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太陽との邂逅 4

2026/4/16 改稿(後編を(3)(4)に二分割)

 それからというものの、ギンダとカリンは急いで街に戻り、塔に登る準備を進めていた。

 

 塔に登る道を今更誰かが見つけるとは思えないが、念には念を入れ、翌日の明け方には塔に入れるようにしたいとカリンが主張したのだ。誰かが崖から落ちたならば調べが入るはず、というカリンの主張は(もっと)もだったが、ギンダはあまり心配していなかった。

 なぜなら、崖から落ちたのは、厄介者と余所者である。街の者が目にかけるはずがない。むしろ落ちたのが二人で良かったと思うに違いない。

 

 ギンダの推測は正しかった。街に戻っても何もかもがいつも通りで、警備や医者への通達すらなかったのだ。崖から落ちた時に手放した献本も広場に落ちたままで、誰も拾ってくれることはなかった。

 

 ああ、やっぱりな。

 ギンダは得心がいったが、カリンが拍子抜けして顔を(しか)めていた。

 

 それでも、散らばった献本を回収し、こっそり書庫に戻ればもう夜である。時間は少ない。

 

 ギンダはいそいそと自分の古いショルダーバッグに荷物を詰めていく。

 数日分の食料、少しの着替えと防寒具。灯りに縄、ナイフ。防水布といつもの手帳、何も書いていない小さな冊子に鉛筆数本。これできっと十分だろう。何かあればきっと戻ってくる。多分。特に食料なんかは足りなくなるのだ。だから、荷物は必要最低限でいいし、ギンダ自身、もって行きたいと思う荷物はさほど多くはなかった。

 

 そういえば、こうして書庫を空けるのは初めてかもしれない。少しだけ悪いことをしているような気持ちになって、ギンダはどこか心が浮き立つのを感じた。

 

 厚手のコートの上からショルダーバッグを背負うと、書庫の重い扉をこじ開ける。ぼろぼろの献本に負けず劣らず古びた扉は錆びついていて、開けるたびに軋んで鳴き叫んでいたが、何故だか今日はそれすら愛おしい。

 扉に『本の修繕依頼につき不在です』と書かれたプレートをかけ、きっちりと鍵をかけたら、準備は完了である。

 

「ギンダ、準備できたか」

 

 振り返れば、いつぞやの袋を背負ったカリンが立っていた。

 前に見た時よりもやや袋が膨らみ、腰には短剣が二本くくりつけられている。それが物珍しくて、ギンダは思わずじっとカリンの姿を眺めてしまった。

 

「はは、見過ぎ」

「ああ、ごめん……君が旅をしてきたというのが、やっと実感できて」

「無理もない。俺だって、ギンダが司書をしていたなんて想像できなかったし」

 

 人手の少ない夜道を歩く。夜明けが近いのか、遠くの空が明るみ始めていた。

 

「そういえば、ギンダは生まれた時からこの街にいるのか?」

 

 山を下り、橋を渡り、池へ向かう道すがら、カリンはふと気付いたように尋ねた。

 

「そうだね……多分そうだと思う。物心ついた時にはもうここにいたよ。あの書庫にいた先代司書に育ててもらって、先代司書がいなくなってからは僕が引き継いだんだ」

「そうか。きっと生まれながらの司書だったんだな」

「はは、先代司書も同じことを言っていたよ」

 

 ギンダはあまり自分の生まれに興味はなかった。物心ついた頃から側にあった本と、先代司書の教えだけが世界の全てだった。きっといたであろう親も、生まれた理由すらも、どうだっていい。

 ただ世界を知れたらと願っていた。

 

「だから、カリンが誘ってくれて僕は……そう、嬉しいんだ」

 

 きっと誘ってくれなければ、ずっとあの書庫で世界を知ることができなかっただろうから。

 ギンダはたどり着いた池の前で、ようやく見つけた形容詞を呟いた。

 

「……アンタはアレだな。ぽやっとしてるかと思えば、意外とストレートに物を言うよな」

 

 カリンは困ったように肩を竦め、池の前に膝を着いては肩掛け袋を防水布で包み始めた。ギンダも(なら)うように持ってきた防水布でカバンを包み、また背負い直す。

 塔に入るには池に潜らなければならない。自分から入るのと、崖から落ちて池に入るのとでは訳が違う。ましてや雪山、極寒の水の中である。心を決めなければならなかった。

 

「いいか――まずは水面近いところで、壁を探すんだ。見つけたら離れずに一気に潜る。穴は塔の内部、最下層の池に繋がっているから、池に落ちるまで溺れるなよ」

「池に、落ちる?」

「池から池に、雨どいみたいに繋がっているんだ。そうやって扉を見つけられないようにしている。皆が押しかけたら困るだろ」

 

 こくりと頷けば、そろりそろりと池に足を入れる。凍えるように冷たい水に反射的に池から上がりたくなったが、堪えて全身を池に浸けた。そのまま少し潜れば、冷たく(よど)んだ池底の景色が目に入る。夜明けが近いといえど、やはり闇の中、視界はすこぶる悪かった。カリンも同じようで、隣で目を凝らしてあちこちを眺めている。

 

 このままでは、ただ身体が冷えるだけだ。

 思い出せ。一度目に池に落ちた時に見た、あの穴はどこにあった。

 岩の形、藻の付き具合、何もかも覚えている。この暗い水の中でも、それくらいは判別できるはずだ。

 

 ギンダは目を凝らした。決定的な形を探した。そうして見つけた時――カリンの手を強く握りしめ、水上に上がった。息が限界だった。

 

「見えた!」

「どこに――俺には見えない――」

「大丈夫、付いてきて」

 

 空気を大きく吸い込む。ここからは持久戦だ。冷たい水に潜り、カリンの手を引くように底へ底へと足を進める。

 運動は得意ではない。鈍臭い方だ。だから、カリンが入り口を見つけさえすれば――

 

 今度はカリンがギンダの手を強く引いた。顔を見れば、表情は見えないものの大きく頷いている。ようやく見つけられたのだ。

 潜るスピードが速くなる。ギンダはカリンに引き()られるように穴の近くまで泳いで行った。ぽっかりと空いた穴は暗く、少し抉れた壁面が見えた。つるりとした壁だ。街のどこからでも見える、あの塔の壁。塔が生えているのは、崖――広場からもっと山のほうに行った場所なのに。

 なぜ、と思う間もなく、ここが神の座す地だからと答えが浮かんだ。そうやって、先人たちの目を欺いてきたのだ。

 

 カリンが再度ギンダの手を引いた。何かを探すように壁を伝い、首から揺蕩う鍵を壁に押し当てている。まるで、壁の向こう側に行く方法が分かっているかのように。


 息がそろそろ続かない。速く上がりたい。寒い、凍える。塔の中は――

 霞む視界で、ギンダはカリンの持つ鍵が一瞬輝いたのを見た。塔の壁面が奇妙に捩れ、池の水に流れが生まれる。吸い込まれ、流され――息が苦しくなってきたギンダは、背後で元通りになった壁も、ほのかに明らんで澄みはじめた水面にも気付かず、ただただカリンの手に縋っていた。

 

「おい、大丈夫か⁉︎」


 襟首を誰かに掴まれる。

 いつの間にか水の中から引き上げられていたギンダの目に映ったものは、ほんの数刻前に見た景色と同じものだった。だが、カリンの向こう側にはモノクロな空ではなく白磁の天井が広がり、赤々と光る鬼灯(ほおずき)が茂っていた。

 

 ここは、どこだ。

 ギンダは慌てて身体を起こすと、目の前にあったものは、信じられないものだった。

 

 鮮やかな桃色の蓮の花を幾重にも咲かせた清廉な泉。芳しい花は、光る蝶を誘っている。白磁の床は冷たくも美しく、藻や水垢すら見当たらない。天井から降るように茂る鬼灯(ほおずき)が火を灯し、泉を燦々(さんさん)と照らしている様は、どんな画集でも見たことがないほどに鮮やかだった。

 

「ここが――」

「そう、塔の中だ。やっと俺たちは塔に登れるんだ」

 

 カリンは立ち上がり、ギンダに手を差し出す。ぐっしょりと濡れた手は僅かに震えていた。凍えているだけではない。昂っているのだ。迷わずその手を掴むと、濡れた手を通して熱が伝わった。

 

「行こう――塔の上へ」

 

 カリンはギンダに笑いかける。太陽の瞳を通して見た世界は鮮やかで、ギンダの世界はそれだけで一変した。だが、それは世界の一欠片でしかない。

 世界は思った以上に広く、謎で包まれているのだ。

 

 さあ、神様に会いに行こう。神様が創ったものを見に行こう。きっとそこに、救いがあるから。

 ギンダはカリンと共に一歩、前へ踏み出した。

 

閲覧ありがとうございます。

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