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最強美食家令嬢は世界を味わい尽くす  作者: 涙目
第一章 マレシアの料理

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第六話 初めての稼ぎと炒め丼

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

「町へ行くよ」


 朝食を食べ終えた直後、マレシアがそう告げた。


「町、ですか?」


「ああ」


 レスティナは、空になった器を持ったまま目を瞬いた。


 マレシアと暮らし始めてから、半年が過ぎている。


 この半年間、レスティナが小屋と森の外へ出たことは一度もなかった。


 毎日、狩り、料理、身体づくり、魔法の修行を繰り返してきた。


 角兎なら、一人でも狩れるようになった。


 牙狼が一匹だけなら、逃げずに戦える。


 火魔法で料理を作り、水魔法で食材や調理器具を洗える。


 最近では、少量ながら氷も作れるようになった。


 桶一杯の水をすべて凍らせようとして、逆に自分の指を凍らせかけたこともある。


 それでも、できることは少しずつ増えていた。


「何をしに行くのでしょう?」


「冒険者ギルドへ行って、あんたを冒険者として登録する」


「私が、冒険者に?」


「修行の一つだよ」


 マレシアは二人分の器を重ね、水魔法で汚れを洗い流した。


「森で生きていくだけなら、狩りと採取ができればいい。だが、それだけじゃ手に入らないものもある」


「手に入らないもの……」


「塩、油、調味料、調理器具。それに、この辺りでは採れない食材」


 レスティナの表情が変わった。


「森にない食材があるのですか?」


「当然だろう。海でしか採れないものもあれば、暑い地方でしか育たない植物もある。寒い土地を好む魔獣だっている」


「それは、町で買えるのでしょうか?」


「全部とは言わないが、商人が運んできたものならね」


「行きます!」


 レスティナは勢いよく立ち上がった。


「すぐに準備します!」


「食材の話をした途端、これだ」


 マレシアは苦笑した。


 小屋から町までは、歩いて半日ほどかかる。


 二人は昼前に小屋を出た。


 レスティナは腰に短剣を差し、背中には小さな鞄を背負っている。


 鞄の中には、これまでレスティナが狩った角兎の角と毛皮が入っていた。


 肉は食べた。


 骨は出汁を取った。


 内臓も料理に使った。


 皮と角はきれいに処理してあるが、小屋に置いておいても使い道がない。


 それらをギルドで売り、登録料と買い物の代金にする予定だった。


「冒険者登録には、家名も必要でしょうか?」


「いや。必要なのは、呼ばれたい名前と本人の魔力紋だけだ」


「では、レスティナ・ファレルではなく、レスティナだけですか?」


「ああ。冒険者には、家名を持たない者も多い。過去や出身を語りたくない者もいる。本人を識別できれば、ギルドは余計なことを聞かない」


「分かりました」


 レスティナは、それ以上尋ねなかった。


 ファレルの名前を隠すことに、後ろめたさも抵抗もない。


 家名は、レスティナに何かを与えてくれたことがなかった。


 森の中で彼女を生かしたのは、ファレル侯爵家ではない。


 自分で採った山菜と、マレシアから教わった狩りと料理だった。


 二人は森を抜け、街道へ出た。


 小屋の周囲ではほとんど人を見かけないが、街道には馬車や旅人の姿がある。


 荷物を背負った商人。


 剣を腰へ下げた冒険者。


 籠を持って歩く農民。


 レスティナは、すれ違う者たちを珍しそうに見つめた。


 昼を少し過ぎた頃、町を囲む壁が見えてくる。


 門の前には、入場を待つ商人や旅人の列ができていた。


 門を通り抜けた瞬間、レスティナは立ち止まった。


「人が、たくさんいます」


「ぶつからないように気をつけな」


「はい……」


 道の両側には、いくつもの建物が並んでいる。


 大声で客を呼ぶ商人。


 荷物を運ぶ職人。


 鎧を身につけた冒険者。


 走り回る子供たち。


 ファレル侯爵家の屋敷にいた頃、レスティナが外へ出ることはほとんどなかった。


 これほど多くの人間を間近で見るのは、初めてだった。


「あちらから、よい匂いがします」


 人の多さに驚いていたのも束の間、レスティナは通りの先へ顔を向けた。


 屋台で、串に刺した肉が焼かれている。


 店主が刷毛を使い、褐色のたれを肉へ塗る。


 焼けたたれが炭へ落ちるたび、甘辛い煙が立ち上った。


「使っているお肉は何でしょう?」


「たぶん、豚だね」


「角兎や牙狼とは違う匂いです」


「家畜と魔獣じゃ、肉の味も違う」


 反対側の店からは、焼きたてのパンの香り。


 少し先からは、魚を焼く匂い。


 見たことのない赤い果物。


 何種類もの豆。


 色とりどりの香辛料。


 レスティナの視線が、忙しく左右へ動く。


「マレシアさん」


「買い物はあとだ」


「まだ何も言っていません」


「顔に書いてあるよ」


 マレシアはレスティナの襟を掴み、屋台へ吸い寄せられそうになっていた身体を引き戻した。


「先にギルドだ。金がなければ何も買えない」


「分かりました……」


 何度も振り返りながら歩くレスティナを連れ、マレシアは町の中央にある大きな建物へ向かった。


 剣と盾を組み合わせた看板。


 扉の上には、冒険者ギルドと書かれている。


 建物の中へ入ると、多くの視線がレスティナへ集まった。


 武器を持った大人たちの中に、八歳の少女がいる。


 目立たないはずがない。


「マレシア、その子はどうした?」


 顔見知りらしい男性冒険者が声をかけてきた。


「拾った」


「犬か何かみたいに言わないでください」


「元気そうだな、おい」


 レスティナが反論すると、周囲から笑い声が上がった。


「今日は、この子の冒険者登録に来た」


「その歳で?」


 男は少し驚いたものの、それ以上は何も言わなかった。


 冒険者の強さを、年齢や体格だけで判断することはできない。


 強大な魔力を持つ子供もいれば、特殊な能力によって大人以上の働きをする者もいる。


 家計を助けるため、十歳にも満たない頃から薬草採取や害獣駆除の依頼を受ける子供も、珍しくなかった。


「なるほど。あんたの弟子か」


「はい」


 レスティナが答えると、マレシアが僅かに目を見開いた。


 それから、嬉しそうに笑う。


「ああ。私の弟子だ」


 二人は受付へ向かった。


 窓口にいた女性が、登録用の紙と透明な水晶を取り出す。


「冒険者登録ですね。登録するお名前をお願いします」


「レスティナです」


「家名は?」


「登録しません」


「承知しました」


 受付嬢は余計な質問をしなかった。


「こちらの水晶へ手を置いてください」


 レスティナが透明な水晶へ右手を載せる。


 魔力を流すよう指示され、掌から僅かに魔力を送った。


 水晶の中へ淡い光が広がる。


 光は複雑な模様へ変わり、しばらくすると中心へ小さく集まった。


「魔力紋を記録しました。今後、冒険者証を紛失した場合でも、こちらの記録によって本人確認ができます」


「一人一人、模様が違うのですか?」


「はい。同じ魔力紋を持つ人間は存在しないとされています」


 受付嬢は、記録された魔力紋を小さな金属板へ写した。


 表にはレスティナの名前。


 裏には、Fを示す文字が刻まれている。


「冒険者登録に年齢制限はありません。ただし、受注できる依頼は冒険者ランクによって制限されます」


「私はF級ですか?」


「はい。すべての冒険者はF級から始まります。依頼の失敗、怪我、死亡について、ギルドは原則として責任を負いません。自分の力量に合った依頼を選んでください」


「分かりました」


「こちらが冒険者証です。紛失しないようにしてください」


 レスティナは金属板を両手で受け取った。


 初めて自分の名前だけが刻まれたもの。


 ファレル侯爵家の娘ではない。


 妾の子でもない。


 ただのレスティナとして、自分で手に入れた証だった。


「ありがとうございます」


 登録料はマレシアが一時的に支払った。


「素材を売ったら返します」


「ああ。自分で稼いだ金の使い方を覚えるのも修行だ」


 登録を終えたあとは、素材の買い取り窓口へ向かった。


 レスティナは鞄から、角兎の角と毛皮を取り出す。


「これは、すべてお嬢ちゃんが?」


 査定を担当する男性が尋ねる。


「はい。マレシアさんに教えていただきながら、私が狩って処理しました」


「八歳で角兎をねえ」


 男性は角を光へかざし、欠けやひびを確認する。


 毛皮は裏側を広げ、肉や脂の削り残しがないかを見る。


「角に傷は少ない。毛皮も、初めてにしてはきれいだ。腹側の切り口は少し歪んでいるが、十分使える」


「歪んでいると、値段が下がるのですか?」


「ああ。大きな一枚革として使える面積が減るからな。穴を開けても同じだ」


 レスティナは、自分が最初に処理した毛皮を見つめた。


 確かに、腹側の切り口が左右でずれている。


「次は、真っ直ぐ切ります」


「頑張りな。きれいに処理された素材なら、こっちも高く買える」


 査定額が紙へ書かれた。


 そこから冒険者登録料を引き、残りの代金がレスティナへ渡される。


 小さな銀貨。


 数枚の銅貨。


 レスティナは恐る恐る受け取った。


 手の中にある硬貨は小さい。


 けれど、いつもよりずっと重く感じた。


「これが、私のお金……」


「なくさないように財布へ入れな」


 マレシアから小さな革袋を渡され、硬貨を一枚ずつ入れる。


 ちゃりん、と音がした。


「これで、何が買えますか?」


「硬いパンなら二十個くらいだな」


「そんなに」


「塩なら、小袋で四つほどか」


「塩が四つも……」


 レスティナは驚いてマレシアを見る。


「私がいただいてよいのですか?」


「あんたの稼ぎだと言っただろう」


 ギルドを出たレスティナは、先ほど通った市場へ向かった。


 右を見ても、左を見ても、欲しいものばかりだった。


「塩は必要です」


「ああ」


「油も少なくなっています」


「そうだね」


「あちらの赤い粉は何でしょう?」


「乾燥させた唐辛子だ。辛いよ」


「辛い……」


 レスティナは赤い粉を見つめた。


「少し欲しいです」


「使い方を知らないのに?」


「買ってから、教えてください」


「順番が逆じゃないかい?」


 二人は最初に塩と油を買った。


 どちらも料理には欠かせない。


 次に、乾燥させた香草。


 レスティナが気になっていた唐辛子は、ごく小さな袋だけ購入した。


 さらに市場を進むと、濃い褐色の液体を小瓶へ入れた店があった。


「これは何ですか?」


「豆醤だよ」


 店主が答えた。


「蒸した豆と麦へ塩を混ぜ、長い時間発酵させて作る調味料だ。塩気が強いが、肉にも魚にも合う」


「はっこう?」


「目に見えないほど小さな生き物の働きで、食材の味や匂いが変わることだ」


 マレシアが説明する。


「腐っているのとは違うのですか?」


「人間にとって都合よく変化したものを発酵、食べられなくなったものを腐敗と呼ぶことが多いね。ただし、見分けるには知識が必要だ」


 店主から一滴だけ味見をさせてもらう。


 レスティナは指先についた豆醤を舐めた。


「しょっぱいです。でも、あとからお豆とは違う味がします」


「それが発酵によって生まれた旨味だ」


 豆醤も、小さな瓶を一本だけ買った。


 残った金を確認しながら市場を歩いていると、レスティナの足が止まる。


 一人の商人が、白い粒の入った袋を並べていた。


「これは何ですか?」


「米だよ」


「お米?」


「東方から運ばれてきた穀物さ。水と一緒に炊いて食べる」


 商人が、見本として炊いた米を小さな器へ入れていた。


 白く、艶のある粒。


 パンとはまったく違う。


「食べてもよいですか?」


「一口だけならね」


 木の匙で少量をすくってもらう。


 レスティナは口へ入れ、ゆっくり噛んだ。


「甘いです」


「何も味つけしていませんよ」


「噛んでいると、甘くなります」


 柔らかく、僅かに粘りがある。


 味は薄い。


 しかし肉や濃い味の料理と一緒に食べれば、よく合いそうだった。


「マレシアさん」


「全部は買えないよ」


「まだ何も言っていません」


「また顔に書いてある」


 米は高かった。


 遠方から運ばれてきたため、近隣で採れる麦よりも値が張る。


 レスティナは財布の中を確かめた。


 塩、油、香草、唐辛子、豆醤を買ったことで、残る硬貨は多くない。


 米を買えば、ほとんどなくなってしまう。


「どうする?」


「……買います」


「いいのかい?」


「はい。次はもっときれいに毛皮を剥ぎます。もっと狩りをして、また稼ぎます」


 レスティナは商人へ硬貨を差し出した。


 買えたのは、小さな袋一つ。


 それでも、自分で稼いだ金で初めて買った、未知の食材だった。


 帰り道。


 レスティナは米の袋を、宝物のように抱えて歩いた。


「疲れたなら持とうか?」


「大丈夫です」


「落とすんじゃないよ」


「絶対に落としません」


 小屋へ戻る頃には、空が夕焼けに染まっていた。


 レスティナは疲れていたが、すぐに米の袋を開ける。


「今夜、食べてもよいですか?」


「ああ。せっかくだ。今日買った唐辛子と豆醤も使おう」


「何を作るのですか?」


「角兎肉の唐辛子炒め丼だ」


「どん?」


「炊いた米を器へ盛り、その上へ料理を載せたものだよ」


 レスティナは期待に目を輝かせた。


 まず、米を研ぐ。


 桶へ米を入れ、最初の水を一気に注ぐ。


「すぐに捨てな」


「まだ洗っていません」


「乾いた米は、最初の水を特に吸いやすい。糠や汚れが溶けた水を吸わせないよう、最初は軽く混ぜるだけですぐ捨てる」


 レスティナは指先で米を二、三度かき回し、白く濁った水を流した。


 新しい水を加える。


 今度は指を軽く曲げ、米同士を優しく擦り合わせるよう、円を描いて研ぐ。


「強く潰すんじゃないよ」


「汚れを落とすなら、強いほうがよいのでは?」


「米が割れる。割れたところから澱粉が流れ出し、炊いたときに粘りすぎることがある」


 水を捨て、もう一度。


 三度目。


 最初は白かった水が、少しずつ薄くなる。


「透明になるまで洗いますか?」


「薄く濁るくらいでいい。洗いすぎれば、米の香りまで流してしまう」


 研いだ米へ、たっぷりの水を加える。


「このまま火へかけるのですか?」


「まだだ。しばらく水を吸わせる」


「待つのですね」


「乾いたまま炊けば、表面だけ柔らかくなって、中心に芯が残ることがある。先に水を吸わせれば、中まで均等に火が通りやすい」


 米を吸水させている間に、角兎肉を準備する。


 使うのは後ろ脚の肉。


 背肉より歯応えがあるが、味は濃い。


 肉の繊維を確認し、それを断ち切るよう斜めへ薄く削ぎ切りにする。


「細く切るのですか?」


「炒め物は短時間で火を通す。厚く切れば、表面だけ焦げて中が生のままになる」


 切った肉を木の器へ入れる。


 少量の塩。


 果実酒。


 木の実蜜。


 豆醤。


 さらに、白い粉を僅かに振り入れた。


「その粉は?」


「白根から取った澱粉だ。薄く肉の表面へまとわせると、加熱したときに肉汁が流れ出るのを抑えられる」


「たくさん入れたほうが、肉汁を閉じ込められますか?」


「入れすぎれば、粉の塊になる。肉の表面が薄くしっとりする程度でいい」


 レスティナは指先で肉をほぐしながら、下味を揉み込んだ。


 最後に少量の油を加える。


「味つけのあとに油ですか?」


「肉同士が張りつくのを防ぐ。それに、下味と水分を油で覆う」


 揉み込んだ肉は、米が水を吸うまで休ませる。


 森玉葱は繊維に沿って薄切り。


 野蒜は細かく刻む。


 乾燥唐辛子は、まず半分へ割った。


 中から小さな種がいくつも落ちる。


「種も使えますか?」


「種と、その周りの白い部分は特に辛味が強い。初めてなら取り除いたほうがいい」


 種を除き、赤い皮だけを細い輪切りにする。


「触った手で目を擦るんじゃないよ」


「どうしてですか?」


「泣くほど痛くなる」


 レスティナはすぐに手を水で洗った。


 次に、合わせ調味料を作る。


 豆醤。


 果実酒。


 少量の木の実蜜。


 角兎の骨から取った出汁。


 それらを小さな器へ入れ、よく混ぜ合わせる。


「先に混ぜておくのですか?」


「炒め始めたら、ゆっくり量を量っている暇はない。肉へ火が入りすぎる前に味つけできるよう、先に用意する」


 米が十分に水を吸うと、粒が僅かに白く膨らんでいた。


 一度ざるへ上げ、余分な水を切る。


 厚手の鍋へ米を入れ、決めた量の新しい水を加える。


 蓋をして、火へかける。


「最初は強火だ」


「包み焼きは弱い火でした」


「料理によって火加減は違う。米はまず沸騰させる」


 鍋の中から、少しずつ音が聞こえ始める。


 最初は小さく。


 やがて、ぼこぼこと水が動く音へ変わる。


 蓋の隙間から白い蒸気が上がった。


「蓋を開けて、確かめてもよいですか?」


「駄目だ。蒸気を逃がすんじゃない」


 マレシアは火を弱めた。


「ここからは、米が水を吸いながら蒸される。強火のままでは、水がなくなったあとに底が焦げる」


 耳を澄ます。


 ぼこぼことした水音が、少しずつ小さくなる。


 代わりに、ぱちぱちと乾いた音が聞こえ始めた。


「音が変わりました」


「水が少なくなった証拠だ。匂いも覚えな」


 湯気には、炊かれた米の甘い香りが混ざっている。


 焦げた匂いはない。


 マレシアは火を止めた。


「もう食べられますか?」


「まだ蓋は開けない。蒸らす」


「火を止めたのに?」


「鍋の中には熱と蒸気が残っている。その余熱で、米の中まで水分を行き渡らせる」


「料理は、待つことが多いですね」


「待たずにおいしくなるなら、誰も苦労はしないよ」


 米を蒸らしている間に、角兎肉を炒める。


 鉄鍋を火へかける。


 何も入れず、しっかり温める。


 レスティナは鍋の上へ手を近づけ、熱を確かめた。


「触るんじゃないよ」


「はい」


 十分に熱くなった鍋へ油を入れる。


 鍋を傾け、底全体へ薄く広げる。


 最初に入れるのは、刻んだ野蒜と唐辛子。


 ただし、火は一度弱める。


「熱い鍋なのに、弱火にするのですか?」


「野蒜も唐辛子も焦げやすい。焦がせば、香りではなく苦味が出る」


 油の中で野蒜が小さな音を立てる。


 唐辛子の赤色が油へ移り、つんと鼻を刺激する香りが立ち上った。


「少し、目が痛いです」


「煙を直接吸わないようにしな」


 野蒜の縁が僅かに色づいたところで、一度取り出す。


 焦げる前に油から上げ、香りの移った油だけを鍋へ残す。


 火を強める。


「肉を入れな」


 レスティナは下味をつけた角兎肉を鍋へ入れた。


 一度に全部は入れない。


 肉同士が重ならないよう、鍋底へ広げる。


 じゅううううっ!


 激しい音。


 肉の表面が熱で締まり、薄い茶色へ変わっていく。


「すぐに混ぜなくてよいのですか?」


「焼き色がつくまで待つ。何度も動かせば鍋の温度が下がる」


 肉の縁が白く変わったところで、一枚を裏返す。


 きれいな焼き色。


「ほかも返していい」


「はい」


 両面へ焼き色をつける。


 ただし、中心まで完全に火を通さないうちに、一度皿へ取り出した。


「まだ中が赤いです」


「最後にたれと一緒に火を通す。今すべて焼けば、そのときには硬くなる」


 二度目の肉も、同じように焼く。


 すべての肉を取り出したあと、鍋へ森玉葱を入れた。


 肉から出た脂と旨味を絡めながら炒める。


 玉葱が透き通り、縁へ僅かに焼き色がつくまで。


「しんなりしました」


「ここで肉を戻す」


 焼いた角兎肉。


 先ほど取り出した野蒜と唐辛子。


 すべてを鍋へ戻す。


 あらかじめ混ぜておいた調味料を、鍋の縁から回し入れた。


 じゅわっ、と大きな音。


 豆醤と果実酒の香りが、蒸気になって立ち上る。


「強火のままで混ぜな」


「たれがなくなってしまいます」


「水分だけを飛ばす。味と旨味は肉へ絡む」


 レスティナは木べらで、底から大きく混ぜた。


 肉を潰さず、玉葱とたれを全体へ行き渡らせる。


 さらさらしていたたれが、少しずつ濃くなる。


 肉の表面へ艶が出た。


 木べらで鍋底を通ると、跡が一瞬だけ残る。


「今だ。火を止めな」


「はい」


 火を止めても、熱い鍋の中では加熱が続く。


 レスティナはすぐに料理を皿へ移した。


「鍋へ入れたままでは駄目なのですか?」


「余熱で肉へ火が入りすぎる。ちょうどよいところで、熱い鍋から離すんだ」


 最後に米。


 蒸らし終えた鍋の蓋を開ける。


 白い蒸気。


 艶のある米粒。


 市場で味見したものと同じ甘い香りが広がった。


「できています……!」


「底から返すように混ぜな」


「潰さないように、ですね」


 しゃもじ代わりの平たい木べらを、鍋肌へ沿わせる。


 底から米を持ち上げ、上と下を入れ替える。


 余分な蒸気を逃がしながら、粒を潰さないよう切るように混ぜた。


 木の器へ、炊きたての米をたっぷり盛る。


 その上へ、角兎肉と森玉葱の唐辛子炒め。


 鍋に残った濃いたれも、白い米へ回しかける。


 最後に、細く切った新鮮な香草を散らした。


「完成だ」


 角兎肉の唐辛子炒め丼。


 白い米の上に、艶のある角兎肉。


 透き通った森玉葱。


 赤い唐辛子。


 緑の香草。


 見た目だけでも、レスティナの知っている料理とはまったく違った。


「いただきます」


 最初に、角兎肉だけを一切れ口へ入れる。


「辛っ……!」


 舌が熱い。


 鼻へ抜ける唐辛子の刺激に、目の端へ涙が浮かぶ。


「無理かい?」


「いいえ」


 レスティナは、すぐに白い米を口へ入れた。


 柔らかな米。


 噛むほどに広がる甘味。


 肉の辛さと豆醤の塩気を、白米が優しく受け止める。


「んっ……!」


 辛味が消えるわけではない。


 けれど、その刺激が米の甘さを強く感じさせる。


 今度は最初から、肉と米を一緒に匙へ載せた。


 たれの染みた米。


 角兎肉。


 森玉葱。


 一口で頬張る。


 肉の焼き目は香ばしい。


 中は澱粉で薄く覆われ、肉汁が残っている。


 豆醤の旨味。


 木の実蜜の甘味。


 果実酒の僅かな酸味。


 唐辛子の辛さ。


 森玉葱の甘味。


 それらすべてを、炊きたての米がまとめていた。


「お肉を食べるために、お米を食べるのではありません」


「どういう意味だい?」


「お肉とお米を、一緒に食べる料理です」


 レスティナは、また大きな一口を頬張った。


「おいしいです!」


「初めてにしては、米もうまく炊けたね」


「音と匂いで分かりました」


「次に同じ鍋、同じ量で炊くなら、それを覚えておきな。鍋や米の量が変われば、水と火加減も変わる」


「はい」


 辛い。


 だから米が進む。


 米を食べると、また肉が欲しくなる。


 気づけば、器の中身が急速に減っていた。


「ゆっくり食べな。昨日も同じことを言っただろう?」


「冷める前が、一番おいしいです」


「言い訳だけは上手になったね」


 レスティナは少し速度を落とし、それでも幸せそうに食べ続けた。


 自分で獲物を狩った。


 自分で解体した。


 その素材を売り、自分で稼いだ金で、知らなかった食材と調味料を買った。


 そして、自分で料理した。


「おいしいです」


 同じ言葉でも、今日は特別に感じた。


 ファレル侯爵家で誰かの残り物を待っていた少女は、もういない。


 欲しいものがあれば、自分で手に入れられる。


 知らない味があるなら、自分の足で探しに行ける。


「マレシアさん」


「何だい?」


「世界には、お米のほかにも、私が知らない食べ物があるのですよね?」


「ああ。数え切れないほどある」


「全部食べるには、どのくらいお金が必要でしょう?」


 マレシアは一瞬黙り、それから声を上げて笑った。


「まずは、次の角兎を狩るところからだね」


「はい。明日は二匹狩ります」


「獲物は都合よく並んで待ってくれないよ」


「では、見つける方法も、もっと練習します」


 レスティナは、たれの染みた最後の米粒まできれいに食べた。


「ごちそうさまでした」


 初めて自分で稼いだ金は、ほとんどすべて食材へ消えた。


 けれど、後悔は欠片もなかった。


 財布は軽くなった。


 代わりに、レスティナの世界は少しだけ広くなった。

お読み頂き、ありがとうございます。

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