第二十話 繫がらないフルコース
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
B級冒険者へ昇格してから、三か月。
レスティナは十三歳になった。
レグニシア魔法学園へ入学する日は、十日後に迫っていた。
学園で使う制服。
授業で必要となる教本。
寮へ持ち込む衣服。
文房具。
貴族令嬢として必要だという装飾品。
部屋には、レスティナが選んだ覚えのない荷物が次々と運び込まれている。
その中で、彼女が自分で用意したものは少なかった。
愛用の包丁。
携帯用の小鍋。
数種類の調味料。
母の料理本。
冒険者の装備。
折り畳み式の槍。
「学園へ、槍を持っていってよいのでしょうか」
レスティナは、荷造りをしている侍女へ尋ねた。
「武術の授業がございますので、武器の持ち込み自体は認められております」
「包丁は?」
「……調理器具については、存じません」
「厨房はありますか?」
「食堂の料理を作る場所はございますが、生徒が入ることはないかと」
「そうですか」
レスティナの表情が曇った。
槍を持ち込めるのに、厨房へ入れない。
レスティナにとっては、そちらのほうが大きな問題だった。
「寮の部屋で火を使うことは禁止されております」
「火を使わなければよいのでしょうか」
「そのような意味ではございません」
「氷菓子なら作れます」
「調理そのものをお控えください」
「なぜですか?」
「規則ですので」
「難しいですね」
レスティナは母の料理本を箱へ収めた。
厨房を使えないのなら、学園の外で借りられる場所を探す必要がある。
外出が認められているかも、あとで確認しなければならない。
そのとき、部屋の扉が叩かれた。
「レスティナ様。旦那様がお呼びでございます」
廊下から、執事の声が聞こえる。
「はい」
扉を開ける。
執事は、普段と変わらない落ち着いた表情で立っていた。
「何かありましたか?」
「今夜の晩餐について、旦那様からお話がございます」
「晩餐?」
「本日は、ファレル侯爵家の皆様が揃われます。レスティナ様にも、ご同席いただくとのことでございます」
「皆様とは、どなたでしょう?」
執事が僅かに言葉を止める。
「旦那様と奥様。ドルア様、レメシア様、セシア様でございます」
「私も、その方々と食事をするのですか?」
「はい」
「なぜでしょう?」
「学園へ入学されれば、ドルア様とレメシア様には先輩として、レスティナ様をお支えいただくことになります。その前に、ご家族でお話をする必要があると旦那様がお考えになりました」
「家族……」
レスティナは、その言葉を繰り返した。
侯爵家へ戻ってから一年近くが経つ。
それでも、家族と同じ食卓についたことは一度もない。
父親とは、必要があるときだけ執務室で話した。
正妻のバレシアと異母妹のセシアは同じ屋敷に住んでいるはずだが、廊下で遠目に姿を見た程度。
会話をした記憶はない。
異母兄のドルアと異母姉のレメシアは、全寮制の学園へ通っている。
二人は長期休暇のため、昨日侯爵邸へ戻ってきたらしい。
「分かりました」
「晩餐は鐘が七つ鳴る時刻からです。侍女に支度をさせます」
「厨房を手伝ってからでは、間に合いませんか?」
「本日はお控えください」
「なぜですか?」
「レスティナ様は、食事を用意する側ではなく、招かれる側でございます」
「ですが、ガルド料理長から灰岩竜の仕上がりを確認してほしいと言われています」
「……厨房へは、私から伝えておきます」
「分かりました」
レスティナは、少し残念そうに答えた。
◇
約束の時刻。
正装へ着替えたレスティナは、食堂の前に立っていた。
深い青色のドレス。
胸元には、ファレル侯爵家の紋章をかたどった飾り。
髪も侍女の手で整えられている。
森で暮らしていた頃の姿を知る者が見ても、同一人物だとは気づかないだろう。
扉が開く。
「レスティナ様がお越しになりました」
執事の声とともに、食堂へ入る。
長い食卓。
その周囲には、すでに五人が座っていた。
上座にはファレル侯爵。
その隣には、正妻のバレシア・ファレル。
淡い金色の髪と、冷たい青い瞳を持つ女性だった。
侯爵の反対側には、十五歳のドルア・ファレル。
父親と同じ濃い茶色の髪を短く整え、体格はすでに大人へ近づいている。
その隣には、十四歳のレメシア・ファレル。
母親譲りの金髪を長く伸ばし、穏やかな笑みを浮かべていた。
そして、十二歳のセシア・ファレル。
姉とよく似た顔立ちだが、レスティナを見つめる目には、隠す気のない嫌悪があった。
「遅い」
侯爵が言った。
鐘が鳴り終わるより前に到着している。
それでも、レスティナは教わったとおりに頭を下げた。
「お待たせして、申し訳ございません」
「座れ」
「はい」
用意された席は、侯爵から最も離れた場所。
セシアの向かいだった。
レスティナは椅子の横へ立ち、執事が椅子を引くのを待つ。
裾を整え、音を立てずに腰を下ろした。
一連の動きに、バレシアの眉が僅かに動く。
「森育ちと聞いておりましたが、最低限の作法は身につけたようですわね」
「先生方に教えていただきました」
「お母様。その子を褒める必要などありません」
セシアが口を挟む。
「一年も教師をつけて、ようやく座り方を覚えただけでしょう?」
「半年で、基礎教育は修了しました」
レスティナは事実を訂正した。
セシアの頬が引きつる。
「……自慢のつもり?」
「いいえ。期間が違いましたので」
「言われたことを、そのまま返さないでくださる?」
「どのように返せばよかったのでしょう?」
「知らないわよ!」
セシアが声を荒らげる。
「食事の前だ。静かにしろ」
侯爵の一言で、セシアは口を閉じた。
レメシアは、レスティナを観察するように見ている。
ドルアは興味がないのか、食前酒の器へ視線を落としていた。
最初の料理が運ばれてくる。
『白身魚と香草の冷製仕立て』
薄く切られた白身魚。
酸味のある黄色い果実。
香草。
細かく刻んだ赤実。
透明な油。
皿の上には、花のように盛りつけられていた。
レスティナは一口分を切り分ける。
魚と香草、赤実がすべて入るようにフォークへ載せた。
「……美味しい」
魚には軽く塩が振られ、表面だけが酸で締まっている。
中心には生に近い柔らかさが残っていた。
赤実の甘みと、果汁の酸味。
香草の香り。
最初の一皿として重すぎず、食欲を刺激する。
「この切り方、今度教えていただきましょう」
レスティナが小さく呟く。
向かいのセシアが、露骨に顔を顰めた。
「食事中に、料理人のような話をしないでくださる?」
「料理の話をしてはいけないのでしょうか」
「貴族令嬢が厨房へ出入りすること自体、おかしいのです」
「ですが、美味しい料理を作るためには厨房へ入る必要があります」
「貴女が作る必要はないでしょう!」
「作りたいので、作っています」
セシアには、その答えが理解できないらしい。
「やはり、卑しい女の子供ね」
バレシアが静かに言った。
食卓の空気が冷える。
レスティナはバレシアを見た。
「卑しい女とは、誰のことでしょう?」
「貴女の母親よ」
「ティファーナ・ファレルお母様ですか?」
その名前が出た瞬間。
バレシアの顔から、笑みが消えた。
侯爵の手も止まる。
「その名を、どこで知った」
侯爵の声が低くなる。
「執事さんから教えていただきました」
「余計なことを……」
「お母様は、料理が得意だったそうです。料理本もいただきました」
バレシアの視線が執事へ向けられる。
執事は表情を変えず、壁際に立っていた。
「その女の話を、家族の食卓でするのはおやめなさい」
「バレシア」
侯爵が制止する。
「今日は、その話をするために集めたのではない」
「分かっておりますわ」
バレシアは表面だけの笑みを戻した。
次の料理が運ばれてくる。
『岩牛骨と焼き野菜の澄ましスープ』
透明な琥珀色のスープ。
表面に脂はほとんど浮いていない。
焼き色をつけた根菜と、薄切りの茸が入っている。
レスティナは匙で掬い、香りを確かめてから口へ運んだ。
岩牛の骨から取った力強い出汁。
それなのに、濁りも臭みもない。
焼いた根菜の香ばしさと甘みが、澄んだスープへ溶けている。
「骨を一度焼いていますね」
レスティナが呟く。
ドルアが初めて彼女へ目を向けた。
「飲んだだけで分かるのか?」
「はい。煮るだけでは、この香りはつきません」
「料理人から聞いていたのではないのか」
「今日の料理は見ていません」
「ふん」
ドルアは鼻を鳴らしたが、自分でもスープを飲み直した。
骨を焼いた味がどういうものかは分からない。
ただ、普段より香ばしいような気はした。
魚料理。
スープ。
焼きたてのパン。
料理が進むにつれ、レスティナの表情は明るくなっていく。
家族から何を言われても、ほとんど変化しなかった顔。
それが、美味しい料理を食べるたびに緩んでいた。
セシアは、それが気に入らなかった。
「何をにやにやしていますの?」
「美味しいので」
「落ち着きがありませんわ」
「笑わずに食べたほうがよいのでしょうか?」
「貴族令嬢なら、当然です」
レスティナはレメシアを見る。
「そうなのですか?」
突然話を向けられ、レメシアの笑みが僅かに固まった。
「美味しいものを美味しいと感じるのは、悪いことではありませんわ。ただし、あまり表情を崩しすぎないほうが上品でしょうね」
「分かりました」
レスティナは表情を引き締めた。
次の瞬間、主菜が運ばれてくる。
深い皿へ盛られた、赤褐色の煮込み。
大きな肉。
土人参。
白蕪。
小粒の芋。
表面には、細かな黄色い果実の皮と香草が散らされている。
蓋が取られる。
赤い果実酒と肉、香草の匂いが食堂へ広がった。
レスティナの目が輝く。
「灰岩竜です」
「なぜ分かる」
侯爵が尋ねる。
「香りです。それに、この料理はガルド料理長と何度も作り直しました」
「お前が?」
「はい」
料理の名は――。
『灰岩竜尾肉の香草赤酒煮込み・侯爵家風』
岩山で作った料理を、ガルドが晩餐用に改良したものだ。
出汁を取る骨の量を増やし。
赤酒を別に煮詰め。
煮汁を一度漉して滑らかにし。
最後に表面を焼いた灰岩竜の肉を戻して、形を崩さず温めている。
野営で作った力強い煮込みより、味も見た目も洗練されていた。
レスティナは肉へナイフを入れた。
抵抗なく切れる。
一口大に切り、赤いソースを絡める。
「ん~」
表情を引き締めることを、完全に忘れた。
「美味しいです」
肉は柔らかい。
それでも灰岩竜らしい弾力は残っている。
濃い肉の旨味。
赤酒の酸味。
根菜の甘み。
仕上げに加えられた黄色い果実の皮が、強い香りを爽やかに変えていた。
「ガルド料理長、出汁を変えましたね」
レスティナは厨房のある方向を見る。
「食堂で叫ばないでくださる?」
セシアが苛立った声を出す。
「あとで聞きに行きます」
「厨房へ行くことをやめなさいと言っているの!」
その間にも、家族は灰岩竜の肉を口へ運んでいた。
最初は不審そうに見ていたセシアも、一口食べる。
目が僅かに見開かれた。
もう一口。
今度は、芋と一緒に食べる。
「……美味しい」
「でしょう?」
レスティナが嬉しそうに笑う。
「なぜ、貴女が得意そうな顔をするのよ」
「一緒に考えた料理ですから」
「灰岩竜など、どこから仕入れたのです?」
レメシアが尋ねる。
「私が狩りました」
ナイフを動かしていた全員の手が止まった。
「貴女が?」
「はい。B級昇格試験で討伐しました」
「B級……?」
ドルアが眉を寄せる。
「何の話だ」
「冒険者ギルドの階級です」
「それくらいは知っている。なぜ、お前がB級冒険者なんだ」
「試験に合格しましたので」
「十三歳で、B級だと?」
「はい」
「そんなはずがありませんわ!」
セシアが声を上げる。
「B級は、騎士団の小隊長と同等の実力が必要だと聞いています!」
「ギルドの皆さんも、珍しいと言っていました」
「珍しいどころではないでしょう!」
「静かにしろ」
侯爵の声が響く。
食堂が静まり返った。
侯爵は、家族の反応を見回す。
レスティナのB級昇格については、すでに報告を受けている。
十三歳でB級。
侯爵家の令嬢。
学園へ入れば、間違いなく注目を集める。
第二王子の目に留まる可能性も高くなる。
「レスティナがB級冒険者であることは事実だ」
侯爵が告げた。
「王都のギルドへも記録は送られている。学園では、その経歴を隠す必要はない」
「ですが、お父様」
レメシアが口を開く。
「侯爵令嬢が冒険者として活動するなど、外聞が悪いのではありませんか?」
「十三歳でB級へ到達したことのほうが重要だ。使える実績は使う」
「使える……」
レスティナが繰り返す。
「私は、何に使われるのでしょう?」
「お前が気にすることではない」
「そうですか」
レスティナは、それ以上尋ねなかった。
肉をもう一切れ切り、口へ運ぶ。
家族の思惑よりも、料理が冷めることのほうが気になっていた。
侯爵はドルアとレメシアを見る。
「学園では、二人がレスティナの面倒を見ろ」
「私たちが?」
ドルアが露骨に嫌そうな顔をする。
「校内で迷わぬよう、最初に施設を案内すればよい。それから、ファレル家の人間として恥をかく行いをしないよう見張れ」
「俺は最終学年です。自分のことで忙しいのですが」
「命令だ」
「……承知しました」
レメシアは穏やかな笑みを浮かべた。
「わたくしも、できる限りお支えいたしますわ」
言葉とは違い、その瞳には温かさがない。
「ありがとうございます」
レスティナは素直に礼を言った。
「ところで、お二人にお尋ねしたいことがあります」
「何だ」
ドルアが警戒する。
「学園の厨房を借りるには、どうすればよいのでしょう?」
「……厨房?」
「はい。寮の部屋では、調理をしてはいけないそうです」
「普通は、自分で料理などしない」
「では、学園にいる三年間、一度も料理ができないのでしょうか」
「食堂で食べればいいだろう」
「食堂の料理が美味しくなかった場合は?」
「知らん!」
ドルアが声を荒らげた。
「学園の外には料理店もございますわ」
レメシアが答える。
「休日であれば、外出も認められています」
「食材を持ち込める店はありますか?」
「知りません」
「冒険者ギルドは?」
「王都にも支部がありますわ」
「では、厨房を借りられるか聞いてみます」
レスティナは満足そうに頷いた。
学園に厨房がなくても、王都にはギルドがある。
依頼も受けられる。
王都周辺にしか生息しない魔獣もいるはずだ。
「楽しみです」
「何がですの?」
レメシアが尋ねる。
「新しい食材です」
「学園で学ぶことではなく?」
「勉強は侯爵邸でもできます。ですが、王都の食材は王都へ行かなければ食べられません」
レスティナの答えに、誰も言葉を返せなかった。
父親は、王子との繋がりを作るため。
正妻は、亡き妾の娘を監視するため。
異母兄姉は、侯爵家の評判を守るため。
それぞれが違う思惑を抱き、レスティナの学園入学を見ている。
だが、本人が考えていることは一つだけだった。
まだ見たことのない食材と。
まだ食べたことのない料理。
十日後。
最強の美食家令嬢は、初めて森と侯爵領を離れ、王都にあるレグニシア魔法学園へ向かう。
お読み頂き、ありがとうございます。




