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最強美食家令嬢は世界を味わい尽くす  作者: 涙目
第三章 学園の料理

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第二十二話 学園の食堂と冷めた料理

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 侯爵邸を出た馬車は、王都の中心から東へ進んでいた。


 窓の外には、レスティナが見たことのない景色が流れていく。


 何台もの馬車が行き交う大通り。


 朝から客を呼び込む商人。


 焼きたてのパンを並べる店。


 軒先へ吊るされた肉。


 色鮮やかな果実。


 その一つ一つを、レスティナは食い入るように見つめていた。


「あれは、何でしょう?」


 見慣れない赤紫色の実を見つけ、思わず身を乗り出す。


 だが、答える者はいない。


 馬車の中にいるのはレスティナ一人。


 ドルアとレメシアは別の馬車へ乗っている。


 侯爵家の三姉妹として同時に屋敷を出たが、学園へ向かう馬車まで同じにするつもりはなかったらしい。


「今度、買いに来てもよいでしょうか」


 御者へ尋ねる。


「学園の許可があれば、外出日にお出かけいただけます」


「では、その日に見に来ます」


 忘れないよう、赤紫色の実が売られていた場所を覚えておく。


 学園へ行けば、侯爵邸とは違う食材に出会える。


 王都には、森にも領地にもなかった食べ物がある。


 そう考えるだけで、これから始まる学園生活が楽しみになった。


 しばらく進むと、馬車の速度が落ちた。


 窓から前方を覗く。


 王都の東側に、白い石壁で囲まれた広大な敷地が見えてきた。


 中央には、いくつもの尖塔を持つ大きな校舎。


 その周囲に、訓練場や寮らしき建物が並んでいる。


「あれが学園ですか?」


「はい。王立グランフェル学園でございます」


 御者の答えを聞き、レスティナは座席へ座り直した。


 膝の上には、ガルドから渡された包みがある。


 小麦と焼いた肉の香りは、まだ残っていた。


 馬車の中で食べるよう言われたが、王都の景色に夢中になり、手をつけていない。


 包みを開く。


 横に切った丸いパンへ、厚く切った角兎肉と葉野菜が挟まれていた。


 肉の表面には香草と塩。


 パンには、肉汁を弾くよう薄く獣酪が塗られている。


 さらに、水分の少ない根菜の酢漬けが添えられていた。


「食べやすくしてくれたのですね」


 皿も食器も必要ない。


 馬車の揺れで汁が零れる心配もない。


 冷めても脂が固まりにくい部位が使われている。


 レスティナは両手でパンを持ち、一口食べた。


 表面を強めに焼いた香ばしい肉。


 葉野菜の瑞々しさ。


 根菜の酸味。


 噛むほどに、小麦と肉の甘味が混ざり合う。


「美味しいです」


 厨房で食べた料理と同じ味がした。


 けれど、いつもよりも胸の奥が温かくなる。


 自分が作ったものではない。


 誰かが、自分のために作ってくれた料理だった。


「帰ったら、作り方を教えてもらいましょう」


 レスティナは、最後の一口まで大切に食べた。


◇


 王立グランフェル学園の正門前には、数え切れないほどの馬車が並んでいた。


 王家の紋章を掲げた豪華な馬車。


 公爵家や侯爵家の大型馬車。


 地方から何日もかけて来たらしく、泥のついた馬車もある。


 その間を、学園の制服を着た生徒たちが歩いていた。


 レスティナの馬車が停まる。


 扉が開き、地面へ降りると、先に到着していたドルアとレメシアの姿が見えた。


 二人の周囲には、すでに何人もの令嬢が集まっている。


「ドルア様、ごきげんよう」


「休暇中はいかがお過ごしでした?」


「レメシア様、その髪飾りは王都でお求めになったのですか?」


 ドルアは穏やかな笑みで応じ、レメシアも楽しそうに会話へ加わっていた。


 同じ屋敷に住んでいたときとは、二人とも表情が違う。


 レスティナが近づく。


「ドルアお兄様。レメシアお姉様」


 周囲の令嬢たちが会話を止めた。


 ドルアの笑みが、僅かに硬くなる。


「……レスティナ」


「同じ馬車ではなかったのですね」


 一人の令嬢が、不思議そうに尋ねる。


 答えたのはドルアだった。


「荷物が多かったので、分かれて参りましたの」


「そうでしたのね」


 嘘ではない。


 ただし、一台の馬車へ乗れないほどの荷物でもなかった。


 レスティナは教師から教わったことを思い出す。


 貴族は、口にした言葉と本当に伝えたいことが違う。


 今の言葉も、そうなのかもしれない。


 だが、考えても答えは分からなかった。


「レスティナ。あなたは一年生の受付でしょう」


「はい」


「ここは上級生用です。案内に従いなさい」


「分かりました」


 レスティナは素直に頷いた。


「それでは、またあとで」


 ドルアとレメシアの返事を待たず、一年生用の案内板へ向かう。


 残された令嬢が、遠ざかる背中を見つめた。


「妹君でいらっしゃいますの?」


「ええ。幼い頃から療養のため、領地を離れておりました」


 ドルアは、用意していた説明を口にする。


「少し世間に疎いところがありますので、驚かれることもあるでしょうけれど、悪気はございませんの」


 侯爵家から追い出され、魔獣の森で暮らしていたとは言えない。


 それを知られることは、ファレル侯爵家が幼い娘を見捨てたと認めることになる。


 だから、レスティナは病弱で療養していた。


 それが、侯爵家の用意した説明だった。


◇


 入学の手続きと学園内の案内が終わる頃には、空が赤く染まり始めていた。


 レスティナに割り当てられたのは、女子寮の二階にある一人部屋だった。


 部屋には寝台と机、本棚、小さな衣装棚。


 窓からは、学園の中庭が見える。


「火を使える場所はありませんね」


 部屋の中を確認したレスティナは、残念そうに呟いた。


 暖炉はある。


 しかし、生徒が勝手に火を入れることは禁止されている。


 ガルドからは、寮で火を使うなと念を押されていた。


 火を使わなければよいのではないかと尋ねたが、それも駄目らしい。


「厨房を借りる必要があります」


 荷物を片づける。


 母の料理本は机の引き出しへ入れ、包丁は布へ包んだまま衣装棚の奥へ置いた。


 夕食を知らせる鐘が鳴る。


 レスティナは制服を整え、食堂へ向かった。


 女子寮の食堂には、長い卓が何列も並んでいた。


 すでに大勢の生徒が席についている。


 壁際では、使用人たちが料理を配っていた。


 今夜の献立は、丸いパン。


 豆と葉野菜のスープ。


 香草をまぶして焼いた家禽肉。


 蒸した根菜。


 赤実を煮詰めたソース。


 見た目は悪くない。


 栄養の偏りも少ない。


 レスティナは空いている席へ座った。


 正面にいた少女が、僅かに目を見開く。


 赤茶色の髪を二つに結んだ、小柄な令嬢だった。


「そちら、空いていますか?」


「え? ええ。もちろんです」


「ありがとうございます」


 レスティナは少女の正面へ座った。


 周囲の生徒たちが、一斉にこちらを見る。


 何か間違えただろうか。


 食器の位置。


 椅子の座り方。


 ナプキン。


 侯爵邸で習ったとおりにしている。


「あの……」


 正面の少女が声を潜めた。


「私が誰か、ご存じですか?」


「いいえ」


 レスティナは正直に答えた。


「初めまして。レスティナ・ファレルと申します」


「ファレル侯爵家……」


 少女はさらに驚いたあと、慌てて姿勢を正した。


「わ、私はミレーヌ・オルカです。オルカ男爵家の長女です」


「よろしくお願いします、ミレーヌさん」


「様をつけなくてよろしいのですか?」


「同級生ですから」


「そういうものでしょうか……」


「違うのですか?」


「私にも、よく分かりません」


 二人で首を傾げる。


 近くに座っていた令嬢たちが、小さく笑った。


 嘲るような笑い方だったが、レスティナには理由が分からない。


 今は、それよりも料理だった。


 まずスープを一口飲む。


 豆は柔らかく煮えている。


 葉野菜にも火が通っている。


 出汁も取られていた。


 しかし、温度が低い。


 作られてから、かなり時間が経っている。


 次に家禽肉へナイフを入れる。


 皮はしんなりしていた。


 肉の中心には火が通っているが、胸肉の水分が抜けている。


 赤実のソースも表面が固まり始めていた。


 決して不味い料理ではない。


 使われている食材も、侯爵邸と大きく変わらない。


 作った料理人の技術が低いわけでもない。


 ただ、食べるまでに時間が経ちすぎている。


「……かわいそうです」


 レスティナの口から、思わず言葉が漏れた。


 ミレーヌが家禽肉を切る手を止める。


「かわいそう?」


「はい」


「私が、でしょうか?」


「お肉が、です」


「お肉……」


「焼きたてなら、もっと美味しかったはずです」


 周囲の会話が止まった。


 隣の卓にいた金髪の令嬢が、不快そうに眉を寄せる。


「学園の料理に、文句がおありなの?」


「文句ではありません」


「では、今の言葉は何ですの?」


 レスティナは皿の家禽肉を見る。


「丁寧に下処理されています。香草も肉の臭みに合わせて選ばれています。焼く前に塩を振って、少し休ませたのでしょう」


「それが、何だと仰るの?」


「作った方は、美味しく食べてほしかったと思います」


 レスティナは、しんなりした皮へナイフを入れた。


「けれど、今はその味ではありません」


「同じ料理でしょう?」


「同じではありません」


 レスティナは真剣な顔で答えた。


「料理は、作り終えたときではなく、食べる人の口へ入ったときに完成します」


 金髪の令嬢が言葉に詰まる。


 食堂内の生徒たちは、レスティナを見ていた。


 レスティナ本人は、それに気づいていない。


 冷めた料理を、どうすれば美味しく食べられるか。


 考えているのは、それだけだった。


 再び家禽肉を一口食べる。


 火を通し直せば、胸肉はさらに硬くなる。


 細く裂き、スープへ入れる方法もある。


 だが、冷めたスープを先に温めなければならない。


 皮だけを外し、平鍋で焼き直せば香ばしさは戻る。


 肉は出汁と獣酪を加え、弱い火で温めればよい。


 固まり始めた赤実のソースには、少量の果実酢を加える。


 蒸した根菜も、肉の脂で表面を焼けば別の食感になる。


「温め直せば、まだ間に合います」


 レスティナは立ち上がった。


「どこへ行くのですか?」


 ミレーヌが尋ねる。


「厨房です」


「厨房へ行って、どうするのです?」


「作った方へ、温め直していただけるか尋ねます」


「待ってください!」


 ミレーヌも慌てて立ち上がった。


「侯爵令嬢が、直接厨房へ行くのですか?」


「はい」


「普通は、使用人を呼ぶのでは……」


「料理を作った方と話すのですから、自分で行ったほうが早いです」


 レスティナは食べかけの皿を持ち、料理が運ばれてきた扉へ向かう。


 その背中を、食堂中の生徒が見送っていた。


 厨房へ続く扉の前には、配膳を担当する女性が立っていた。


「生徒の方が、こちらへ入ることはできません」


「料理長はいらっしゃいますか?」


「おりますが、どのようなご用件でしょう」


「この料理を作った方と、お話がしたいです」


 女性の表情が強張った。


「何か、不備がございましたか?」


「いいえ。美味しく作られています」


「では、なぜ……」


「冷めてしまっているので、温め直したいのです」


「温め直す?」


「はい。それと、どのような手順で作ったのかも教えていただきたいです」


 女性は困ったように厨房の奥を見る。


 話を聞いていたのだろう。


 白い仕事着をまとった大柄な男が、奥から姿を現した。


「その皿を作ったのは、俺たちだ」


 低い声だった。


 額には汗が浮かび、太い腕にはいくつもの火傷の痕がある。


「俺が、この女子寮の料理長を務めるバルガスだ」


「初めまして。レスティナ・ファレルです」


 レスティナは皿を持ったまま、丁寧に頭を下げる。


「侯爵家のお嬢様が、厨房に何の用だ」


「このお肉は、焼き上がってからどれくらい経っていますか?」


 バルガスの眉が動く。


「二刻ほどだ」


「やはり、そうでしたか」


「料理が冷めていると、文句を言いに来たのか?」


「いいえ」


 レスティナは首を横へ振った。


「一度にこれだけの人数分を作り、同じ時間に配るのは難しいと思います」


 厨房の中には、大量の皿と鍋が並んでいた。


 残った家禽肉。


 空になりかけたスープ鍋。


 山積みの食器。


 料理人たちは次の作業に追われている。


 レスティナは中の様子を見渡した。


「ですが、このお肉は、もう一度美味しくできます」


「焼き直せば硬くなるぞ」


「そのまま火へ戻せば、そうなります」


「なら、どうする」


 試すような視線が向けられる。


 レスティナは皿の上の料理と、厨房に残る食材を確認した。


 家禽の出汁。


 獣酪。


 果実酢。


 香草。


 すべて揃っている。


「平鍋と、少しの出汁をお借りできますか?」


「お嬢様が料理をするつもりか?」


「はい」


「ここは、貴族の遊び場じゃない」


「遊びではありません」


 レスティナは、まっすぐに料理長を見た。


「この料理を作った方にも、食べる方にも、一番美味しい状態を知ってほしいです」


 バルガスは黙ってレスティナを見下ろした。


 華奢な身体。


 傷一つない制服。


 侯爵家の紋章。


 どこから見ても、厨房へ立ったことなどない貴族令嬢にしか見えない。


 だが、皿を見る目だけは違った。


 出来上がった料理ではなく、使われた食材と調理の過程を見ている。


「……平鍋一つだ」


「ありがとうございます」


「食材も、今そこにある物だけを使え」


「十分です」


「料理人の仕事を止めるな。片づけも自分でやれ」


「はい」


 レスティナの表情が、ぱっと明るくなった。


「それでは、厨房をお借りします」


 第二章まで、料理を作る場所はレスティナの居場所だった。


 森の小屋。


 侯爵邸の厨房。


 そして今。


 王立学園でも、新しい厨房の扉が開いた。

お読み頂き、ありがとうございます。

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