第二十七話 みんなで食べる寮の夕食
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
第二十七話 寮生全員で食べる、岩牛肉と豆の赤実煮込み
翌朝。
レスティナが教室へ入ると、昨日よりも多くの視線が集まった。
B級冒険者だと知られた昨日とは、少し種類が違う。
怖がるような視線ではない。
何かを期待するような目で、レスティナを見ている。
「おはようございます」
挨拶をしながら自分の席へ向かう。
ミレーヌが、困ったような笑顔で待っていた。
「おはようございます、レスティナ様」
「おはようございます」
席へ座る。
「今日は、皆さんが道を空けませんでした」
「代わりに、近づきたそうにしています」
「なぜでしょう?」
「おそらく、昨日のスープです」
「スープ?」
「エリオット様が、魔力を使い切った翌日とは思えないほど元気に登校なさったので」
ミレーヌが教室の入り口を見る。
ちょうど、エリオットが入ってきた。
昨日、医務室へ運ばれたとは思えない。
顔色はよい。
足取りもしっかりとしている。
「おはよう、レスティナ」
「おはようございます。身体は大丈夫ですか?」
「ああ。昨日の夜はまだ少し重かったが、朝には完全に戻っていた」
「それはよかったです」
「医務室の先生には、今日一日は魔法を使うなと言われたがな」
「守ってください」
「分かっている」
エリオットはレスティナの前へ立ったまま、教室内を見渡した。
「先に言っておく。昨日のスープを飲みたければ、魔力を使い切ればいいなどと考えるなよ」
何人かの生徒が、露骨に目を逸らした。
「そんなことを考えていたのですか?」
「お前が来る前に、何人も俺へ聞きに来た。どの程度まで魔力を使えば、あのスープを作ってもらえるのかとな」
「力を使い切るのは危険です」
「だから、そう言っておいた」
エリオットは自分の席へ戻る。
入れ替わるように、一人の令嬢がレスティナへ近づいた。
「あの、レスティナ様」
「はい」
「私、昨日の実技授業で少し疲れてしまいましたの」
「医務室へ行きましたか?」
「そこまでではありません。ただ、今朝も身体が重くて」
「睡眠は?」
「よく眠れませんでした」
「朝食は食べましたか?」
「食欲がなくて、少しだけ」
レスティナは、令嬢の顔色を見る。
魔力を使い切ったエリオットほど悪くはない。
それでも、目の下には薄い影がある。
「魔力を使いすぎたのでしょうか?」
「疲れているのは、魔力だけが理由ではないと思います」
「では、あのスープをいただければ――」
「今はありません」
「作っていただけませんの?」
「岩牛の骨を長く煮込む必要があります。それに、あの料理は力を使いすぎた方へ作るものです」
「そう……ですか」
令嬢の肩が下がる。
その様子を見ていた別の生徒が、横から声をかけた。
「では、疲れているときに食べる料理はありませんの?」
「母の本には、角兎肉と根菜の煮込みが書かれていました」
「それを作ってくださいません?」
「私にも」
「昨日の実技で足が痛くて」
「私は、夜遅くまで課題をしていたので眠いですわ」
一人が声を上げると、周囲にいた生徒たちが次々と集まってきた。
「肌が綺麗になる料理はありませんの?」
「剣術の疲れが取れるものを」
「太りにくいお菓子も作れます?」
「背が伸びる料理は?」
「魔力が増えるものが欲しいです」
レスティナは、次々と寄せられる言葉を聞いていた。
「皆さんの分を、別々に作ることはできません」
集まった生徒たちが静かになる。
「なぜですの?」
「授業が終わってからでは、時間が足りません。それに、学園の食材は、特定の方のためだけに使ってはいけないと教わりました」
「材料は、こちらで用意しますわ」
「私も代金を払えます」
「厨房の仕事を妨げます」
「では、どうすれば作ってくださるの?」
レスティナは考える。
一人ずつ違う料理を作ることはできない。
だが、同じ料理を皆で食べるのであれば。
「厨房に届いた食材を見てから、バルガス料理長へ相談します」
「では、作ってくださるのですね?」
「許可をいただければ」
生徒たちの表情が明るくなる。
「楽しみにしていますわ」
「今夜でしょう?」
「食堂へ早く行かなければ」
予鈴が鳴る。
生徒たちは、それぞれの席へ戻っていった。
レスティナは、少し困ったように周囲を見る。
「まだ、作れるとは決まっていません」
「皆さんには、作っていただけると聞こえたのだと思います」
ミレーヌが答えた。
「難しいですね」
「ですが、私も楽しみです」
「ミレーヌさんも疲れているのですか?」
「いいえ。一緒に食べたいだけです」
レスティナは目を瞬いたあと、小さく笑った。
「では、何か作れるようにお願いします」
◇
授業が終わる。
レスティナが女子寮へ戻ると、厨房へ続く廊下に人だかりができていた。
十人。
二十人。
それ以上。
一年生だけではない。
噂を聞きつけた上級生まで、厨房の扉を遠巻きに見ている。
「レスティナ様がいらしたわ」
「今日のお料理は何ですの?」
「魔力が回復するスープでしょう?」
レスティナが近づくと、生徒たちが一斉に話しかけてきた。
「まだ何も決まっていません」
「ですが、作ってくださると」
「料理長へ相談すると言いました」
「では、早く相談してくださいませ」
厨房の扉が勢いよく開いた。
バルガスが、顔を出す。
「邪魔だ!」
低い声が廊下へ響いた。
集まっていた令嬢たちが、一斉に黙る。
「ここは食堂じゃない! 仕事の邪魔になる場所へ集まるな!」
「ですが、レスティナ様が料理を作ると――」
「誰が、そんなことを決めた!」
誰も答えられない。
バルガスはレスティナを見る。
「入れ」
「はい」
「他の生徒は食堂へ行け。夕食の時間まで厨房へ近づくな」
令嬢たちは不満そうだったが、料理長の剣幕に押され、少しずつ離れていった。
最後の一人が見えなくなる。
レスティナは厨房へ入った。
「申し訳ありません」
「何をした」
「昨日のスープについて尋ねられました」
「それで、全員へ作ると約束したのか?」
「約束はしていません。届いた食材を見て、料理長へ相談すると答えました」
「同じことだ」
「違います」
「生徒たちにとっては同じだ」
「そうなのですね」
バルガスは深く息を吐いた。
「昨日のスープは、魔力を回復させる料理だったのか?」
「分かりません」
「飲んだ生徒は、どうなった」
「手の震えが止まり、顔色が戻りました。今朝には元気になっていました」
「医務室の教師は?」
「普通より早い回復だと驚いていました」
「それで噂になったわけか」
バルガスは頭を掻いた。
「治療が必要な者へ料理を作ること自体は悪くない。だが、元気な者が特別な料理を求めて厨房へ押しかけるのは別だ」
「はい」
「一人へ作れば、次は十人。その次は百人になる」
「でしたら、全員分を作ればよいのではないでしょうか?」
バルガスの動きが止まった。
「簡単に言うな」
「今夜の料理へ、私も参加します」
「お前は、寮生が何人いるか知っているのか?」
「知りません」
「女子寮だけで百人を超える」
「大きな鍋が必要ですね」
「そこを心配しているんじゃない!」
厨房の料理人たちが笑う。
バルガスは、壁際に並ぶ食材を指した。
「今夜は、岩牛の肉と豆を赤実で煮込む予定だ」
大きく切られた岩牛の肩肉。
一晩水へ浸した乾燥豆。
赤実。
根菜。
鱗茎。
香味野菜。
昨日スープへ使った岩牛骨の出汁も、少量残っている。
「これを、お前一人で百人分作れるか?」
「一人では難しいです」
「分かっているなら――」
「皆さんと一緒なら作れます」
レスティナは、厨房で働く者たちを見る。
「教えてください。たくさんの料理を、同じ味に作る方法を」
バルガスは、レスティナをしばらく見つめた。
自分の料理を見せたいわけではない。
一人で手柄を立てたいわけでもない。
本気で、寮生全員へ温かい料理を食べさせようとしている。
「今日は見習い二日目だ」
「はい」
「普通なら、まだ野菜を洗わせているところだ」
「洗います」
「肉も切れ」
「はい」
「豆の状態も見ろ」
「分かりました」
「俺の指示を聞け。勝手に味を変えるな」
「はい」
「それが守れるなら、手伝わせてやる」
レスティナの表情が明るくなる。
「ありがとうございます」
◇
岩牛肉と豆の赤実煮込み。
大量調理では、家庭の鍋と同じ方法は使えない。
肉を一度に平鍋へ入れれば温度が下がる。
焼くのではなく、肉から出た水分で煮ることになってしまう。
レスティナは、岩牛の肩肉を同じ大きさへ切り分けた。
表面の水分を布で拭き取る。
塩と香辛料を薄くまぶす。
大きな平鍋へ脂を引き、十分に熱する。
「肉を入れすぎるな」
バルガスが指示する。
「はい」
鍋底へ隙間が残る量だけ、肉を並べた。
じゅっ、と力強い音が鳴る。
動かさない。
表面へ焼き色がつくまで待つ。
「まだ返すな」
「はい」
鍋へ触れていた肉が、焼けることで自然に離れる。
そこで初めて裏返す。
全面へ焼き色をつけ、深い鍋へ移した。
次の肉。
さらに次。
一度に焼けば早く終わる。
だが、美味しくはならない。
急がず、同じ手順を繰り返す。
最後の肉を取り出した平鍋には、茶色い旨味が張りついていた。
そこへ少量の湯を注ぐ。
木べらで鍋底を擦り、旨味を溶かす。
その液体も、煮込み鍋へ加えた。
「捨てないのですね」
「捨てる理由がない」
バルガスが答える。
「肉の味が、一番濃く残っている場所だ」
別の大鍋では、料理人たちが鱗茎と香味野菜を炒めている。
鱗茎が飴色になるまで待つ時間はない。
それでも、表面の水分を飛ばし、甘い香りが出るまで火を入れる。
レスティナは赤実を潰した。
皮と種も、すぐには捨てない。
布袋へ入れ、煮込み鍋の中へ。
香りと酸味だけを煮汁へ移し、最後に取り出す。
「そんな使い方もあるのですね」
「大量に作るときは、すべてを漉すのが難しい」
バルガスが答える。
「取り出したいものは、最初から袋へ入れておく」
レスティナは紙へ書き留めた。
焼いた肉。
炒めた野菜。
潰した赤実。
岩牛骨の出汁。
香辛料。
すべてを大鍋へ入れる。
最初は中火。
沸き始めたら、灰汁を取る。
火を弱め、肉が柔らかくなるまで煮込んだ。
水へ浸しておいた豆は、別の鍋で下茹でする。
一粒食べる。
中心へ僅かに硬さが残っている。
「まだ早くないか?」
「このあと、煮込み鍋でも火が入ります」
「正解だ」
豆を加える。
根菜は、そのあと。
最初から入れれば、肉が柔らかくなる前に煮崩れてしまう。
大量の煮込みを混ぜるには、長い木べらを使う。
鍋底から。
外側から中央へ。
豆を潰さないよう、ゆっくりと。
「火が弱いです」
レスティナが言った。
「どこだ?」
「右奥です」
大鍋の下では、複数の火が燃えている。
右奥だけ、薪の形が崩れ、炎が鍋底へ届いていない。
「よく分かったな」
「煮汁の動きが違いました」
薪を組み直す。
鍋全体へ、均等に熱が伝わり始めた。
だが、大鍋が一つだけではない。
同じ煮込みを三つの鍋で作っている。
同じ材料。
同じ分量。
それでも、鍋の位置や火の強さによって味は変わる。
レスティナは三つの鍋を順番に味見した。
「一番目は、赤実の酸味が強いです」
「根菜を少し移せ」
「二番目は、肉の味が薄いです」
「骨の出汁を足す」
「三番目は、塩気が足りません」
「今は足すな。煮詰まってから決める」
「はい」
一つの鍋だけを美味しくするのではない。
どの皿を受け取っても、同じ味になるように整える。
レスティナにとって、初めての経験だった。
「百人分の料理は、難しいですね」
「今さら気づいたか」
「ですが、面白いです」
「変わったお嬢様だ」
煮込みの量が減り、味が濃くなる。
最後に塩を整える。
酸味が強い鍋には、よく煮崩れた根菜を潰して加えた。
味が薄い鍋には、煮詰めた岩牛骨の出汁。
三つの鍋から同じ香りが立ち上る。
肉を一つ取り出す。
木べらで押すと、繊維に沿って崩れた。
豆は形を保ちながら、中心まで柔らかい。
根菜には、赤実と肉の旨味が染み込んでいる。
「できました」
「まだだ」
バルガスが止める。
「火を止めて、少し休ませる」
レスティナは目を瞬いたあと、頷いた。
「味を落ち着かせるのですね」
「分かっているじゃないか」
「ガルド料理長にも、よく言われました」
蓋をする。
厨房の料理人たちは、その間に皿を並べた。
パンを切る。
葉野菜を盛る。
配膳の準備を整える。
夕食の鐘が鳴る直前。
蓋を開ける。
赤実の酸味。
岩牛肉の濃い香り。
豆と根菜の甘味。
厨房いっぱいに、煮込みの香りが広がった。
◇
夕食の鐘が鳴る。
いつもより早く、食堂が生徒たちで埋まった。
皆、今夜の料理を知っているらしい。
「レスティナ様が作ったのですって」
「魔力が回復するのかしら」
「美容にもよいのではなくて?」
「昨日のスープとは別の料理でしょう?」
様々な声が飛び交う。
レスティナは、配膳口の内側に立っていた。
バルガスから、最後まで厨房の仕事を手伝うよう言われている。
深皿へ、煮込みを注ぐ。
肉。
豆。
根菜。
どの皿にも同じように入るよう、匙で確かめる。
「量が違うぞ」
バルガスが言う。
「こちらの方が、少し多いです」
「分かっているなら直せ」
「はい」
一皿。
十皿。
三十皿。
作るだけでは終わらない。
全員へ同じ状態で届けるところまでが料理。
レスティナは、昨夜自分が言った言葉を思い出していた。
料理は、食べる人の口へ入ったときに完成する。
最後の一皿が食堂へ運ばれる。
「行ってこい」
バルガスが言った。
「よいのですか?」
「お前も生徒だ。自分で作った料理が、どう食われるか見てこい」
「はい」
レスティナは調理用の上着を脱ぎ、手を洗った。
自分の分を受け取り、ミレーヌたちの待つ席へ向かう。
今日は、ミレーヌとセレナだけではなかった。
エリオットも、食堂へ来ている。
「男子寮の食堂ではないのですか?」
「教師に許可をもらった。昨日の礼も兼ねて、味を確かめろと言われた」
「魔力は使っていませんか?」
「使っていない」
「なら、大丈夫です」
「監視されている気分だな」
「無理をしないように見ています」
四人で、同じ料理を囲む。
「いただきます」
レスティナが先に口へ運んだ。
岩牛肉は柔らかい。
噛めば、赤実と骨の出汁を含んだ肉汁が広がる。
豆はほくほくとしている。
根菜の甘味が、赤実の酸味を和らげていた。
大鍋で作った料理。
一人では作れなかった味。
「美味しいですわ」
セレナが言った。
「昨日のオムレツとは、まったく違いますわね」
「温かくて、安心する味です」
ミレーヌは、匙を両手で持つようにして食べている。
「これにも、魔力を回復させる効果があるのか?」
エリオットが尋ねた。
「分かりません」
「昨日と同じ岩牛骨の出汁が入っているんだろう?」
「入っています。ですが、昨日のスープは、力を使いすぎた方へ作りました」
「今日は?」
「皆さんが一緒に食べる夕食です」
レスティナは食堂を見渡した。
寮生たちが、同じ煮込みを食べている。
怖がるように遠巻きにしていた生徒。
料理を作ってほしいと集まってきた生徒。
名前も知らない上級生。
全員が、同じ鍋から作られた料理を口へ運んでいる。
「身体が温かくなってきましたわ」
「今日の授業の疲れが、少し楽になったような」
「お肉が柔らかいです」
「おかわりはありますの?」
あちこちから声が上がる。
配膳口には、すでに列ができていた。
「おかわりできるのでしょうか?」
ミレーヌが尋ねる。
「全員へ行き渡ったあと、残っていれば」
「では、急がなければなりませんわ」
セレナが食べる速度を上げる。
「ゆっくり噛んでください」
「なくなってしまいますわ」
「喉へ詰まらせます」
その会話を聞き、エリオットが笑った。
食堂内の空気は、いつもより賑やかだった。
食事が終わっても、生徒たちはすぐに席を立たない。
料理の感想を言い合う。
次は何を食べたいか話す。
知らなかった生徒同士が、同じ鍋の味について笑い合っている。
「あの方が、レスティナ・ファレル様?」
離れた席で、上級生が尋ねる。
「十三歳のB級冒険者ですわ」
「灰岩竜を殴って倒したという?」
「パーティーで倒したそうです。それより、昨日は魔力を使い切った生徒を、料理で一晩のうちに回復させたとか」
「今日は寮生全員分を作ったのでしょう?」
「とんでもない方ですわね」
一人の令嬢が、空になった皿を見つめる。
「最強の冒険者というより、美食家ですわ」
「では、最強の美食家令嬢ですわね」
その呼び名は、笑い声と共に生まれた。
まだ、この食堂の片隅だけ。
けれど翌日には女子寮へ。
その次の日には、学園中へ。
やがて王都へ広がっていくことになる。
当のレスティナは、自分につけられた呼び名には気づいていなかった。
「おかわり、まだ残っているでしょうか?」
空になった皿を手に、配膳口を見つめていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




