名を与える前
一九八一年(昭和五十六年)十月二十七日(火)
官邸・記者会見室。午後四時。
いつもの白い壁。
いつもの青いカーテン。
だが、カメラの数が多い。
フラッシュが断続的に光る。
官房長官が原稿を手に立った。
「本日、政府として、
若年層における重症肺炎事例の調査体制を強化することといたしました」
ざわめき。
“強化”。
その言葉が選ばれた。
「関係省庁横断で情報を集約し、
医学的・疫学的観点から検証を行います」
感染とは言わない。
流行とも言わない。
「国民の皆様に不安を与える意図はありませんが、
現時点で把握している事実については、速やかに公表してまいります」
質問が飛ぶ。
「感染症の可能性は」
「断定はできません」
「死者数は」
「個別情報は差し控えます」
「国会欠席との関連は」
一瞬、空気が止まる。
官房長官は表情を変えない。
「現時点で因果関係を示すデータはありません」
嘘ではない。
だが、十分でもない。
■ 同時刻(厚生省)
涼子は会見映像を見つめていた。
正式な調査体制。
名称はまだ仮称。
「若年重症肺炎対策連絡会」
“会議”ではない。
“本部”でもない。
連絡会。
慎重な言葉だ。
局長が言う。
「これで公の枠ができた」
涼子は頷いた。
「内部でやっていたことが、ようやく外に出ます」
それは防御でもある。
噂に対抗するための、最低限の枠。
■ 大蔵省
佐々木は速報を見る。
市場は一瞬だけ反応する。
国債利回り、わずかに下げる。
「安心感か」
主査が言う。
佐々木は首を振った。
「様子見だ」
市場は、言葉より実行を見る。
調査体制は“始まり”であって、対策ではない。
■ 国会
野党議員が言う。
「遅すぎる」
与党議員が返す。
「拙速よりは良い」
議論は続く。
だが共通している。
もはや問題は、否定できない。
■ 夜(総理府・小会議室)
机を寄せる顔ぶれが、また集まる。
今度は、半分が公式の肩書きで来ていた。
涼子が言う。
「形式ができました」
小坂。
「現場も落ち着きます」
佐々木。
「市場は、次を見ます」
石本は静かに言った。
「これで時間は買えた」
誰も反論しない。
だが全員が理解している。
時間は有限だ。
原因が特定されなければ、世論は再び強まる。
欠席は続く。
市場はまた売る。
だが今日、政府は初めて――
“調査する” と公に認めた。
それは危機宣言ではない。
しかし。
国家がこの病を、
“現象”として扱う段階から
“問題”として扱う段階へ移った瞬間だった。
まだ名は与えられていない。
だが、枠はできた。
その枠が、やがて何を生むか。
誰も知らない。




