第5章:青い血の騎士団と、白銀の呪縛(第3話)
セラムの静かな、しかし的確に痛いところを突く正論に、レオポルド団長はぐうの音も出ず、青い顔のまま黙り込んだ。
時計の針は16時40分。定時退社まであと20分。
(ここでこいつらを納得させて帰さないと、明日も明後日も『今日もだるいです』って外来に押し寄せてきて、俺の定時退社が永遠に脅かされる……!)
セラムはすっとロバートの前に出ると、どこからか取り出した「王都の物価&食材リスト」のメモを広げた。その目は、安くて質の良いタンパク質と微量元素を効率よく追い求める、生活防衛派のそれだった。
「団長、および騎士団の皆さん。レバーが生臭くて下品だと言うなら、調理法を変えればいいだけの話です。……ロバート先生、診療所の奥のキッチンと、あの『例の鉄鍋』を借りますよ」
「おう、好きにしろ。セラム、お前の『美味い血液新造料理』、見せてやれ」
ロバートは面白そうにニヤリと笑い、椅子に深く腰掛けた。
セラムは調理場へ向かうと、昨日ちょうど「自分の今週の作り置き用」に、市場の裏手でタダ同然で仕入れておいた牛と豚の新鮮なレバー(肝臓)を取り出した。
(いいか、血液スカスカの騎士ども。鉄分にだって『吸収率』の格差があるんだ。植物に含まれる非ヘム鉄は吸収率が5%前後と極めて低いが、肉やレバーに含まれる【ヘム鉄】は吸収率が15〜25%と数倍高い。しかも、お前たちのそのボロボロの胃腸でも、ヘム鉄なら食物繊維やタンパク質に邪魔されずに効率よく吸収できるんだ)
セラムの手際は完璧だった。元臨床検査技師としての精密な作業手順が、そのまま調理ルーティンに還元されている。
血抜きを徹底的に行い、臭みの原因になる血塊を流水できれいに洗い流す。さらに、王都の安居酒屋で仕入れた安価な香辛料(にんにく、生姜、ハーブ)と大豆の醤で濃いめに味付けをする。
仕上げに、診療所に転がっていた「鋳鉄の真っ黒な鉄鍋」に油をひき、強火で一気に炒め上げた。ジューという小気味よい音とともに、香ばしいニンニクの香りと、肉の焼ける暴力的なまでに食欲をそそる匂いが診療所全体に広がっていく。
炒めている間にも、鉄鍋から微量の「二価鉄(体内に吸収されやすい鉄イオン)」が料理に溶け出していく。まさに計算し尽くされた鉄分爆弾だ。
「……くっ、何だこの、鼻を突く野蛮な匂いは……。しかし、なぜだ、身体が、奥底からこの匂いを求めているような……」
丸椅子でへたばっていた団員の一人が、思わずゴクリと喉を鳴らした。重度の貧血(鉄欠乏)に陥った身体は、本能的にその足りない栄養素を求めるのだ。
「お待たせしました。セラム特製、『黒鉄のスタミナレバー炒め』です」
セラムがドサリと机に置いたのは、純白とは真逆の、ツヤツヤと黒光りする濃厚なタレをまとったレバー料理だった。
「さあ、誇り高き白銀騎士団の皆さん。これを一口でも食べたら、今すぐ神殿に帰って『私は汚れました』と泣きついても結構です。ですが、もし食べないなら、明日からその重い剣の代わりに、お上品な白いお箸でも振るって王宮を守ってください」
「な……、バカに、バカにしおって……!」
レオポルドは悔しさに震えながらも、漂う香ばしい匂いに、胃袋が強烈な悲鳴を上げた。限界だった。
「……そこまで言うなら、食べてやろうではないか! 我らの誇りが、このような下俗な肉ごときに屈しないことを見せてやる!」
レオポルドは震える手でフォークを掴むと、意を決したように真っ黒なレバーの一片を突き刺し、口の中に放り込んだ。
団員たちが固唾をのんで見守る。
「……っ!? ……美味い……っ!!」
レオポルドの目が、限界まで見開かれた。
想像していたような生臭さは一切ない。濃厚な旨味とガツンと効いたニンニクの風味が、酸欠で死にかけていた脳の神経をダイレクトに突き抜けた。
「なんだこれは……噛むたびに、身体の細胞が歓喜の声を上げているような……身体が熱い……!」
「な、なんだと!? 団長、本当ですか!?」
「我慢できん、俺も……俺もいただく!」
一人、また一人と、飢えた狼のように鉄鍋のレバーに群がり始める白銀騎士団。
「白こそ至高」と言っていた彼らのプライドは、セラムの計算し尽くされたコスパ最強飯の前に、一瞬で消し飛んだ。
「ふははは! 見ろセラム、あの頑固な騎士どもが、お前の料理の前にすっかり完敗してやがるぞ!」
ロバートの妥協のない高笑いが響く。
セラムはそれを見届けながら、そっと壁の時計に目をやった。
16時55分。
(よし。これで治療方針(食事療法)のプロトコルは確定だ。あとはこいつらに毎日レバーとしたしほうれん草を食わせて、鉄鍋を使わせれば、3週間後の再検査でヘモグロビンは確実に二桁まで回復する)
(勝った。これで明日の外来も平和だし、何より──あと5分で定時だ……!!)
カバンをまとめ始めたセラムだったが、満面の笑みでレバーをおかわりするレオポルド団長が、ふと不穏なことを口にした。
「いやあ、ドクター・ロバート、セラム殿! この『黒鉄の肉』のおかげで力が湧いてきた! これなら、明日から始まる【王都全域の騎士団合同・3日3晩徹夜の不眠不休猛特訓】も乗り切れそうだ!」
ガタリ、とセラムの手からカバンが落ちた。
(……は? ヘモグロビン5.2の重症患者が、明日から徹夜で猛特訓……!?)
(そんなことさせたら、鉄が補充される前に確実に心不全でショック死するぞ……!! =また救急搬送されて俺の残業が確定する……!?)
セラムの、定時退社をかけた最後の戦いが始まる。
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