。医師としての凄まじい威圧感に、若き騎士団長は思わず言葉を呑む。

「セラム、こいつらに分かりやすく現実を教えてやれ。自分の身体がどれだけ崖っぷちか、まだ理解できていないようだ」

「……かしこまりました」

セラムはロバートの背後からすっと前に出ると、冷徹な「元臨床検査技師」の目で手帳を開いた。

「レオポルド団長。先ほども申し上げた通り、あなた方の赤血球は中心が白く抜けた『スカスカの不良品』です。今食べたレバーの鉄分が、骨髄(こつずい:血を作る場所)に運ばれ、新しい一人前の赤血球として生まれ変わるまでに、どれだけの時間がかかるかご存知ですか?」

セラムは指を3本立てた。

「最低でも『3週間』です。人間の体が赤血球を新造し、血液全体の酸素運搬能力を正常に戻すには、それだけの時間が絶対に必要なんです。今、あなた方の心臓は、薄まりすぎた血液で少しでも酸素を回しようと、通常の2倍以上の速さで必死に動いている状態なんですよ」

ロバートがセラムの言葉を引き継ぎ、腕を組んで冷酷に告げる。

「そうだ。今の貴様らの心臓は、いつ焼き切れてもおかしくない限界の魔導炉エンジンと同じだ。そこに不眠不休の過負荷をかければどうなる? ──破裂して死ぬ。それだけだ。貴様らの美徳とする『限界を超える特訓』は、今の血液データから見れば、ただの『集団自殺志願』でしかない」

「死、ぬ……? 我ら白銀騎士団が、特訓の途中で、全滅すると……?」

レオポルドの顔から、再び血の気が引いていく。

「ええ。ですので、当診療所の医療指導として、以下の【騎士団再生計画】を厳命いたします」

セラムは手際よく、無駄な医療費を一切かけず、かつ最短で血液を正常化させるための効率的なリハビリメニュー(食事・行動制限)を提示した。


【白銀騎士団・血液正常化プロトコル】

【絶対安静(2週間)】

重い甲冑の着用を禁止。剣の素振りも禁止。日常の軽い見回り以外の激しい運動は一切不許可。


【食事の完全黒色化】

朝昼晩、必ず鉄鍋を用いた調理を行うこと。

精製された白小麦を廃止し、外皮の残った「黒小麦(全粒粉)」に変更。

毎日、レバー、赤身肉、または鉄分の多い緑黄色野菜を規定量摂取すること。


【睡眠の義務化】

1日最低7時間以上の睡眠。夜間の徹夜任務は他部署へ委託すること。


「これを守っていただけるなら、3週間後の再検査で、見違えるような『本物の力』を取り戻させて見せましょう。神殿の偽りの奇跡ではなく、医学と、食事の力で、です」

セラムは手帳をパチンと閉じ、一礼した。

ロバートの医師としての厳しい忠告と、セラムの理路整然としたデータ。そして目の前にある、理屈抜きに身体が求めた美味い料理。そのすべてに、レオポルドは静かに頭を下げた。

「……分かった。ドクター・ロバート、そしてセラム殿。我々の命と、騎士団の未来を、あなた方の言葉に預けよう。特訓は今すぐ中止し、上層部には『演習延期』を申請する」

後ろの団員たちも、深く納得した様子で頷いている。

「話が早くて助かります」

セラムは、ようやく営業用の柔らかな笑みに戻った。

壁の時計を見る。17時01分。

わずかに1分のオーバー。しかし、これによって明日からの「突然の緊急搬送」という最悪の残業リスクは、完全に回避された。

「では、本日の診察はこれまで。皆さん、お大事に。レバーの残りは、しっかりパックに詰めておきますから、持って帰って夜食にしてくださいね」

セラムは迅速な手つきで残りの料理をまとめると、騎士団の一行を診療所の外へと送り出した。

「ふぅ……」

静かになった診療所で、セラムは深くため息をつき、カバンを肩にかけた。

「……セラム。今日も完璧な分析と、鮮やかな食事指導だったな。あいつら、3週間後には見違えるような赤血球になって戻ってくるぞ」

ロバートが、引き出しから高級な酒瓶を取り出しながら声をかけてくる。

「ええ。戻ってきてもらわないと、僕のカルテ整理の予定が狂いますから。──先生、お先に失礼します。戸締まり、よろしくお願いしますね」

「おう、また明日な」

17時03分。

セラムは診療所のドアを閉め、夕暮れの王都の街へと歩き出した。

今夜の夕食は、安く仕入れた食材をどう効率よく調理するか──そんなことを考えながら、穏やかな夜が始まるのだった。

よろしければ何点でも構いませんので評価やコメントをいただけると嬉しいです。

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