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回している人間

一九八一年(昭和五十六年)十月三十日(金)

通商産業省。午前九時。


 電力担当課の机に、赤い付箋が貼られた報告書が置かれていた。


 「定期点検延期」


 通常なら珍しくない。

 だが今月三件目だった。


 小坂真紀は資料をめくる。

 理由は同じ。


 「担当技術者の長期離脱」


 発熱。

 入院。

 回復未定。


 原子力発電所。

 中央制御室。

 計器は正常。出力も安定。


 だが、運転員のローテーション表が歪んでいる。


「三直二交代を維持できません」


 現場からの報告。


 代替要員を他県から応援で回す。

 しかし、応援元も余裕がない。


 “技術者”は代替が効きにくい。


■ 同日午後(電力会社本社)


「停止は避けたい」


 幹部が言う。


「止めれば供給が不安定になる」

「だが無理をすれば事故の確率が上がる」


 誰も“事故”という言葉を使いたがらない。

 だが全員が思っている。


■ 通産省(夕刻)


 小坂は電話を受ける。


「火力発電所でも欠員が出ています。保守担当です」


 電力だけではない。


 鉄道。

 港湾。

 高速道路。

 点検班。制御室。現場責任者。


 若年から中堅層。

 技術を持つ人間。


 彼らが抜ける。


■ 総理府・小会議室


 机を寄せた顔ぶれ。

 小坂が報告する。


「原発の運転員が不足しています」


 空気が変わる。


 涼子が問う。


「重症化事例は?」

「現場では確認されていません。

 ただし長期離脱が増加しています」


 佐々木が静かに言う。


「停止すれば、経済が止まります」


 石本は、ゆっくり言った。


「無理をすれば、事故の確率が上がる」


 沈黙。


 原発は政治問題であり、

 経済問題であり、

 国家安全の問題でもある。


 しかし根本は単純だ。


 回しているのは、人間だ。

 その人間が足りない。


■ 夜(原発中央制御室)


 若い運転員がモニターを見る。


「今日も二人欠けてる」


 ベテランが言う。


「気を抜くな」


 計器は正常。

 警報も鳴らない。


 だがローテーションが崩れると、判断が遅れる。

 判断が遅れれば、取り返しがつかない。


■ テレビニュース


「電力各社、定期点検延期」


 小さな扱い。

 一般視聴者は気に留めない。


 だが専門家は理解する。


 これは、“余裕がない”兆候だ。


■ 石本の机


 報告書が並ぶ。


 医療。

 市場。

 国会欠席。

 そして電力。


 石本は静かに言った。


「国家は、法で動くのではない」


 秘書が顔を上げる。


「人で動く」


 その人が、減っている。


 まだ事故は起きていない。

 停電もない。


 だが今日、初めて――

 国家の物理基盤に、不安が乗った。


 見えない。

 だが重い。


 国家は、まだ回っている。

 だが回している人間が、少しずつ欠けている。

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