第4章:狐憑きの少女と、消えた電気信号(第2話)
「な、脳内の電気信号だと!? バカバカしい! 伯爵、やはりこの医者は狂っています! 早く大聖堂へ──」
なおも食い下がる神官を、ラインハルト伯爵は鋭い眼光で一喝した。
「黙れ! 私はドクター・ロバートに賭ける。神官、お前は今すぐ立ち去れ。これ以上娘の脳を焼く真似をさせるわけにはいかん!」
大貴族の威圧感に気圧され、神官は「後悔しますぞ!」と捨て台詞を残して診療所を飛び出していった。
邪魔者は消えた。だが、本当の戦いはここからだった。
少女マリアをベッドに横たわらせ、カーテンを閉め切った瞬間、ロバートがセラムの肩を激しく揺さぶった。裏声が漏れている。
「セラム殿! 伯爵の手前、格好よく言い放っちゃったけど、脳の炎症を力技で抑え込む強力な消炎薬なんて、うちの棚にはないよ! あれは宮廷の最高級の薬草か、魔導ギルドの秘蔵薬でもなきゃ手に入らない。今から手配しても夜を越えちゃうよ!」
ロバートの焦りは当然だ。前世の地球でも、抗NMDA受容体脳炎の治療には大量の副腎皮質ステロイドを投与する「ステロイドパルス療法」が第一選択とされる。この世界でその代替品を今すぐ用意するのは不可能に近かった。
しかし、セラムは表情一つ変えず、懐中時計をパチンと閉じた。
16時05分。定時まで、あと55分。
(知っていますよ。だからこそ、神殿を追い出したんです。彼らが囲い込んでいる『とある素材』を、合法的にぶんどるためにね)
セラムは手元にあった白紙の羊皮紙に、信じられないほど複雑な植物の抽出チャートを書き殴り、ロバートに見せた。
『神殿の裏庭には、結界の維持用として【純白の聖蓮】が栽培されています。あれは強力な魔力を宿すただの観賞用植物とされていますが……その実態は、地球でいう【ウワウルシ】や【クジン】の成分を極限まで濃縮した、最強の天然ステロイド様物質(抗炎症成分)の塊です』
「な、何だって……!? あのお堅い神殿が、そんな薬草を渡してくれるわけないだろう!」
『だから、伯爵の権力を使うんです』
セラムはロバートの背中をポンと叩き、カーテンの外で祈るように待つラインハルト伯爵のもとへと促した。
ロバートはすぐにセラムの意図を察し、いつもの不遜な態度で伯爵の前に立った。
「伯爵、お嬢様を救うには、大聖堂の裏庭に生えている『純白の聖蓮』の根が今すぐ必要だ。それも、新鮮なものが3株。神殿の無能どもは『聖なる飾り植物』として拝んでいるだけで、あの植物が脳の火災を消し止める最高の特効薬だという事実(医学的価値)に、これっぽっちも気づいていない」
「神殿の聖蓮だと……? よし、任せろ! 憲兵隊に私の書状を持たせ、力ずくで毟り取らせてこよう!」
大貴族の本気の権力は恐ろしい。伯爵が従者に早馬を出させると、わずか20分後──午後16時25分には、憲兵が泥のついた「純白の聖蓮」を抱えて診療所に息を切らせて戻ってきた。神殿の抗議など知ったことかと言わんばかりのスピード解決である。
「持ってきたぞ、ドクター! これで娘を……!」
「よくやった、伯爵。ここからは私の神聖な調合領域だ。誰も立ち入るな!」
ロバートは薬草をひったくるように受け取ると、セラムと共に奥の調合室(簡易検査ラボ)へと籠もった。
(よし、素材は揃った。ここからは時間との戦いだ。17時までに抽出を終わらせるぞ)
セラムは即座に脳内システムを、物質の分子構造を特定するモードへと切り替えた。
──【生体分析(アナライズ:成分解析モード):展開】
通常の医療であれば、薬草をすり鉢で潰して何時間も煮出すのが一般的だ。だが、それではマリアの脳が持たないし、何よりセラムの定時退社が崩壊する。
セラムはロバートに目配せし、調合台の魔導器具を指差した。
「ロバート先生、宮廷医術の『魔力分離』を。風属性の微細振動で、このフラスコの中の薬草の細胞壁を限界まで破壊してください。私は分子が熱で変性しないよう、減圧による低温抽出をサポートします」
「よし、任せろ! 元宮廷医術長の調合コントロールを舐めるなよ! 『微細振動』!」
ロバートの超一級の魔法制御によって、フラスコ内の聖蓮が緑色の細かい粒子へと均一に分解されていく。セラムはその抽出液の成分変化を脳内モニターでリアルタイムに監視し、有効成分である強力な抗炎症ステロイド様物質が、最も純度高く分離する瞬間を見計らった。
【脳内アナライズ:物質特定に成功】
【純度:98.4% / 薬効:即効性(静脈投与可能レベルの均一性を確認)】
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