三割の紙
一九八一年(昭和五十六年)十一月五日(木)
衆議院事務局。非公開資料。
タイトルは簡潔だった。
出席率低下時における議事運営影響試算
石本の机に、その紙が置かれる。
「内部検討用です」
事務総長が言った。
正式な提案ではない。
想定に過ぎない。
だが数字は冷たい。
現在欠席率 一〇・八%。
試算一:二〇%。
試算二:三〇%。
石本は、三〇%の欄に目を落とした。
定数五百十一。
三割欠席。百五十三名不在。
出席 三百五十八。
開会は可能。
だが――
委員会定足数、限界。
法案審議、遅延。
特別委員会、機能停止の可能性。
事務総長が淡々と言う。
「三分の一は、まだ余裕があります」
「法的には」
石本が答える。
「法的には、ね」
資料は続く。
“代表性への影響”
投票時、欠席議員が多数派に偏る場合、
可決法案の正統性に疑義が生じる恐れ。
“補欠選挙延期が重なった場合”
空席固定化。
政治的空洞。
石本は目を閉じた。
三割。
まだ遠い。
だが市場は角度を変えた。
医療は広がる。
電力は余裕を失う。
増加率が続けば――
三割は、理論上あり得る。
■ 総理府・小会議室
机を寄せた顔ぶれ。
石本は紙を置いた。
「三割の試算」
沈黙。
涼子が最初に言う。
「三割で医療現場は崩れます」
小坂。
「産業も同じです」
佐々木。
「財政は持ちません」
石本は静かに言った。
「国会は開ける。
だが機能は維持できない可能性がある」
誰も反論しない。
三割は、数字ではない。
信頼の臨界点だ。
石本は続ける。
「この紙は外に出しません」
全員が頷く。
公表すれば、市場はさらに売る。
世論は動揺する。
だが内部では共有する。
三割を越えさせない。
それが共通目標になる。
■ 夜(議員会館)
石本は一人、資料を見つめる。
三割。
数字としては冷たい。
だが頭には、顔が浮かぶ。
倒れた秘書。
欠席議員。
中央制御室の技術者。
三割は、人の不在だ。
制度は紙でできている。
だが国家は人で動く。
三割欠ければ、紙は残るが中身が抜ける。
石本は初めて、はっきり自覚する。
これは感染症対策だけではない。
国家機能維持の問題だ。
彼は静かに呟いた。
「三割に行く前に、止める」
そのために何をするか。
まだ言葉にはなっていない。
だが今日――
三割という数字が、内部で共有された。
それは、最初の防衛線だった。




