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最強美食家令嬢は世界を味わい尽くす  作者: 涙目
第二章 ガルドの料理

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第九話 空の恵みは唐揚げ

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 マレシアが旅立ってから、一年が経った。


 レスティナは十二歳になっていた。


「あ、鳥だ!」


 森の中で薬草を摘んでいたレスティナは、ふと顔を上げた。


 遥か上空。


 十メートルを優に超える木々の隙間を、一羽の鳥が横切っていく。


 翼を広げた姿は遠目からでもよく見えた。なかなか立派な体格をしている。


「今日の晩ご飯!」


 籠を背負い直したレスティナは、近くにあった大木へ駆け寄った。


 足元に魔力を集中させ、地面を蹴る。


 ドンッ!


 土が大きく抉れ、小さな体が数メートルの高さまで一気に跳び上がった。


 飛び出した枝を掴み、振り子のように身体を持ち上げる。そのまま枝へ着地すると、今度は幹を蹴ってさらに上へ。


 枝から枝へ。


 木から木へ。


 まるで森そのものがレスティナを空へ運んでいるかのように、迷いのない動きで駆け上がっていく。


「待ってくださーい!」


 逃げる食材を呼び止める声が、森に響いた。


 もちろん、鳥が人間の言葉に従うはずはない。


 しかし、声に気づいたのか、上空を飛んでいた鳥が旋回した。


「あれ?」


 木の頂上近くまで登ったレスティナは、眩しい陽光に目を細める。


 先ほどまで鳥だと思っていたものが、こちらへ向きを変えていた。


 距離が縮まるにつれて、その輪郭がはっきりしていく。


 大きな翼。


 鋭く曲がったクチバシ。


 太い脚には、人間の胴体さえ簡単に引き裂けそうな鉤爪が生えている。


「あれ? 結構大きい?」


 それは鳥ではない。


 翼を広げれば十メートル近くにもなる、五メートル級の魔獣。


 ハイガルーダ。


 山岳地帯や深い森を縄張りとし、熊や大型の魔獣さえ空へ連れ去る凶暴な肉食獣である。


 人里に現れれば、騎士団か高位冒険者が討伐に駆り出される。


 当然、人間も餌として襲う。


 ハイガルーダは、木の上に立つレスティナを見つけていた。


 小さい。


 軽そうだ。


 鉤爪で捕まえ、そのまま巣まで持ち帰るのにちょうどいい。


 獲物と定めたハイガルーダが大きく翼を広げ、甲高い鳴き声を上げた。


「キィィィィィィッ!」


 翼を畳み、急降下する。


 巨体が風を切り裂き、その周囲に白い膜が生まれた。


 猛烈な風圧を受け、木々の梢が大きく揺れる。


 枝葉が舞い上がり、小さな鳥たちが一斉に逃げ出した。


 その中心で、レスティナだけが嬉しそうに笑っていた。


「わーい、下りてきてくれた。助かるよ」


 追いかける手間が省けた。


 師匠であれば、ここで頭を抱えていただろう。


 レスティナは背負っていた籠を太い枝へ引っかけた。


 腰に差した短剣には触れない。


 弓も使わない。


 ハイガルーダの羽根は矢を弾くほど硬く、半端な攻撃では傷一つつかないからだ。


 それに、身体へ刃を通せば肉が傷ついてしまう。


 血が回ると臭みも強くなる。


 胸肉も腿肉も、できるだけ綺麗なまま持ち帰りたい。


「頭なら、食べられるところも少ないよね」


 狙う場所を決めたレスティナは、枝の上で腰を落とした。


 身体の奥から魔力を引き出す。


 足へ。


 腰へ。


 背中へ。


 肩へ。


 そして、右腕へ。


 高濃度の魔力が全身を包み、細い筋肉と骨を何重にも補強する。


 さらに右の拳へ集めた魔力を圧縮した。


 一つに固める。


 逃げ場を塞ぎ、さらに押し込み、限界まで密度を高める。


 手の周囲で空気が揺らめいた。


 圧縮された魔力が、火へと変わる。


 赤かった炎が橙色へ。


 橙色から白へ。


 温度が上がるにつれ、拳を覆う炎の色が変わっていく。


 普通の人間なら、魔法を使った本人の腕まで一瞬で焼け落ちる熱量だった。


 だが、レスティナの皮膚には焦げ目一つつかない。


 全身に纏わせた魔力が、炎と衝撃から身体を守っている。


「よし」


 レスティナは迫り来るハイガルーダを見つめた。


 ハイガルーダは、獲物が逃げないことを疑問に思わない。


 自分の強さに怯え、動けなくなったのだと判断した。


 黄色い瞳がレスティナを捉える。


 巨大なクチバシが開く。


 あと数秒で、そのクチバシは小さな身体を食い千切る。


 レスティナは距離を測りながら、静かに数え始めた。


「三……」


 ハイガルーダがさらに加速する。


「二……」


 強烈な風圧がレスティナの髪を乱した。


「一……」


 木の幹が軋み、細い枝が次々と折れていく。


 レスティナの目の前を、巨大なクチバシが埋め尽くした。


「今!」


 足元の枝を蹴り砕いた。


 身体が斜め上へ飛び出す。


 ハイガルーダのクチバシを紙一重で潜り抜け、炎を纏った右拳を、その顎の下へ叩き込んだ。


「えいっ!」


 あまりにも軽い掛け声だった。


 直後。


 森の上空で、白い炎が爆発した。


 轟音が大気を揺らす。


 拳から放たれた熱と衝撃が顎を貫通し、そのままハイガルーダの頭部全体を焼き尽くした。


 羽毛が焦げるより早く、肉が炭になるより早く、頭部そのものが融解する。


 突進の勢いを失った巨体が、レスティナの横を通り過ぎた。


 頭を失ったハイガルーダの翼から力が抜ける。


 五メートルを超える胴体が、森へ向かって落下し始めた。


「おっと」


 レスティナは空中で身を捻った。


 近くを通過したハイガルーダの脚を、左手で掴む。


 細い腕に、魔獣の全体重がかかった。


 それでもレスティナの身体は、わずかに引かれただけだった。


「羽根が傷ついちゃう」


 そのまま落とせば、枝にぶつかって肉も皮も傷だらけになる。


 レスティナはハイガルーダの脚を掴んだまま、近くの幹を蹴った。


 落下の向きを変え、枝の少ない場所を選びながら地上へ下りていく。


 一度、二度、三度。


 太い枝を足場にして勢いを殺す。


 最後の枝を蹴り、開けた地面へ飛び降りた。


 ズンッ!


 着地と同時に、周囲の地面が円形に陥没した。


 土煙が舞い上がり、近くにいた小動物たちが驚いて逃げていく。


「けほっ、けほっ」


 レスティナは空いている手で土煙を払いながら、頭上を見上げた。


 左腕をまっすぐ伸ばし、その先にハイガルーダをぶら下げている。


 五メートルもの巨体を、片腕一本で。


「うん。身体には傷がついてない」


 獲物の状態を確認し、満足そうに頷いた。


 頭部は綺麗になくなっているため、血抜きもしやすい。


 ただし、あれだけ高温で焼いたのだ。首の切断面付近は火が通りすぎているだろう。


 少し切り落とす必要がある。


「もったいないことしちゃったかな」


 レスティナは申し訳なさそうに、ハイガルーダの胴体へ頭を下げた。


「残りは全部、美味しくいただきます」


 食べるために命を奪った。


 だから、可能な限り無駄にはしない。


 羽根は矢羽根や寝具に使える。


 鉤爪とクチバシの一部は、冒険者ギルドで素材として買い取ってもらえる。


 肉は胸、腿、手羽に分けられる。


 内臓も鮮度のいいうちに処理すれば、食べられる部位があるはずだ。


 骨からは、濃厚な出汁が取れるだろう。


「これだけ大きければ、色んな料理が作れるよー」


 レスティナの頭の中に、次々と料理が浮かんでいく。


 胸肉は薄く切って、香草と一緒に焼いてもいい。


 腿肉は煮込みにすれば、硬い筋まで柔らかくなる。


 手羽は骨ごと炙れば、皮の脂が落ちて香ばしくなる。


 内臓は塩と香辛料で炒める。


 骨は一度焼いてから、野菜と一緒にじっくり煮込む。


 それから――。


「鳥肉だから、揚げても美味しいよね」


 以前、町で食べた料理を思い出す。


 あの店のものは衣が厚く、油を吸いすぎていた。


 肉には下味がほとんど入っておらず、噛むと少し臭みが残っていた。


 それでも、表面の衣は香ばしかった。


 自分で作るなら、もっと美味しくできる。


 肉を大きめに切り分ける。


 豆醤を使った調味液を揉み込み、香草と香辛料で臭みを消す。


 すぐには揚げず、味が中心まで染み込むように休ませる。


 粉も一種類だけではなく、穀粉と根菜から取った澱粉を混ぜたほうがいい。


 穀粉だけなら厚く柔らかい衣になるが、澱粉を加えれば表面が軽く、カリッと仕上がる。


 揚げるときも一度ではいけない。


 最初は少し低めの温度で中まで火を通し、一度油から上げて余熱を入れる。


 最後に高温の油へ戻せば、肉汁を閉じ込めたまま衣だけを香ばしくできる。


 考えているうちに、レスティナの頬が緩んでいく。


「今日は唐揚げにしようかなー。えへへ」


 ハイガルーダを頭上に抱えたまま、レスティナは歩き出した。


 巨大な魔獣を片手で持ち上げているというのに、その足取りは軽い。


 途中、籠を置いたままだったことに気づき、引き返す。


 籠を背負い直してから、改めて小屋へ向かった。


「ご飯も炊こう。揚げたての唐揚げをご飯にのせて、肉汁とタレが染みたところを一緒に食べるの」


 歩きながら、夕食の献立を口にする。


「森菜は細く切って、水にさらして……酸っぱい実もあったよね。果汁を搾ってかけたら、油っぽくならないかも」


 これほど大きな獲物なら、何度も試せる。


 味つけを変えてもいい。


 辛くしたもの。


 香草を利かせたもの。


 甘辛いタレを絡めたもの。


 細かく刻んでパンに挟むのも美味しそうだ。


「ぬふふ」


 森の魔獣たちが、その不気味な笑い声を聞いて息を潜めた。


 牙狼も。


 大熊も。


 大型の角鹿さえ、レスティナの進む道から静かに離れていく。


 この森で最も恐ろしい存在が誰なのか、彼らは本能で理解していた。


 しかし、当の本人には自覚がない。


 レスティナにとってハイガルーダは、恐るべき上位魔獣ではなかった。


 空を飛んでいた、少し大きな晩ご飯でしかない。


「早く帰って、血抜きしなくちゃ」


 十二歳の少女は、五メートルを超えるハイガルーダを頭上に掲げながら、上機嫌で森の奥へ消えていった。


 その日の彼女の悩みはただ一つ。


 最初の唐揚げを、どの味つけで作るか。


 ただ、それだけだった。


◇


「ただいまー」


 レスティナはハイガルーダを頭上に抱えたまま、小屋の前へ戻ってきた。


 返事はない。


 一年前までは、少し遅れてマレシアの声が返ってきた。


 今はもう、レスティナ以外に住む者はいない。


 それでも、森から戻ったときには必ず声をかける。三年間続けていた習慣は、師匠がいなくなった今でも変わらなかった。


「今日は大物だよ、師匠」


 小屋の横にある解体場へ、ハイガルーダを下ろす。


 丸太を組み合わせて作った解体台だった。表面には何度も獲物を捌いた跡が残っているが、使用するたびに洗い、熱湯をかけているため清潔に保たれている。


 まずは血抜きだ。


 ハイガルーダの両脚を太い縄で縛り、滑車へかける。


「よいしょ」


 縄を引くと、五メートルを超える巨体が軽々と持ち上がった。


 首を下にして吊るし、切断面に残っていた焼けた肉を短剣で削ぎ落とす。熱で固まった部分を取り除くと、残っていた血が流れ始めた。


 そのままでは血が飛び散るため、首の下へ大きな桶を置く。


 翼と胸を数回押し、太い血管に残った血を押し出す。


 血が抜けきるまで待つ間に、レスティナは井戸から水を汲み、使う道具を洗った。


 短剣。


 骨を断つための厚刃包丁。


 肉を切り分ける薄刃包丁。


 内臓を受ける桶。


 羽根を入れる大袋。


 すべてを解体台の横へ並べていく。


 鳥の解体は、四つ足の魔獣とは勝手が違う。


 まず、胸元に残った羽根を数本摘まむ。


 生え方に逆らうように引き抜くと皮が破れやすい。羽根の向きに沿い、少しずつ抜かなければならない。


 だが、ハイガルーダの羽根は普通の鳥とは比べものにならないほど硬かった。


 一本一本抜いていては、日が暮れてしまう。


「お湯につける大きさじゃないし……少しだけ温めよう」


 レスティナは羽根の根元へ手をかざした。


 火の魔力を薄く、広く伸ばす。


 皮を焼かないように温度を抑え、羽根の根元だけを温める。熱が行き渡ったところで数本まとめて掴むと、先ほどよりもずっと軽い力で抜けた。


「うん。これなら早いね」


 翼と尾の大きな羽根は根元を傷つけないように一本ずつ抜き、素材用の袋へ。


 腹や胸を覆っている細かな羽毛は、数本ずつまとめて抜いていく。


 すべてを抜く必要はない。


 今日使う胸と腿、その周辺だけで十分だ。残りは氷で冷やしておき、明日以降に処理すればいい。


 羽根を抜き終えた部分を水で洗い、皮に残った細かな毛を火魔法で炙る。


 炎を近づけすぎず、表面を撫でる程度に素早く動かす。


 産毛が縮れ、香ばしい匂いが立ったところで濡らした布を使って丁寧に拭き取った。


 次に腹を開く。


 刃先を深く入れれば、内臓を傷つけてしまう。


 レスティナは腹の皮を指で摘まみ、薄く切れ目を入れた。そこへ二本の指を差し込み、刃が内側へ入らないように支えながら、胸の下までゆっくりと切り開く。


「これは心臓。こっちは肝臓……」


 取り出した内臓を一つずつ確認する。


 色も匂いも悪くない。


 心臓と肝臓、砂肝に似た硬い胃袋は食用の桶へ。


 傷つきやすい胆嚢は、肝臓から慎重に切り離す。破れば苦い液が肉へ移り、せっかくの内臓が食べられなくなる。


 腸などの使わない部分は、別の桶へ移した。


 内臓を取り出した腹の中を水で洗う。


 残った血と薄い膜を指で取り除き、布で水分を拭き取った。


 ここから、今日使う肉を切り出す。


 胸の中央にある大きな骨へ包丁を沿わせ、片側の胸肉を外していく。骨を削るように刃を小さく動かせば、肉をほとんど残さず切り取れる。


 外した胸肉は、レスティナの上半身より大きかった。


「胸肉だけで何日分あるんだろう」


 続いて、腿の付け根へ刃を入れる。


 脚を外側へ開き、関節の位置を確かめてから、軟骨の隙間へ包丁を滑らせた。硬い骨を無理に断つ必要はない。関節を正しく見つければ、刃はほとんど抵抗なく通る。


 巨大な腿肉を一本外す。


 こちらは皮の下に、厚い脂が蓄えられていた。


 レスティナは胸肉と腿肉の両方を見比べた。


「今日は腿肉かな。皮もつけよう」


 唐揚げには、脂の多い腿肉のほうが向いている。


 胸肉でも作れるが、火を通しすぎると水分が抜けて硬くなる。その点、腿肉は筋肉の間に脂が入り込んでいるため、高温で揚げても柔らかく仕上がる。


 切り取った胸肉と残りの胴体は、清潔な布で包む。


 そのまま小屋の裏へ運んだ。


 そこには、四年前には存在しなかった両開きの扉がある。


 レスティナとマレシアが掘り、土魔法で壁を固めて作った地下室への入り口だ。


 階段を下りた先には、森で採った木の実、干した山菜、塩漬け肉、燻製、穀物、調味料が整然と並んでいる。


 奥には、大きな氷の塊がいくつも置かれていた。


 レスティナが氷魔法で作ったものだ。


 地下の低い温度に加えて、氷から流れ出す冷気が食料庫全体を満たしている。


 氷は溶けるが、そのたびに作り直せばいい。


 レスティナはハイガルーダの肉を布で包み直し、氷のすぐ近くへ置いた。


「明日は胸肉を使おう。残りは燻製と塩漬けにして、骨は出汁かな」


 今日使う腿肉だけを持って地上へ戻る。


 調理の前に、解体で汚れた手と腕を石鹸草で洗った。爪の間まで丁寧に擦り、最後に清潔な布で水分を拭き取る。


 それから、厨房の棚を開いた。


「鳥肉だから、唐揚げにしようかなー。ぬふふ」


 取り出したのは、豆醤、果実酒、塩、乾燥させた香草、辛みの強い赤い実。


 さらに、香りの強い根菜と、辛みのある小さな鱗茎を一つずつ。


 粉は二種類用意する。


 麦を細かく挽いた穀粉と、白根芋から取った澱粉だ。


 油は、町で買ってきた植物油を使う。


 以前は獣脂しかなかったが、植物油のほうが匂いが軽く、揚げ物にしても素材の味を邪魔しない。


 まずは肉の下処理から始める。


 腿肉を皮目を下にして置き、骨に沿って包丁を入れる。


 刃先で骨の周囲を少しずつ削ぎ、肉を傷つけないように骨を外した。


 残った硬い筋は、指で摘まみながら包丁の背を滑らせて引き抜く。


 脂はすべて取り除かない。


 黄色く変色した部分や、厚すぎる塊だけを切り落とす。皮の裏側に薄くついた脂は、揚げたときに溶けて肉へ旨味を与えてくれる。


 肉を切る前に、繊維の向きを確かめる。


 繊維に沿って切れば、噛んだときに肉が硬く感じる。


 包丁を繊維に対して直角に当て、一口では入り切らないほどの大きさに切り分けた。


 小さく切れば火は通りやすいが、肉汁も逃げやすくなる。


 少し大きめに切ったほうが、外側を香ばしく揚げても中は柔らかいまま残る。


「大きな唐揚げのほうが、食べたときに嬉しいもんね」


 切り分けた肉を木の鉢へ入れる。


 そこへ、まず塩を少量。


 豆醤を二匙。


 果実酒を一匙。


 蜜をほんの少し。


 根菜と鱗茎を擦り下ろし、香草を指先で揉んで香りを立たせてから加えた。


 レスティナは両手で肉を持ち上げるようにして混ぜていく。


 表面を撫でるだけでは、味は入りにくい。


 肉を握り潰さない程度に、開いて、畳み、下から返す。皮と肉の隙間へも調味液を擦り込む。


 肉が調味液を吸い、鉢の底に溜まっていた汁がほとんど見えなくなるまで揉み込んだ。


「すぐ揚げたいけど、我慢」


 鉢へ蓋をし、冷たい地下室へ運ぶ。


 このまま四半刻ほど休ませる。


 長く漬ければ味は濃くなるが、豆醤の塩分で肉から水分が抜けすぎてしまう。


 待っている間に、米を炊く。


 一人分より少し多めの米を木の器へ入れ、水を注ぐ。


 指先を立て、米同士を擦り合わせないように大きく混ぜる。最初の水は糠の匂いを吸いやすいため、白く濁ったらすぐに捨てた。


 もう一度水を注ぎ、今度は手のひらの付け根で軽く押す。


 数回研いでは水を替える。


 水が完全に透明になるまで洗う必要はない。少し濁りが残る程度で止めたほうが、米の風味まで流れ出さずに済む。


 洗った米へ分量の水を加え、吸水させる。


 その間に、唐揚げへ添える森菜を細く刻んだ。


 葉を数枚重ねて巻き、端から一定の細さに切る。


 冷たい水へさらすと、しんなりしていた葉が水を吸い、しゃきっと立ち上がった。


 酸味の強い黄色い果実は半分に切る。


 もう一つの器には、卵黄、油、塩、酢を入れた。


 泡立て器で卵黄を混ぜながら、油を一滴ずつ加える。最初から大量に注げば、卵黄と油が分かれてしまう。


 白っぽく重くなってから、油を細い糸のように垂らす。


 角が立つほど固くなったところで、酢を加えて緩める。


 最後に、乾燥させた赤い辛実と数種類の香辛料を挽いた粉を混ぜ込んだ。


「七味マヨ、できた」


 辛みと酸味の利いた調味料を味見し、満足そうに頷いた。


 次は米だ。


 鍋を火へかけ、最初は強火。


 蓋の隙間から蒸気が勢いよく噴き出し、鍋の中から米が踊る音が聞こえてきたら、火を弱める。


 ここからは蓋を開けない。


 弱火でゆっくりと米へ水を吸わせ、音がぐつぐつという水音から、小さなぱちぱちという音へ変わるのを待つ。


 香ばしい匂いが立つ直前に火を消した。


 まだ蓋は取らない。


 蒸らしている間に唐揚げを揚げれば、ちょうど同じ頃に食べられる。


 漬け込んでいた肉を地下室から取り出す。


 肉の表面には調味液が馴染み、擦り下ろした香味野菜が薄くまとわりついていた。


 別の鉢で、穀粉と白根芋の澱粉を混ぜる。


 割合は、澱粉をやや多め。


 穀粉は肉にしっかり付着して旨味を閉じ込め、澱粉は表面を硬く軽い食感にしてくれる。


 混ぜた粉を肉へ一度に入れず、一切れずつまぶしていく。


 皮の皺を伸ばし、窪みにも粉を押し込む。


 最後に肉を軽く握り、粉を小さな塊にして表面へ付着させた。


 この不揃いな塊が、揚げたときにカリカリとした部分になる。


 鉄鍋へ植物油を注ぎ、火へかける。


 油の量は、肉が完全に沈むほど。


 深い鍋を使えば温度が下がりにくく、油も外へ跳ねにくい。


 レスティナは油の中へ菜箸の先を入れた。


 先端から小さな泡がゆっくりと上がってくる。


「まだ少し低いかな」


 もう少し待つ。


 再び菜箸を入れると、今度は細かな泡が絶え間なく上がった。


「うん、これくらい」


 一度目は、中まで火を通すために少し低めの温度で揚げる。


 肉を鍋の縁から滑らせるように入れる。


 高いところから落とせば、熱い油が跳ねる。それに、肉同士がぶつかって衣が剥がれてしまう。


 ジュワアアアアッ!


 激しい音とともに、肉の周囲から無数の泡が湧き上がった。


 一度に入れるのは三つだけ。


 たくさん入れれば油の温度が急に下がり、衣が油を吸って重くなる。


 入れた直後には触らない。


 衣が固まる前に動かすと、鍋の底や菜箸へ張りついて剥がれてしまう。


 しばらく待ってから、肉を一つずつ持ち上げる。


 薄いきつね色。


 まだ完成ではない。


 最初の三つを網の上へ取り出し、次の肉を油へ入れた。


 すべてを一度揚げたところで、そのまま数分休ませる。


 休ませている間にも、表面の熱が肉の中心へ移っていく。


 切らなくても、衣から出る泡と肉の弾力で火の通り具合は分かる。


 レスティナは最初の一つへ細い串を刺し、数秒待ってから引き抜いた。


 串を下唇へ当てる。


「温かい。ちゃんと中まで届いてるね」


 次は二度目の揚げだ。


 火を少し強くする。


 菜箸を入れると、一度目より勢いよく泡が上がった。


 休ませた唐揚げを、高温になった油へ戻す。


 ジュワッ!


 先ほどよりも高く、乾いた音が響いた。


 二度目は短時間。


 衣に残っていた水分だけを飛ばす。


 表面が濃いきつね色になり、泡が大きなものから細かく軽いものへ変わったところで、すぐに引き上げた。


 網の上へ置き、油を切る。


 揚げたての衣から、ぱちぱちという小さな音が聞こえていた。


 豆醤の焼けた香り。


 香味野菜と香草の匂い。


 熱せられた皮と脂の濃厚な香り。


 それらが小屋いっぱいに広がっていく。


「うわー、いい匂い。これだけでご飯が三杯は食べられるよ」


 大皿へ水気を切った森菜を敷き、その上に唐揚げを積み上げる。


 横へ黄色い果実と七味マヨを添えた。


 料理の名は――。


『ハイガルーダの二度揚げ唐揚げ』


 蓋を開けた鍋からは、真っ白な湯気が立ち上った。


 しゃもじを鍋肌に沿わせ、底から米を返す。


 粒を潰さないように余分な蒸気を逃がし、茶碗へふんわりと盛りつけた。


 大皿とご飯を卓上へ運ぶ。


 レスティナは椅子へ座ると、両手を合わせた。


「いただきまーす」


 まずは何もつけずに食べる。


 山のように積まれた唐揚げから、大きな一つを選んだ。


 表面は濃いきつね色。


 不揃いについた衣の角が、見るからに硬く揚がっている。


 熱いことは分かっていたが、待ちきれない。


 レスティナは大きく口を開け、唐揚げへ齧りついた。


 カリッ。


 衣の砕ける音が、小屋の中にはっきりと響いた。


「あふっ、あふい……」


 熱さに口を開けながらも、吐き出しはしない。


 歯を入れた場所から、透明な肉汁が溢れ出す。


 皮の脂と、腿肉の濃い旨味。


 豆醤の塩気。


 果実酒と蜜のほのかな甘み。


 根菜と鱗茎の香りが、噛むたびに口いっぱいへ広がっていく。


 レスティナの目尻が、これ以上ないほど下がった。


「美味しい〜」


 二度揚げした衣は香ばしいのに、中の肉は驚くほど柔らかい。


 ハイガルーダの肉は普通の鳥より弾力が強い。しかし、繊維を断つように切り、下味を揉み込んだことで、硬さではなく心地よい歯応えになっていた。


 一口目を飲み込む。


 すかさず、白いご飯を掻き込んだ。


「ん~~~!」


 濃い肉の味を、米の甘みが受け止める。


 衣から染み出した油と豆醤の風味が米粒へ絡み、噛むほど甘くなっていく。


 唐揚げ。


 ご飯。


 もう一度、唐揚げ。


 また、ご飯。


「止まらないよぉ」


 すぐに一つ目がなくなった。


 二つ目には、黄色い果実を搾る。


 果汁が衣へ落ち、じゅっと小さな音を立てた。


 酸味が染み込みすぎないうちに口へ運ぶ。


「んっ。さっぱりしてて最高~」


 果汁の鋭い酸味が脂を切り、一つ目とはまったく違う味になる。


 これならいくらでも食べられそうだった。


 三つ目には、七味マヨを少しだけつける。


 衣の端へ、先端が白く染まる程度。


 たっぷりつければ唐揚げそのものの味が消えてしまう。


「んふ~、これよこれ」


 卵黄と油のまろやかな味に、酢の酸味。


 その後から、数種類の香辛料が舌を刺激する。


 辛みで熱くなった口へ、ご飯を入れる。


 また唐揚げへ手を伸ばす。


 レスティナは頬を緩ませ、至福の時間を味わっていた。


 ハイガルーダが上位の魔獣であることも。


 その肉を十二歳の少女が一人で狩って食べている異常さも。


 彼女にとっては、どうでもいいことだった。


 強いかどうかより、美味しいかどうか。


 珍しいかどうかより、どのように料理すれば食材の味を引き出せるか。


 レスティナが気にするのは、それだけだ。


 四つ目へ手を伸ばした、そのときだった。


 ドンッ、ドンッ。


 小屋の扉が、外から叩かれた。


「ん?」


 レスティナは唐揚げを持ったまま、扉へ顔を向ける。


 この森を訪れる者はほとんどいない。


 冒険者でさえ、よほどの目的がなければ奥までは入ってこない。


 ましてや、魔獣たちはこの小屋へ近づこうとしなかった。


 ドンッ、ドンッ。


 もう一度、音がする。


 聞き間違いではない。


「誰だろう?」


 レスティナは手に持っていた唐揚げを口へ入れた。


 急いで噛み、ご飯と一緒に飲み込む。


 油のついた指を布で丁寧に拭いてから、椅子を降りた。


 誰が来たのかよりも、揚げたての唐揚げが冷めてしまうことのほうが気にかかる。


「はーい。今、開けます」


 レスティナは何の警戒もなく、扉へ手をかけた。

お読み頂き、ありがとうございます。

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