第五話 調理のための魔法と包み焼き
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「あと十周!」
「じゅ、十周……!」
レスティナは悲鳴を上げながら、小屋の周囲を走っていた。
初めて角兎を狩ってから、二か月。
マレシアと出会って、三か月が過ぎている。
毎日三食、肉や野菜を使った料理を食べるようになったことで、細かったレスティナの身体には少しずつ肉がついてきた。
森を歩き、山菜を採る。
水を汲み、薪を運ぶ。
包丁を握り、食材を切る。
それだけでも、侯爵家の片隅で息を潜めて暮らしていた頃とは比べものにならないほど、身体を動かしている。
けれど、マレシアの修行は、それだけでは終わらなかった。
「足を止めるんじゃないよ!」
「止めて……いません……!」
「歩いているように見えるけどね!」
「走って……います……!」
レスティナ本人としては走っている。
しかし、その速度は歩くマレシアとほとんど変わらなかった。
汗で髪が額へ張りつき、胸が激しく上下する。
足は鉛のように重い。
小屋の脇に置かれた鍋からは、朝から取っておいた角兎の骨出汁の匂いが漂っている。
昼食には、あの出汁を使った茸のスープを作る予定だった。
「お昼……ご飯……!」
レスティナは残る力を振り絞り、足を前へ出した。
その様子を見ていたマレシアが、呆れたように笑う。
「食欲だけで速くなったね」
「食べる……ためなら……!」
「はい、あと九周」
「まだ九周も……!」
どうにか走り終えたレスティナは、小屋の前へ倒れ込んだ。
「疲れました……」
「すぐに寝転がらない。ゆっくり歩いて呼吸を整えな」
「もう、動けません……」
「なら、昼飯は私が全部食べるよ」
レスティナは勢いよく身体を起こした。
「歩きます」
「元気じゃないか」
ふらふらと小屋の周囲を歩きながら、呼吸を整える。
少し休んだあとは、木製の槍を使った訓練。
獲物との距離を保つための構え。
突く。
引く。
横へ移動する。
もう一度突く。
単純な動きだが、繰り返すほど腕が重くなっていく。
「狙う場所から目を離さない」
「はい!」
「突いたあとに止まらない。獲物が倒れなかったら、すぐ次の動きへ移る」
「はい!」
「腰が引けているよ!」
マレシアの木剣が、レスティナの槍を横から叩いた。
「あっ!」
槍が手から離れ、地面を転がる。
「武器を失えば、次に倒れるのはあんただ」
レスティナはすぐに槍を拾った。
「手に力を入れすぎたのでしょうか?」
「それもある。槍を握り締めたままでは、横から力を加えられたときに逃がせない」
「では、次は力を抜きます。もう一度お願いします」
「少しは休んだらどうだい?」
「できるようになるまで、理由が合っているか分かりません」
レスティナは槍を構え直した。
失敗したことを恥ずかしがる様子はない。
できなかった。
原因を教わった。
ならば、次の一回で確かめる。
レスティナにとっては、それだけのことだった。
「本当に負けず嫌いだね」
「そうなのでしょうか?」
「自覚はないのかい?」
「できないままですと、次に進めません」
「……そういうところだよ」
あの日から、何度かマレシアと一緒に狩りへ出た。
二度目の狩りでは、槍を外した。
三度目は、獲物へ近づく前に足音で気づかれた。
四度目で、ようやく罠を使わずに角兎を仕留められた。
そのたびに血を抜き、解体し、料理して食べた。
狩りには少しずつ慣れてきたが、怖さがなくなったわけではない。
だからこそ、失敗して獲物を苦しませないためにも、力と技術が必要だった。
「よし。今日はここまで」
マレシアの言葉を聞き、レスティナはその場へ座り込んだ。
「お昼ご飯……」
「手と顔を洗ってきな」
「はい!」
疲れていたはずのレスティナが、勢いよく立ち上がる。
「その前に」
マレシアが、逃がさないようレスティナの襟を掴んだ。
「まだ修行は終わっていないよ」
「お昼ご飯は?」
「修行のあとだ」
「お腹が空いているほうが、力が出ないと思います」
「もっともらしいことを言うんじゃない」
マレシアはレスティナを座らせ、自分も向かい合って腰を下ろした。
「今日から魔法を教える」
「魔法……!」
食事へ向いていたレスティナの意識が、一瞬で戻った。
マレシアが初日に焚き火へ火をつけたときから、気になっていた。
道具を使わずに火を生み出す。
水を作る。
肉を冷やすための氷を出す。
マレシアは日々の生活の中で、当たり前のように魔法を使っていた。
「私にもできますか?」
「魔力を感じ取れればね」
「なかったら?」
「生きている人間なら、量に差はあっても魔力を持っている。問題は、それを自分で動かせるかどうかだ」
「火の魔法を使えたら、いつでも料理できます」
「気になるのは、やっぱりそっちかい」
「水が出せれば、食材やお鍋を洗えます。氷を作れれば、お肉を保存できます」
「戦いに使う発想はないのか?」
「魔獣を倒せば、お肉が手に入ります」
「結局、食べるところへ戻るんだね」
マレシアは右手を開き、レスティナへ見せた。
掌の上に、小さな炎が灯る。
「魔法は、体内の魔力を、自分が望む現象へ変える技術だ」
炎が消える。
今度は、水の塊が浮かんだ。
水は形を変え、薄い氷へ変わる。
「火、水、氷。すべて同じ魔力から作っている。ただし、人によって得意な変換と不得意な変換がある」
「全部覚えたいです」
「欲張るのは、魔力を感じられるようになってからだ」
マレシアはレスティナへ目を閉じるよう促した。
「身体の中を流れているものを探す。血とは違う。もっと温かくて、形のないものだ」
レスティナは目を閉じた。
鳥の声。
風で葉が揺れる音。
焚き火の中で、薪が弾ける音。
自分の呼吸。
心臓の鼓動。
「分かりません」
「初めはそんなものだ。焦らなくていい」
「マレシアさんは、どのくらいかかりましたか?」
「一週間くらいだったかね」
「では、私も一週間で見つけます」
「張り合わなくていいよ」
レスティナは呼吸を整え、意識を身体の内側へ向ける。
腕。
胸。
腹。
足。
何かがあるような気もする。
けれど、それが血の流れなのか、身体の温かさなのか分からない。
「昨日、槍を突いたときのことを思い出してごらん」
「槍を?」
「疲れているはずなのに、最後の一回だけ強く突けただろう?」
レスティナは記憶を辿った。
腕が動かなくなり、もう無理だと思ったあと。
マレシアに、もう一度と言われた。
力を振り絞った瞬間、身体の奥から熱いものが腕へ流れた気がする。
「……温かいもの」
「見つけたかい?」
「まだ、よく分かりません」
「それでいい。その感覚を追うんだ」
レスティナは再び集中する。
腹の奥。
小さく、温かいものがある。
意識を向けると、逃げるように形を変える。
捕まえようと力を入れれば、分からなくなる。
だから、ただそこにあるものを眺めるように感じた。
「あ……」
温かなものが、ゆっくりと胸へ上がってくる。
そこから肩を通り、腕へ。
指先まで流れた瞬間、レスティナの右手が淡く光った。
「目を開けてごらん」
レスティナは目を開く。
自分の右手を包む、薄い光。
「これが、魔力ですか?」
「ああ」
「できました」
「まさか、初日で感じるとはね」
マレシアは感心しながらも、表情を引き締めた。
「だが、ここからが本番だ。感じるだけなら、まだ魔法とは呼べない」
「次は何をすればよいのでしょう?」
「その魔力を、手の中へ集める。身体の外へ出すんじゃない。逃げないように留めるんだ」
「はい」
レスティナは右手を見つめた。
指先へ流れた魔力を、掌の中心へ集めようとする。
しかし、光は指の間から漏れるように消えていった。
「あ……」
「力を入れすぎだ。魔力は力ずくで押さえつけるものじゃない」
「では、力を抜いてみます」
もう一度。
魔力を指先へ流す。
今度は押さえつけず、掌の中央へ集まる道を作るように意識した。
先ほどより長く残ったが、やがて薄れて消える。
「今度は、先ほどより長く残りました」
「ああ。だが、集めることに意識を向けすぎて、身体から魔力を送り続けられていない」
「集めながら、送り続けるのですね」
「そうだ」
何度も繰り返した。
集めようとすると散る。
留めようとすると、次の魔力が来ない。
二つを同時に意識すれば、今度は呼吸が止まる。
「息を止めるんじゃないよ」
「息をしながら、二つするのですか?」
「魔法を使うたびに息を止めていたら、戦っている最中に倒れるよ」
「料理の途中でも困ります」
「そこまで料理を基準にしなくていい」
ようやく掌へ集まったと思った瞬間、魔力が勢いよく外へ飛び出した。
反動で、レスティナは後ろへ転がる。
「痛いです……」
「魔力に押し負けたね」
「魔力は重いのですか?」
「重さはない。今のは魔力を一度に出しすぎた反動と、あんた自身が力んでいたせいだ」
レスティナは身体を起こし、服についた土を払った。
「では、今度は力を抜いて、出す量も減らします」
「少しは休んだらどうだい?」
「お料理に使えるようになりたいので、もう一度お願いします」
「分かったよ。だが、身体に違和感があれば、すぐに言いな」
「はい」
昼食を挟み、修行は続いた。
日が傾く頃。
レスティナはようやく、掌へ豆粒ほどの光を留められるようになった。
「できました」
「ああ。今日はそこまでだ」
「まだ火は出せません」
「魔力を扱う修行は、身体を動かすより疲れる。自覚がなくても魔力を使っているからね」
言われてみれば、身体が重い。
昼食を食べたばかりなのに、空腹も感じていた。
「夕食にしましょう」
「やはり、そこへ戻るか」
「今日は、何を作りますか?」
「包み焼きにしよう」
「包み焼き?」
「食材を大きな葉で包み、中へ閉じ込めた蒸気で火を通す料理だ」
マレシアは保存していた角兎の背肉を取り出した。
前回使った腿肉とは違い、背中から取れる細長い肉。
動かす量が少ないため、非常に柔らかい。
ただし脂が少なく、直火で焼きすぎれば水分が抜け、すぐ硬くなる。
「今日作るのは、角兎背肉と森茸の香草包み焼きだ」
「角兎背肉と森茸の、香草包み焼き」
「その前に、包む葉を採りに行くよ」
二人は小屋の近くに生えている、大きな葉を持つ植物のもとへ向かった。
人の胴体を覆えるほど幅の広い葉。
厚みがあり、火へ近づけてもすぐには燃えない。
「どの葉でもよいのですか?」
「若すぎる葉は薄くて破れやすい。古すぎれば硬く、折り曲げたときに裂ける」
マレシアは色が濃く、虫食いのない葉を選んだ。
表と裏を水で洗い、汚れを落とす。
太く硬い葉脈は、包丁の背で軽く叩いた。
「切らないのですか?」
「切れば汁が漏れる。叩いて繊維を潰し、曲げやすくするんだ」
洗った葉を、沸かした湯へ一瞬だけ潜らせる。
すぐに引き上げ、冷たい水へ。
「茹でるのですか?」
「葉を食べるためじゃない。熱を加えて柔らかくする。長く茹でれば破れやすくなるから、色が少し濃くなったところで出す」
湯を通した葉は、先ほどよりもしなやかになった。
折り曲げても、簡単には裂けない。
「次は肉だ」
角兎の背肉へ包丁を入れ、指二本ほどの厚さに切り分ける。
筋はほとんどない。
それでも表面に残っている薄い膜だけは取り除く。
厚みがある部分は、包丁の背で軽く叩いた。
「腿肉のときのように、筋切りはしないのですか?」
「背肉は元から柔らかい。切れ目を入れすぎれば、そこから肉汁が流れやすくなる」
肉の両面へ塩を振る。
潰した黒い香辛料。
細かく刻んだ香草。
ごく少量の野蒜。
香りを馴染ませるため、手で優しく押さえる。
「強く揉み込まないのですか?」
「柔らかい肉を強く揉めば、形が崩れる。それに塩を馴染ませるだけなら、押さえる程度で十分だ」
森茸は三種類。
厚く大きな傘を持つもの。
細長いもの。
小さく丸いもの。
土のついた根元を切り落とす。
茸は水を吸いやすいため、長く水へ浸さない。
表面の汚れを濡らした布で拭き、窪みに入った土だけを、少量の水で素早く洗い流す。
「お野菜は、いつもよく洗うのに」
「茸は水を吸うと、香りが弱くなりやすい。汚れが少ないものなら、布で拭くだけでもいい」
大きな茸は、火が通りやすいよう薄切り。
細長い茸は手で裂く。
小さな茸は、そのまま使う。
「包丁ではなく、手で裂くのですか?」
「この茸は、縦に繊維が走っている。手で裂けば、その繊維に沿ってきれいに分かれる。表面も不規則になり、肉汁や香りを絡めやすい」
森玉葱は薄切り。
酸味のある黄色い果実は、半分へ切って果汁を絞る。
角兎の背肉には脂が少ないため、角猪の脂も薄く削って用意した。
「包むよ」
柔らかくした大葉を二枚、破れやすい部分が重なるように広げる。
最初に薄切りの森玉葱。
食材が葉へ直接張りつくのを防ぎ、加熱すると水分と甘味を出す。
その上へ、角兎の背肉。
肉の上へ角猪の脂を薄く載せる。
さらに三種類の森茸と、香草の枝。
黄色い果実の汁を、数滴だけ振りかける。
「お水は入れないのですか?」
「玉葱、茸、肉から水分が出る。葉でしっかり包めば、その水分が蒸気になって中を蒸す」
「果汁を入れすぎたら?」
「酸っぱくなる。それに水分が多すぎれば、包みの中が煮物のようになる」
大葉の左右を内側へ折る。
次に手前から奥へ。
汁が漏れないよう、継ぎ目を上へ向けた。
細く裂いた植物の蔓で、包みが開かないよう二か所を結ぶ。
「強く縛るんじゃないよ」
「開いてしまいませんか?」
「加熱すると、中の水分が蒸気になる。少し膨らむ余裕を残さなければ、葉が破れる」
同じ包みを二つ作る。
調理に使うのは、焚き火の直火ではない。
平らな石を火のそばへ置き、時間をかけて温める。
「火へ直接載せないのですか?」
「葉が燃える。熱した石の上で、ゆっくり火を通す」
マレシアはレスティナへ目を向けた。
「今日は、この石を魔法で温めてもらう」
「私が?」
「ああ。掌へ集めた魔力を火へ変え、石へ送る」
「まだ火を出したことはありません」
「だから練習するんだよ。食材を載せる前にね」
マレシアは調理に使わない小さな石を一つ置いた。
「火を想像する。色だけじゃない。熱、揺れ方、燃える音。自分が知っている火を、魔力で形にするんだ」
レスティナは石へ右手を向けた。
腹の奥にある温かなものを探す。
胸。
肩。
腕。
掌へ魔力を集める。
「火よ」
指先が赤く光った。
小さな火花が飛び、石の手前で消える。
「もう少しだったね」
「もう一度やります」
二度目も火花だけ。
三度目は、赤い光すら出なかった。
レスティナは手を見つめる。
「今は、先ほどより魔力が少なかった気がします」
「何度も使ったから、疲れてきたんだ。身体と同じで、魔力にも一度に使える量がある」
「休めば戻りますか?」
「ああ。食事と睡眠も必要だ」
「なら、成功するまでに残っている魔力を使います」
「使い切るんじゃないよ」
四度目。
五度目。
何度失敗しても、レスティナは手を伸ばした。
七度目。
指先から飛んだ火花が、石の下へ置いた乾いた草へ落ちる。
細い煙が上がった。
小さな赤い点が生まれ、ゆっくりと周囲へ広がっていく。
「火が……」
「息を吹きかけな。強すぎないように」
レスティナは顔を近づけ、そっと息を吹く。
赤い点が大きくなり、小さな炎へ変わった。
「つきました」
「ああ。初めての火魔法だ」
「これで料理ができます」
「まだ枯れ草へ火をつけられるだけだよ」
「でも、火は火です」
「その通りだ」
問題は、ここからだった。
料理に必要なのは、火を出すことだけではない。
一定の熱を保つ必要がある。
強くすれば葉が焦げる。
弱すぎれば、肉の中心まで火が通らない。
マレシアは、まず空の葉を折り、試験用の包みを作った。
中には、少量の水だけを入れている。
「これを温めてごらん」
「はい」
レスティナは魔力を石の下へ集めた。
小さな炎。
石が少しずつ温まる。
しかし、なかなか変化がない。
レスティナは炎を大きくした。
試験用の葉の端が黒くなり、細い煙を上げる。
「火を止めな」
マレシアがすぐに包みを石から下ろした。
レスティナは魔力を止め、黒くなった葉を見る。
「焦がしました」
「ああ。中を見てごらん」
葉を開く。
中の水は少し温まっていたが、沸騰するほどではない。
葉だけが先に焦げている。
「火を強くすれば、早く温まると思いました」
「外側だけならね。大きな火を出しても、中まで熱が届く前に葉が焼ける。料理は、強ければいいわけじゃない」
「では、次は小さな火を長く保ちます」
「魔力は大丈夫かい?」
「少し疲れています。でも、まだ使えます」
「違和感が出たら、すぐ止めな」
「はい」
二回目。
今度は炎を小さく保つ。
石の一か所だけではなく、包み全体が温まるよう、火をゆっくり動かす。
数分後。
葉は焦げていない。
包みを開くと、中の水から湯気が上がった。
「できました」
「次は実際の料理だ」
レスティナは緊張した顔で、食材の入った包みを温めた石へ載せた。
炎を小さく。
一か所へ集中させない。
石全体を包むように、魔力を動かす。
しばらくすると、大葉の包みが少しずつ膨らみ始めた。
「膨らんでいます」
「中で蒸気が生まれた証拠だ。包みが破れないよう、ここから少し火を弱める」
「はい」
葉の隙間から、細い蒸気が漏れる。
角兎肉。
森玉葱。
三種類の茸。
香草。
それらが混ざり合った匂いが漂った。
「よい匂いです……」
「集中を切らすんじゃないよ」
「はい」
お腹が鳴っても、火から意識を外さない。
一定時間が経つと、マレシアが包みを裏返すよう指示した。
鋏で蔓の部分を掴み、葉を破らないよう、ゆっくり返す。
反対側からも熱を加える。
「中が見えないのに、火が通ったか分かるのでしょうか?」
「時間、包みの膨らみ方、出てくる蒸気の匂い。それに、肉の厚さから判断する」
「開けて確かめては?」
「一度開けば蒸気が逃げる。何度も開け閉めすれば、火が通るまで余計に時間がかかる」
さらに数分。
マレシアが頷いた。
「火を止めな」
「もう完成ですか?」
「石から下ろしても、中には熱い蒸気が残っている。少し休ませ、その余熱で中心まで火を通す」
包みを木の板へ移す。
すぐには開かない。
レスティナは、待っている間も包みを見つめ続けた。
「もうよいでしょうか?」
「まだだね」
少し待つ。
「今は?」
「いいよ。ただし、蒸気で火傷しないよう、顔を離して開けな」
蔓を切る。
大葉の端を、奥から手前へ開く。
閉じ込められていた白い蒸気が、一気に立ち上った。
「わあ……」
鮮やかな香りが広がる。
角兎肉の上では、薄く載せた角猪の脂が溶けている。
肉と茸から出た汁が包みの底へ溜まり、森玉葱は透き通るほど柔らかくなっていた。
三種類の茸は、それぞれ形を保ちながら、角兎の肉汁を吸っている。
マレシアは肉の最も厚い部分へ細い金串を刺した。
少し待ち、抜く。
透明な肉汁。
金串の先まで、十分に熱い。
「中まで火が通っている」
「できました……」
もう一つの包みも開く。
完成した料理は、
角兎背肉と森茸の香草包み焼き。
包みの葉をそのまま皿代わりにして、二人の前へ置く。
「いただきます」
「いただこう」
レスティナは角兎の背肉を一口分だけ切った。
蒸し焼きになった肉は、以前作った腿肉の香草焼きとは違い、表面に強い焼き色がない。
その代わり、肉の水分が内側へ残り、驚くほど柔らかかった。
噛む。
「んっ……!」
角兎肉の淡泊な旨味。
溶けた角猪の脂の甘味。
黄色い果実の僅かな酸味。
香草の爽やかな香り。
包みの中に閉じ込められていた味が、一度に口の中へ広がった。
「柔らかいです」
「葉で包んだことで、肉から出た水分が逃げず、蒸気になって全体を加熱した。直接火へ当てるより、穏やかに火が入る」
次に森茸。
大きな茸は、肉に似た厚い歯応え。
細く裂いた茸には、包みの底へ溜まった肉汁がよく絡んでいる。
小さな丸い茸は、噛んだ瞬間、中に含んでいた汁が弾けるように溢れた。
「同じ包みの中に入れただけなのに、三つとも違います」
「茸は種類によって、味も香りも食感も違う。それぞれの違いを残しながら、一緒にしたときの味を考えるんだ」
森玉葱は、形がなくなりそうなほど柔らかい。
噛む必要がないほどで、強い甘味があった。
「下に溜まった汁も飲んでごらん」
レスティナは木の匙で、葉の底に溜まった汁をすくった。
水は一滴も加えていない。
すべて、肉、茸、玉葱から出たもの。
角兎肉の旨味。
茸の香り。
玉葱の甘味。
溶けた脂。
果実の酸味。
料理に使った食材すべての味が、少量の汁へ凝縮されている。
「これが一番おいしいかもしれません」
「食材から出た味を、葉が逃がさず受け止めたんだ」
レスティナは、自分の右手を見る。
「私の火で作った料理……」
「ああ」
「一度は葉を焦がしました。でも、火を小さくしたら作れました」
「失敗した理由を、次へ生かせたね」
「次は、最初から焦がしません」
「期待しているよ」
レスティナは幸せそうに、もう一口食べた。
自分の魔法で火を起こした。
自分で強さを調整した。
その火で、料理を完成させた。
「次は、水の魔法を教えてください」
「火を一度使えただけで、もう次かい?」
「お水が出せれば、お料理にも洗い物にも使えます」
「まずは、今日と同じ火を何度でも出せるようになることだ」
「では、明日も包み焼きを作ります」
「ほかの料理でも練習できるよ」
「次は、中に入れる食材を変えます」
「修行を楽しんでいるなら、まあいいか」
二人は包みの中に残った汁まで、きれいに食べた。
「ごちそうさまでした」
レスティナにとって魔法は、誰かを倒すためだけの力ではない。
食材を手に入れるため。
守るため。
最高の状態で料理するための力。
大きな炎を生み出すより、小さな火を保つ。
すべてを焼き尽くすより、一つの食材へ最適な熱を届ける。
その日からレスティナは、毎日の料理で火魔法を使い続けた。
煮込みには、鍋の中を静かに揺らす火。
焼き物には、表面へ香ばしい焼き色をつける火。
出汁を取るときは、決して沸騰させすぎない火。
料理によって違う火加減を、何度も失敗しながら身体へ覚え込ませていく。
それが後に、強大な火炎を髪の毛一本へ触れさせず操るほどの、異常な魔力制御へつながることを。
このときの二人は、まだ知らなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




