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最強美食家令嬢は世界を味わい尽くす  作者: 涙目
第一章 マレシアの料理

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第四話 初めての狩りと香草炒め

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 マレシアとの共同生活が始まって、一月が過ぎた。


 レスティナの毎日は、それまでとはまったく違うものになっていた。


 朝は日が昇る頃に起き、二人分の朝食を作る。


 食事が終わると森へ入り、食べられる山菜や茸、木の実を探す。


 小屋へ戻ったあとは、採ってきた食材の下処理。


 午後は包丁の扱いと、火の起こし方を教わる。


 夕食も、失敗しながら自分で作った。


 初めは大きさの違っていた野菜も、少しずつ同じ幅に切れるようになった。


 鍋底へ肉を焦げつかせることも減った。


 塩を入れすぎ、スープへ水を足したことは三回ある。


 マレシアはそのたびに怒ることなく、


「次からは、入れる前に一度考えな」


 と教えてくれた。


 料理以外にも、学ぶことは多かった。


 森で迷わないための目印。


 動物と魔獣の足跡の違い。


 糞の状態から、いつその場所を通ったのかを見分ける方法。


 風向き。


 天候の変化。


 安全に飲める水。


 毒を持つ虫。


 夜に近づいてはいけない場所。


 覚えることは山ほどある。


 けれど、レスティナは一度も嫌だと思わなかった。


 知らなかったことを覚えるたび、自分一人でできることが増えていく。


 何より、採ってきた食材をどう料理するか考える時間が楽しかった。


「レスティナ」


 朝食を食べ終えたマレシアが、空になった器を置いた。


「今日は狩りをするよ」


「狩り、ですか?」


「ああ」


 レスティナの手が止まった。


 この一月、山菜や茸を採りに森へ入ることはあった。


 しかし、動物や魔獣を狩ったことはない。


 食べていた肉は、初日にマレシアが倒した牙狼のものだ。


 解体した肉を塩漬けや燻製、干し肉へ加工し、氷魔法で冷やしたことで、今日まで食べることができた。


 けれど、その肉も残り少ない。


「怖いかい?」


「少し……」


「なら、怖いままでいい」


「よいのですか?」


「命を奪うことを何とも思わなくなるより、ずっといいよ」


 マレシアは立ち上がり、森へ入る準備を始めた。


 腰へ剣を差し、短弓と矢筒を背負う。


 レスティナへ渡したのは、一本の短い槍だった。


 レスティナの背丈に合わせ、マレシアが木を削って作ったもの。


 先端には鋭く研がれた刃が取りつけられている。


「これを、私が使うのですか?」


「今日は持って歩くだけでもいい。無理に獲物を仕留めろとは言わない」


 レスティナは両手で槍を受け取った。


 見た目より重い。


「ただし、覚えておきな」


 マレシアは真剣な目でレスティナを見る。


「肉を食べるなら、誰かがその命を奪っている」


 レスティナは黙って聞いた。


「あんたが直接狩らなくても、それは変わらない。料理された肉だけを見ていると忘れそうになるが、最初から肉の形で生まれてくる生き物はいないんだ」


「はい」


「だから今日は、肉が料理になる前のことを教える」


 レスティナは、手の中の槍へ視線を落とした。


 昨日食べた肉。


 一昨日食べたスープ。


 最初にマレシアが作ってくれた牙狼肉と森山菜の香草スープ。


 そのすべてが、生きていた魔獣から作られたものだった。


「行こうか」


「……はい」


 二人は森へ入った。


 いつもの採取よりも、少し深い場所へ進んでいく。


 マレシアは、ほとんど足音を立てない。


 枯れ枝を踏まず、落ち葉が少ない場所を選び、木々の間を滑るように歩く。


 一方、レスティナが歩くたび、落ち葉がかさかさと鳴った。


「足元だけを見るんじゃない。三歩先まで見て、どこへ足を置くか決めるんだ」


「三歩先……」


「身体を低くしすぎなくていい。余計に疲れる。膝を少し曲げて、足を地面へ叩きつけないように置く」


 レスティナはマレシアの歩き方を真似た。


 一歩。


 二歩。


 かさり。


 また音が鳴る。


「難しいです」


「最初からできる者はいないよ」


 さらに数歩。


 今度は、ほとんど音を立てずに歩けた。


「あ……」


「立ち止まるな。それを続けるんだ」


「はい」


 二人は風下から、獣の痕跡を探した。


 しばらくすると、マレシアが地面へしゃがみ込む。


「見てごらん」


 柔らかい土の上に、小さな足跡が残っている。


「何の足跡か分かるかい?」


「……兎でしょうか?」


「近い。角兎だ」


「魔獣ですか?」


「ああ。ただし、魔獣の中では弱い。草や木の実を食べるし、自分から人間を襲うこともほとんどない」


「おいしいですか?」


 マレシアがレスティナを見る。


 レスティナは真剣だった。


「脂は少ないが、肉は柔らかい。味も淡泊で癖が少ない。焼いても煮てもおいしいよ」


「なるほど……」


「食べる話になると、怖さを忘れるね、あんたは」


「怖くなくなったわけではありません」


 レスティナは槍を握り直した。


「でも、どんな味なのかは気になります」


「そのくらいでちょうどいいか」


 足跡を追うと、低い茂みの近くに、小さな窪みが見つかった。


 周囲には角兎の糞と、齧られた草が残っている。


「この近くを何度も通っている」


「穴の中にいるのでしょうか?」


「これは巣穴じゃない。身体を休めるために掘った跡だね」


 マレシアは周辺の地面を調べ、細い獣道を見つけた。


「罠を仕掛ける」


 マレシアは細い縄を輪の形に結んだ。


 角兎の前足が入る程度の大きさへ調整し、獣道の中央へ置く。


 縄が不自然に浮かないよう、細い枝で形を保ち、上から乾いた草を僅かに被せた。


 残る縄の端は、しなる若木へ繋ぐ。


 若木を曲げて地面近くへ固定し、輪へ足が入った状態で仕掛けが外れれば、跳ね上がって角兎を吊るす仕組みだった。


「罠を置けば、すぐに捕まるのですか?」


「そんなに都合よくはいかないよ。警戒して別の道を通るかもしれない。人間の匂いに気づいて、近づかないこともある」


 マレシアは周囲の土と葉を手へ擦りつけ、罠へ残った自分の匂いを薄くした。


「これで匂いが消えるのですか?」


「完全には消えない。だが、森の匂いに紛れさせることはできる」


「次は何をするのでしょう?」


「待つ」


「それだけですか?」


「狩りは、待つ時間のほうが長い」


 二人は罠から離れ、風下にある茂みへ身を隠した。


 動かず、声を出さず、ひたすら待つ。


 鳥の鳴き声。


 風に揺れる葉。


 虫が地面を這う小さな音。


 最初は気にならなかった音が、じっとしているうちに、少しずつ聞こえるようになってくる。


 しかし、角兎は現れない。


 どれくらい時間が過ぎたのか、レスティナには分からなかった。


 足が痺れ、槍を持つ腕も疲れてきた。


「マレシアさん」


 レスティナが小声で呼ぶ。


「何だい?」


「お腹が空きました」


「まだ朝飯から、それほど経っていないよ」


「じっとしていると、お腹が空くみたいです」


「それは、あんただけだと思うね」


 マレシアが呆れたように笑った、そのときだった。


 茂みの向こうから、微かな音が聞こえた。


 かさり。


 レスティナは息を止める。


 草の間から、小さな白い生き物が姿を現した。


 兎によく似ている。


 違うのは、額から生えた一本の角。


 短いが、先端は鋭い。


 角兎は鼻を動かしながら、慎重に周囲を窺っている。


 レスティナは動けなかった。


 可愛らしいと思った。


 同時に、どんな味なのだろうとも考えてしまった。


 角兎が獣道を進む。


 一歩。


 もう一歩。


 前足が、地面に置かれた縄の輪へ入った。


 仕掛けが外れた。


 若木が跳ね上がり、縄が角兎の前足を締めつける。


「キュウッ!」


 角兎が悲鳴を上げた。


 完全に宙へ浮くことはなく、後ろ足が地面へ触れている。


 必死に逃げようとするが、暴れるたびに前足の縄が締まっていく。


 レスティナの胸が苦しくなった。


「レスティナ」


 マレシアが静かに名前を呼ぶ。


「はい」


「仕留めるかい?」


 レスティナは答えられなかった。


 角兎は、生きようとしている。


 自分が牙狼から逃げたときと同じように、必死に身体を動かしている。


「できないなら、私がやる」


「……私ができなかったら、逃がしますか?」


「逃がさない」


 マレシアは、はっきりと答えた。


「罠にかかった時点で、前足を痛めている。逃がしても、ほかの魔獣に食われる可能性が高い」


「なら……」


「私が仕留め、私が解体する。レスティナは料理をして食べればいい」


「それでも、食べるのですね」


「ああ。罠へかけた以上、今さら何もしなかったことにはできない」


 マレシアはレスティナの目を見る。


「命を奪うのが嫌なら、肉を食べない選択もある。それは悪いことじゃない」


 レスティナは角兎へ視線を戻した。


「ですが、私は昨日も、一昨日も、お肉を食べました」


「そうだね」


「マレシアさんが倒した牙狼を」


「ああ」


「私が手を下していないだけで、命をいただいたことは同じなのですね」


「その通りだ」


 レスティナは震える手で、槍を握り直した。


「私がやります」


「無理をしなくてもいい」


「無理はしています」


 レスティナは正直に答えた。


「怖いです。可哀想だとも思います。でも、お肉を食べたい気持ちもあります」


「……そうか」


「ですから、私がやります」


 レスティナは角兎へ近づいた。


 人の気配に気づいた角兎が、さらに激しく暴れる。


「正面には立つな」


 背後から、マレシアが指示を出す。


「追い詰められた角兎は、角を向けて突進する。横へ回り込むんだ」


「はい」


「苦しませないために、一度で終わらせる。狙うのは首だ」


 レスティナは槍の穂先を向けた。


 手が震える。


 狙いが定まらない。


 角兎の目が、レスティナを見ていた。


 何を考えているのかは分からない。


 ただ、逃げたいのだということだけは分かった。


「ごめんなさい」


「謝るなら、手を止めるな」


 マレシアの声は厳しかった。


「躊躇すれば、余計に苦しませる」


 レスティナは唇を噛んだ。


 大きく息を吸う。


 槍を持つ両手へ力を込める。


「いただきます」


 槍を突き出した。


 穂先が角兎の首へ突き刺さる。


 小さな身体が大きく跳ねた。


「押さえろ!」


「はい!」


 驚いて槍を離しそうになった手へ、力を込める。


 角兎は何度か痙攣し、やがて動かなくなった。


 森に静寂が戻る。


 レスティナは、槍から手を離せなかった。


「もう大丈夫だ」


 マレシアがレスティナの肩へ手を置く。


「終わったよ」


 その言葉で、ようやく指から力が抜けた。


 レスティナは地面へ膝をつく。


「私が……殺しました」


「ああ」


「さっきまで、生きていました」


「ああ」


「私が食べるために」


「そうだ」


 マレシアは否定しなかった。


 慰めるための言葉も口にしない。


 レスティナがしたことを、別のきれいな言葉へ置き換えなかった。


「泣いてもいい。だが、目を逸らすんじゃない」


「……はい」


「この命が、これからどうやって料理になるのか。最後まで見届けな」


 レスティナは涙を拭い、頷いた。


 最初に行うのは血抜き。


 角兎を後ろ足から吊るし、首の血管へ刃を入れる。


 仕留めてから時間を置けば、血が固まり、肉の中へ残りやすくなる。


 マレシアはレスティナへ小さな包丁を持たせた。


「私がするのですか?」


「あんたが仕留めた獲物だ」


 レスティナは震える手で、教えられた位置へ刃を入れた。


 温かい血が流れ落ちる。


 先ほどまで、生きていた証。


 レスティナは顔を背けなかった。


 血がほとんど落ちなくなると、腹を上へ向けて作業台へ寝かせる。


 皮を傷つけないよう、後ろ足の周囲へ浅く切れ目を入れる。


 皮と肉の間へ指を差し込み、少しずつ剥がした。


「引っ張るだけでは駄目ですか?」


「無理に引けば、肉まで皮へつく。膜が強いところだけ、刃先を使って切り離す」


 白く薄い膜へ刃を入れる。


 深く入れすぎれば肉を削る。


 浅すぎれば皮が剥がれない。


 レスティナは何度も手を止め、確かめながら進めた。


 腹を開くときは、刃先を内臓へ向けない。


 包丁の先を上へ向け、腹の皮だけを持ち上げるように切る。


 内臓を傷つければ、中身が肉へ付着してしまう。


「こちらは食べられますか?」


 レスティナは、取り出された内臓を見つめた。


「心臓と肝臓は食べられる。腎臓も処理すれば食べられるが、今日はやめておこう。胃と腸は洗浄に手間がかかる」


「食べられるものは、食べたいです」


「無理に全部を食べる必要はないよ」


「私が命を奪ったのです。食べられるものを捨てたくありません」


 マレシアは、レスティナをしばらく見つめた。


「分かった。肝臓と心臓は、別の料理にしよう」


「料理名は?」


「肝臓は、血抜きをしてから薄く切る。心臓も開いて、中に残った血を洗う。野蒜と香草で焼いて――」


 マレシアは少し考える。


「角兎の心臓とレバーの香草炒めだ」


「そちらも作ります」


「ああ。まずは肉の処理を終えよう」


 皮を剥ぎ終える。


 前足。


 後ろ足。


 背中の肉。


 腹の薄い肉。


 部位ごとに切り分ける。


 後ろ足は、角兎の身体の中で最も肉が多い。


 よく動かすため味が濃く、背中の肉より僅かに歯応えがある。


「今日の主菜は、この腿肉を使う」


 マレシアは後ろ足を持ち上げた。


「角兎腿肉の香草焼き・赤実ソース添えだ」


「赤実は、あの酸っぱい木の実ですか?」


「ああ。肉を焼いたあとの鍋へ赤実の果汁を入れ、肉汁と合わせてソースにする」


「酸っぱいものを、お肉へ?」


「酸味は、肉の味を引き締める。角兎は脂が少ないから、果実の甘味を加えるのも合う」


 二人は獲物を小屋へ持ち帰った。


 まず、角兎の腿肉を骨から外す。


 骨へ包丁の刃を当て、形に沿わせながら少しずつ肉を切り離す。


 肉の中へ残る太い筋と、表面の薄い膜を取り除く。


「牙狼の肉より、色が薄いです」


「角兎は牙狼ほど味も匂いも強くない。だから、濃い香辛料で覆い隠す必要もない」


 肉の厚みが不揃いな部分は、包丁を寝かせて切り開く。


 切り離さず、厚い部分だけを開いて、全体の厚みを近づける。


「どうして薄くするのですか?」


「厚さが違えば、薄い部分だけ先に火が通る。厚いところへ火が入るのを待っている間に、薄いところが硬くなる」


 肉の両面へ、浅く包丁を入れる。


 何本もの細い切れ目。


「切ってしまわないのですか?」


「筋切りだよ。肉を断ち切るほど深くは入れない。加熱したときに筋が縮み、肉が反り返るのを防ぐ」


 下処理を終えた腿肉へ、塩を振る。


 一か所へ固まらないよう、高い位置から少しずつ。


 裏返し、反対側にも同じように振る。


 潰した黒い香辛料と、細かく刻んだ香草を擦り込んだ。


「すぐに焼かないのですか?」


「少し置いて、塩を馴染ませる。ただし、長く置きすぎれば肉から水分が出すぎる。今日の厚さなら、野菜とソースの準備をする間で十分だ」


 付け合わせには、小さな森玉葱と黄色い根を使う。


 森玉葱は皮を剥き、根元を僅かに残したまま縦半分に切る。


 根元をすべて切り落とすと、加熱中に層がばらばらになってしまう。


 黄色い根は皮を薄く剥き、細長く切る。


 肉と同じ鍋で焼くため、厚すぎないよう揃えた。


 次に、赤実ソースの準備。


 赤い木の実を水で洗い、布で水気を拭く。


 半分へ切り、中の硬い種を取り除く。


 種ごと潰せば、強い渋味が出るからだ。


 果肉だけを小さな木の器へ入れ、匙の背で粗く潰す。


 真っ赤な果汁が染み出した。


「味を見てごらん」


 レスティナは指先へ少量をつけ、舐める。


「酸っぱいです……」


「それだけでは、肉へ合わせたときに酸味が強すぎる。木の実蜜を少し加える」


 赤実の果肉へ、琥珀色の蜜を垂らす。


 ほんの少量。


 混ぜてから、もう一度味見する。


「先ほどより食べやすいです」


「甘くしすぎても肉の味を消す。酸っぱさが残るくらいでいい」


 すべての準備を終えると、鉄鍋を火へかけた。


 空の鍋をしっかり温める。


 そこへ角猪から取った脂を、小さな一欠片だけ落とす。


 白い脂が溶け、透明な油となって鍋底へ広がった。


 薄い煙が立ち始める直前。


 マレシアが頷く。


「肉を入れな」


「はい」


 レスティナは角兎の腿肉を、鍋の手前から奥へ向けて置いた。


 奥から置けば、跳ねた油が手へかかる。


 肉が鍋底へ触れた瞬間。


 じゅううううっ!


 激しい音が上がった。


 レスティナの肩が跳ねる。


「動かすんじゃないよ」


「焦げませんか?」


「焼き色がつく前に動かせば、肉が鍋底へ張りつく。それに、何度も裏返すと鍋の温度が下がる」


 肉の縁が、赤色から白っぽい色へ変わっていく。


 底から香ばしい匂いが立ち上る。


 マレシアは肉の端を僅かに持ち上げ、焼き色を確認した。


「今だ。裏返しな」


 レスティナは鉄の鋏で肉を掴み、慎重に裏返す。


 表面には、濃いきつね色の焼き目がついていた。


「きれいです」


「焼き色も料理の味だ。見た目だけじゃない。香ばしさが加わる」


 反対側を焼いている間に、鍋の空いている部分へ森玉葱と黄色い根を入れる。


 肉から出た脂と肉汁を絡めながら、断面へ焼き色をつける。


 マレシアは、潰した野蒜と香草の枝を鍋へ加えた。


 油の中で香りが立つ。


 木の匙で香りの移った油をすくい、肉の表面へ何度もかける。


「どうして上から油をかけるのですか?」


「鍋へ触れていない面にも熱と香りを回すためだ。表面を乾かしすぎない働きもある」


 レスティナも匙を持ち、熱い油を肉へかけた。


 一度。


 二度。


 野蒜と香草の香りが、肉の表面へ重なっていく。


「中まで焼けたのでしょうか?」


「確かめよう」


 マレシアは肉の最も厚い部分へ細い金串を刺した。


 数秒待ち、引き抜く。


 金串を手首の内側へ当てる。


「まだ少し温かい程度だ。もう少し火を入れる」


「切って中を見てはいけないのですか?」


「切れば肉汁が流れ出る。何度も切って確かめれば、食べる頃にはぱさぱさになるよ」


 火を少し弱め、鍋へ蓋をする。


 表面を焼く強い熱ではなく、鍋の中へ閉じ込めた熱で、中心までゆっくり火を通す。


 しばらくして、もう一度金串を刺す。


「触ってごらん」


 レスティナは金串を手首へ当てた。


「先ほどより、熱いです」


「中心まで熱が届いた証拠だ」


 マレシアは肉を鍋から取り出し、木の板へ載せた。


「すぐに切ってよいですか?」


「まだだ」


「火は通ったのですよね?」


「ああ。だが、焼きたての肉の中では、肉汁が動いている。すぐ切れば、切り口から全部流れてしまう」


「冷めてしまいませんか?」


「布を軽くかけて、温かい場所で休ませる。完全に冷やすわけじゃない」


 清潔な布をふんわりと被せる。


 きつく包めば蒸気がこもり、せっかく焼いた表面が湿ってしまう。


 肉を休ませている間に、赤実ソースを作る。


 肉を焼いた鍋には、脂、肉汁、香草、野蒜、茶色い焼き跡が残っている。


 余分な脂だけを匙ですくい、少量を残す。


 そこへ、潰した赤実と果汁を加えた。


 しゅわっ、と音が上がる。


 木べらで鍋底を擦り、こびりついていた肉の旨味を果汁へ溶かしていく。


「色が変わりました」


 鮮やかな赤だった果汁へ、肉汁と焼き跡が混ざり、深い赤褐色になっている。


 少量の水を加え、弱火で煮詰める。


「煮詰めると、どうなるのですか?」


「水分が減り、味が濃くなる。ただし、煮詰めすぎれば蜜が焦げる。木べらで鍋底を通った跡が、少しだけ残るくらいで止める」


 レスティナはソースを混ぜ続けた。


 最初はすぐに消えていた木べらの跡が、少しずつ残るようになる。


「今でしょうか?」


「火を止めて、味を見な」


 小さな匙へ取り、息を吹きかける。


 レスティナは舐めた。


 最初に赤実の酸味。


 次に木の実蜜の甘味。


 最後に、角兎肉の旨味と香草の香りが残る。


「酸っぱいです。でも、お肉と一緒ならおいしそうです」


「なら完成だ」


 休ませた腿肉から布を外す。


 表面は濡れておらず、香ばしい焼き色が残っている。


 マレシアは肉の繊維が走る方向を示した。


「盛りつける前に、繊維を断つ向きへ切る」


「牙狼肉のときと同じですね」


「ああ。角兎の肉は柔らかいが、切り方を揃えれば、さらに食べやすい」


 レスティナが包丁を入れる。


 厚めの一切れ。


 切り口から肉汁が僅かに滲むが、板へ大量に流れ出ることはない。


 中まで火が通り、薄い桃色を残した柔らかな色をしている。


「お肉を休ませたから、肉汁が出ないのですか?」


「すべてではないがね。焼いてすぐ切るより、肉の中へ留まりやすい」


 皿へ森玉葱と黄色い根を盛る。


 その横へ、切り分けた角兎の腿肉。


 肉の一部へ赤実ソースをかけ、残りは焼き色が見えるよう、そのまま残した。


 最後に、新鮮な香草の葉を添える。


「できました」


 角兎腿肉の香草焼き・赤実ソース添え。


 もう一つの小さな皿には、血抜きした心臓と肝臓を薄く切り、野蒜と香草で炒めたもの。


 角兎の心臓とレバーの香草炒め。


 二人は完成した料理を前に、向かい合って座った。


 レスティナは、すぐには手を伸ばさなかった。


「どうした?」


「さっきの姿を思い出しました」


「食べられそうにないかい?」


「分かりません」


「残しても怒らないよ」


 レスティナは香草焼きを見つめる。


 香ばしい匂いに、お腹は正直に反応していた。


 食べたい。


 けれど、角兎が罠の中で暴れていた姿も忘れられない。


 レスティナは両手を合わせた。


「いただきます」

挿絵(By みてみん)


 最初は、ソースのかかっていない肉を一切れ。


 口へ入れ、ゆっくり噛む。


 焼けた表面は香ばしい。


 中は柔らかく、噛むたびに温かな肉汁が溢れる。


 牙狼肉より癖がなく、淡泊。


 その分、野蒜と香草の香りがよく分かる。


「……おいしい」


 その言葉と同時に、涙が一粒、頬を伝った。


 次は、赤実ソースのかかった肉。


 果実の酸味が、肉の味を鮮明にする。


 木の実蜜の優しい甘さ。


 鍋底から溶かした肉の旨味。


 同じ肉なのに、ソースなしとはまったく違う味だった。


「酸っぱいのに、お肉と合います」


「角兎のように脂が少ない肉には、果実のソースがよく合う」


「おいしいです、マレシアさん」


「ああ」


「おいしいと思っても、よいのでしょうか?」


「そのために命をもらったんだ」


 マレシアも、肉を一切れ口へ運ぶ。


「おいしいと思うことは、悪いことじゃない。忘れてはいけないのは、この料理がどこから来たのかだ」


「はい」


「食べられる部分を無駄にしない。きちんと料理する。そして、感謝して食べる」


 レスティナは、心臓とレバーの香草炒めも食べた。


 心臓は、腿肉よりも弾力がある。


 噛むたびに、濃い肉の味がする。


 肝臓は柔らかく、僅かな苦味と鉄に似た風味があった。


 野蒜の強い香りが、内臓特有の匂いを和らげている。


「同じ角兎でも、全部味が違います」


「身体の中で役割が違うからね。動かし方も、含んでいるものも違う」


「一匹から、いくつも料理を作れるのですね」


「ああ。残った前足と背肉も、別の料理に使える。骨からは出汁が取れる。皮と角は町で売れる」


 レスティナは、もう一度肉を口へ運んだ。


 今度は、先ほどよりもゆっくり噛んだ。


「命をいただくから、いただきます、なのですか?」


「私は、そう思っている」


「では、ごちそうさまは?」


「命を分けてもらったことと、料理を作ってくれた者への感謝だ」


 レスティナは、その言葉を胸へ刻んだ。


 食事は、空腹を消すためだけのものではない。


 食材になった命がある。


 それを狩った者がいる。


 料理を作った者がいる。


 いくつものものを受け取り、自分は生きている。


 二人は角兎の料理を、時間をかけて食べた。


 食事を終え、レスティナは空になった皿の前で、深く頭を下げる。


「ごちそうさまでした」


 初めての狩り。


 初めて自分の手で奪った命。


 その味を、レスティナは生涯忘れなかった。


 そして、この日から彼女は、食材を決して粗末にしなくなった。


 どれほど危険な魔獣であっても。


 どれほど巨大な獲物であっても。


 命をいただくのなら、可能な限りおいしく料理する。


 それが後に、最強の美食家と呼ばれる少女が、自らへ課した最初の掟となった。 

お読み頂き、ありがとうございます。

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