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第26話 端島と出逢い

 翌日、午前10時。


 彼女たち三人は、長崎港にいた。


 インターネットから申し込んだ「軍艦島上陸クルーズツアー」に参加するため、バイクを降りて、徒歩で長崎港に向かった。


 そこには、すでに100名近い人数の待ち行列が出来ていた。

 聞こえてくるのは、九州の方言ばかりかと思えば、関東の標準語、さらに関西弁も聞こえてくる。


 客層はかなり幅広く、子供連れ、大人一人、お年寄りまで様々な年齢層の人間がいたが、当然ながらほとんどが日本人。


 そして、いずれの瞳も、期待と希望に満ちているように、美希の眼には映った。

「万里香、眠そうだね」

「楽しみすぎて、昨日あまり眠れなかった」

「子供ですか?」

 などと、明らかに眠そうな目をしている万里香をからかっているうちに、ようやく船への案内となった。


 船で、軍艦島、正式には端島はしままでは約40分。

 昨日,コンビニで偶然声をかけられた、長崎の人によると、ツアーは色々と回って、大体2時間半から3時間で帰れるという。


 問題は、悪天候の場合で、その場合は、船が出せないので中止になることもあると言うが、幸いその日は晴れて、風も穏やかだったので、船は定刻通り出るらしい。


 早速船に乗り込む。

 端島は、長崎半島の沖合、約4.5キロのところにある小さな島だが、島全体に鉄筋コンクリートの建物が建ち並び、それが、遠くから見ると「軍艦」のように見えることから「軍艦島」と呼ばれる。


 そして、実際に波止場から上陸すると。


「すげえ」

 万里香が感嘆の声を上げていた。


 軍艦島に上陸して最初の軍艦島第1見学広場。

 そこからすでに、その島の威容が明らかになる。


 瓦礫が連なり、まるで戦争の跡のように鉄筋コンクリートのマンション群が建ち並び、異彩を放っている。


 島全体を覆うように、灰色の無機質なコンクリートが連なっているが、よく見ると岩の上にも建物が築かれている。


 案内板には「明治日本の産業革命遺産」、「端島炭鉱」と書かれてあった。

 後は、案内人によって、説明がされる。


 それによると。

 端島は元々、南北約320メートル、東西約120メートルの小さな瀬だったらしい。その小さな瀬と周囲の岩礁・砂州を、1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)にわたる6回の埋め立て工事によって、約3倍の面積に拡張したという。


 その大きさは南北に約480メートル、東西に約160メートルで、南北に細長く、海岸線は直線的で、島全体が護岸堤防で覆われている。


 端島での石炭の発見は一般に1810年(文化7年)のこととされる。1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡。端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となった。譲渡後は第二竪坑と第三竪坑の開鑿もあって、端島炭鉱の出炭量は、近くの高島炭鉱を抜くまでに成長したという。


 社船「夕顔丸」の就航、製塩・蒸留水機設置にともなう飲料水供給開始(1891年。1935年に廃止)、社立の尋常小学校の設立(1893年)など基本的な居住環境が整備されるとともに、島の周囲が段階的に埋め立てられた。


 1916年(大正5年)には日本で最初の鉄筋コンクリート造の集合住宅「30号棟」が建設された。


 戦後の1946年には端島炭鉱労働組合が結成され、組合闘争の結果として賃金が上がり、転入者が増えた。賃金の上昇と同時に炭坑の稼働率は下がり、余暇が増えた。遊び場にブランコも設置され、住みやすくなった。


 人口が最盛期を迎えた1960年(昭和35年)には5267人の人口があり、人口密度は83600人/km2と、世界一を誇り東京特別区の9倍以上に達したという。炭鉱施設・住宅のほか、高浜村役場端島支所・小中学校・店舗・病院・寺院「泉福寺」・映画館・理髪店・美容院・パチンコ屋・雀荘・社交場(=スナック)などまであり、島内においてほぼ完結した都市機能を有していたという。


 1960年以降は、主要エネルギーの石炭から石油への移行(エネルギー革命)により衰退。、1970年に端島沖開発が中止になり、会社側が鉱命終了期を発表。その後数百万トンの石炭を残したまま1974年(昭和49年)1月15日に閉山している。


 閉山時に約2000人まで減っていた住民は4月20日までに全て島を離れ、4月20日の連絡船の「最終便」で、端島の最後を見届けるべく乗船していた研究者や作家の離島をもって、端島は無人島となった。


 以上の説明を、ツアー案内人が説明してくれたのだが、万里香が学校の授業の時にでも見せたことがないくらい、熱心に耳を傾けていたのが、美希の印象に残った。


 結局、島中を歩き回り、様々な説明を受け、その都度、大量の写真を撮って、万里香は満足そうな満ち足りた笑顔を見せていた。


 そして。

「君たち。どっから来たと?」

 不意に、彼女たちは声をかけられていた。


 振り返ると、背の高い、若い女性で、肩まで伸びるセミロングの髪、そして芸能人のような雰囲気すら感じさせる気品があるような美しい微笑みを持つ、カーディガンを羽織ってロングスカートを履いた、20代後半くらいのお姉さんが立っていた。


「えーと。群馬県からです」

「群馬! そりゃまた遠くから来たな。軍艦島はどげん?」


「すごいです。これは確かに一見の価値ありですね」

「そうかそうか。それならもっと面白かところがあるばい」


「え、どこですか? ここより面白いって?」

 菜々子が返答すると、彼女は、微笑みを絶やさず、笑顔で北の海上を指さした。


池島いけしまて言うてな。第二ん軍艦島とも言われとー。西海さいかいん沖にあるけん行ってみ」

 博多弁と思われる方言を使い、彼女が勧めてきたので、美希は思わず尋ねていた。


「どんなところがいいんですか?」

 と。


「軍艦島は管理されとーけん、自由にそうつきまわれん。そん点、池島ん方が面白かて思うばい。池島は自由に見らるーけん」

 ということらしい。


 万里香は目を輝かせて、


「絶対行きます」

 と、返していた。


(いや、そもそもそんな予定ないんだけど)

 と、美希は戸惑うも、彼女は一度言い出したら聞かないことを知っていたから諦めた。


 不意に、彼女は三人の服装を見て、何かに気づいたかのように声を上げた。

「君たち、バイク乗りやろ?」


「そうですけど。どうしてわかったんですか?」

「そりゃそん服装ば見たらわかるばい。バイク乗りらしいジャケット着とーし」


「あ、そっか」

 改めて、美希は今回の旅で、バイクに乗る服装しか持ってきていないことに気づいた。つまり、夏なので、薄手のメッシュジャケットを着ていたが、確かにバイク乗りの格好だったからだ。


「実はうちもバイク乗りなんや。九州はバイクで走るにもよかところばい。阿蘇なんかオススメやな。行ってみて」

「はい。ありがとうございます」


「ちなみに、池島はバイクでもフェリーで渡るーばい。バイクで行ってみるとよか」

「そうなんですね」


「それじゃ、気ばつけてな」

 そう言い残し、お姉さんは立ち去って行った。


「いい人ですね」

「というか、九州の人は、全体的に気さくだね」

「そうだな。確かに距離感が近い」


「あと、博多弁って、なんか可愛い」

「それな」

「ですよねー」

 それぞれの感想を言い合い、結局軍艦島ツアーは終わった。


 帰りのフェリーは明日の夕方。確かにまだ時間はあるが、万里香はやる気満々だった。


 目標だった軍艦島ツアーが終わったのに、彼女の瞳はさらに先を見ていた。


 つまり、今度はお姉さんが勧めてくれた、「池島」へ行くことになるのだった。

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