第十八話 B級昇格試験前半と炊き込み握り飯
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
炎角牛を討伐してから、三か月が経った。
レスティナは十三歳の誕生日を目前に控えていた。
レグニシア魔法学園への入学までは、残り三か月。
週に一度の授業を受ける以外、レスティナはほとんど毎日、冒険者ギルドへ通っていた。
「レスティナさん、おはようございます」
「おはようございます」
冒険者ギルドへ入ると、受付の女性が先に挨拶をした。
初めて訪れた頃とは違う。
今では、ギルド内のほとんどの者がレスティナの顔を知っている。
「よう、《飯狂い》!」
「今日は何を食いに行くんだ?」
「東の森で毒大蜥蜴が出たらしいぞ!」
「毒大蜥蜴は、先週食べました」
「食ったのかよ!」
「毒腺を傷つけずに外せば、食べられます」
「相変わらずだな!」
酒場から笑い声が上がる。
レスティナは小さく頭を下げ、依頼板へ向かった。
三か月の間に、二十件を超えるC級依頼を達成している。
果樹園を荒らしていた棘牙猪。
川を堰き止めた大甲蟹。
街道沿いへ巣を作った麻痺毒蜂。
鉱山へ入り込んだ岩喰い大蛇。
農村の家畜を襲っていた黒爪熊。
そのすべてを、レスティナは一人で討伐した。
棘牙猪は、皮を傷つけないよう鼻先から脳へ衝撃を通した。
大甲蟹は、殻を割らずに関節だけを凍らせて動きを止めた。
麻痺毒蜂は、巣を焼かずに女王蜂だけを捕らえ、残った蜂を森の奥へ移した。
岩喰い大蛇は、鉱山の支柱を壊さないよう外へ誘い出してから仕留めた。
黒爪熊は、襲われた家畜を守りながら無傷で討伐した。
依頼の達成速度。
討伐方法。
依頼人からの評価。
どれも、通常のC級冒険者を大きく上回っていた。
だが、レスティナが重視していたのは、そこではない。
棘牙猪の肉は香草と一緒に低温で焼き、『棘牙猪の香草焼き』にした。
大甲蟹は殻ごと蒸し上げ、『大甲蟹の塩蒸し・焦がし獣酪添え』にした。
麻痺毒蜂の巣から採れた蜜は、香辛料と合わせ、『蜂蜜漬け角兎肉の照り焼き』に使った。
岩喰い大蛇は血抜きと臭み抜きを行い、『岩喰い大蛇の香辛料揚げ』に。
黒爪熊は脂を保存し、肉を果実酒で長時間煮込んだ。
それぞれ味も、肉質も、適した調理法も違う。
新しい依頼を受けるたびに、新しい料理を作れる。
レスティナにとって、この三か月は幸せな日々だった。
「今日は、どちらの依頼を受けられますか?」
受付の女性が尋ねる。
「まだ決めていません」
「現在、レスティナさんが受注できる依頼はこちらです」
受付の女性は、何枚かの依頼書を用意していた。
レスティナの好みを把握している。
どれも討伐対象が食用になる依頼だった。
「南東の農村で、群れから離れた甲殻猪が確認されています。西の湿地では、大鋏海老が増えすぎているそうです」
「大鋏海老……」
レスティナの目が輝く。
以前、大甲蟹を調理した。
甲殻の中に詰まった身は甘く、火を入れすぎなければ柔らかい。
海老であれば、蟹とは違う料理が作れる。
「こちらにします」
「やはり、そう言うと思いました」
受付の女性が苦笑する。
レスティナが依頼書へ手を伸ばしたときだった。
「その依頼を受ける前に、少しいいか」
背後から声をかけられた。
振り返る。
立っていたのは、四十歳ほどの大柄な男だった。
短く刈った髪。
左目から頬へ走る古い傷。
冒険者の装備ではなく、ギルド職員と同じ紺色の上着を着ている。
「どなたでしょう?」
「領都支部の支部長だ」
「支部長さん」
「名前はオルドだ。三か月も通っているんだ。そろそろ覚えてくれ」
「お会いしたことがありましたか?」
「二度ほど、同じ部屋にいた」
「お話はしていません」
「……そうだな」
オルドは疲れたように息を吐いた。
「お前に、B級昇格試験を受けてもらう」
周囲の冒険者たちが、一斉に静かになった。
レスティナは依頼書から手を離す。
「推薦をいただけるということでしょうか?」
「ああ」
「C級の依頼は、まだ三十件も達成していません」
「数だけが基準じゃない。内容と評価も含めて判断する」
オルドは受付台へ、レスティナの活動記録を置いた。
「炎角牛、棘牙猪、大甲蟹、岩喰い大蛇、黒爪熊。どれもC級上位の対象だ。依頼人からの苦情は一件もない」
「麻痺毒蜂の依頼では、巣を持ち帰れませんでした」
「あれは討伐依頼だった。だが、お前は女王蜂だけを捕らえ、巣を農村から離れた森へ移した。今後も蜜を採れるようにしたことで、依頼人から追加報酬が出ている」
「蜂をすべて倒すと、蜜が採れなくなりますから」
「理由はどうあれ、依頼人にとっては討伐よりよい結果になった」
オルドは活動記録を閉じた。
「戦闘力だけなら、すでにB級の基準を超えている」
「では、試験は何をするのでしょう?」
「お前に足りないものを見る」
「足りないもの?」
「ああ」
オルドはギルドの奥へ視線を向けた。
「入ってこい」
三人の冒険者が姿を現した。
一人目は、背丈ほどもある大剣を背負った男。
二十代半ば。
鍛えられた身体を金属製の胸当てで覆い、右腕には古い傷がいくつも残っている。
二人目は、青い外套を纏った若い女性。
腰には短い杖。
外套の内側には、魔法の触媒らしい小瓶が並んでいた。
三人目は、レスティナとそれほど年齢の変わらない少年。
小柄で、弓と二本の短剣を装備している。
「紹介する。大剣使いのダガン。魔術師のルーリィ。斥候のノノだ。全員C級」
「ダガンだ」
「ルーリィよ」
「ノノ。よろしく」
「レスティナです。よろしくお願いします」
レスティナは教師から習ったとおり、丁寧に礼をした。
冒険者の格好で行われた貴族令嬢の礼に、三人が戸惑う。
「本当に侯爵令嬢なのか」
ダガンが呟く。
「はい」
「お前、炎角牛を殴って倒したって聞いたぞ」
「はい」
「侯爵令嬢って、そんなに強いのか?」
「他の令嬢を知りませんので、分かりません」
「そうか……」
「今回のB級昇格試験は、四人で指定魔獣を討伐してもらう」
オルドが話を戻した。
「指揮を執るのはレスティナだ」
「私が、ですか?」
「ああ」
「戦うだけでは駄目なのでしょうか」
「B級冒険者は、単独の戦闘力だけで評価されない」
B級になれば、受けられる依頼の幅が大きく広がる。
複数の冒険者が参加する討伐。
村や町に被害を与える魔獣への対応。
高位貴族や商人の護衛。
魔境や未調査地域の探索。
一度の判断ミスで、多くの命を失う依頼もある。
「お前自身が強いことは分かっている。だが、仲間が負傷したときにどう判断するか。依頼人と目的を守れるか。他人と連携できるか。今回は、そこを見る」
「この三人も、試験を受けるのでしょうか?」
「三人は試験官を兼ねた同行者だ。任務中はお前の指示に従うが、戦闘後に評価を提出する」
レスティナは三人を見た。
装備。
歩き方。
魔力の量。
手や腕に残る傷。
マレシアから、人を見るときには装備だけでなく身体の使い方も確認するよう教えられている。
ダガンは、重い大剣を扱う前衛。
ルーリィは、水と風の魔法を得意としているようだ。
ノノは、弓を使う斥候。
戦い方がまったく異なる。
「分かりました」
「不満はないのか?」
「一人で倒すより、皆さんの戦い方を考えるほうが難しそうです」
「そのための試験だ」
「はい。受けます」
オルドは一枚の依頼書を取り出した。
「討伐対象は、《灰岩竜》」
酒場にいた冒険者たちがざわめいた。
「灰岩竜だと?」
「C級を四人で行かせる相手じゃねえぞ」
「B級でも、油断すれば死ぬ」
灰岩竜。
竜の名を持つが、空を飛ぶ竜種ではない。
四本の脚で地を這う、蜥蜴に近い大型魔獣だ。
成体は全長六メートルを超える。
岩のように硬い灰色の鱗を持ち、斬撃や矢を弾く。
動きは鈍いが、尾の一撃は大木を折り、噛みつかれれば鎧ごと身体を砕かれる。
「北西の岩山に一頭が棲みついた。近隣の鉱山へ下りてきて、採掘作業が止まっている」
「食べられますか?」
レスティナが尋ねる。
オルドは一瞬黙った。
「最初に聞くのが、それか」
「大切です」
「毒はない。腹と尾の肉は食用になる。だが、硬くて臭みが強いと聞く」
「調理した方の腕が悪かった可能性は?」
「知らん」
「でしたら、確かめます」
レスティナは依頼書を受け取った。
「素材の所有権は?」
「討伐者であるお前たちに移る。灰岩竜の鱗と牙は高値で売れる。肉が欲しいなら、四人で相談しろ」
レスティナは同行する三人へ向き直った。
「私は、お肉と骨が欲しいです」
「まだ倒してもいないぞ」
ダガンが呆れた顔をした。
「倒してから相談すると、持ち帰る準備ができません」
「それはそうだが……」
「鱗と牙の売却代金は、三人で分けていただいて構いません。その代わり、お肉を多めにいただけますか?」
三人が顔を見合わせる。
灰岩竜の鱗と牙は、防具や武器の素材になる。
肉よりも遥かに高価だ。
「俺は構わん」
「私も。肉を持って帰るほうが大変だもの」
「僕もそれでいいよ」
「ありがとうございます」
レスティナは頭を下げた。
「出発は明朝だ」
オルドが告げる。
「試験官として、ギルドからもう一人同行する。ただし、命に関わる状況になるまで手出しはしない。試験の評価にも口を挟まん」
「分かりました」
「今日は四人で装備と役割を確認しろ。食料、薬、野営道具も忘れるな」
「食事は私が用意します」
レスティナが即答した。
「いや、各自で携帯食を――」
ダガンの言葉を、ルーリィが遮った。
「待って。この子、《飯狂い》でしょう?」
「ああ」
「ギルドで噂になっている料理を食べられるんじゃない?」
「それは……」
ダガンが口を閉じた。
「嫌いな食材はありますか?」
レスティナは三人へ尋ねる。
「俺はない」
「私は内臓が苦手」
「僕は辛すぎるものは食べられない」
「分かりました。身体が大きい方は、量も多いほうがよいでしょうか」
「そうだな」
「魔法を使う方は、魔力を回復しやすい食材を入れます。斥候の方は、移動しながらでも食べられるものがよいですか?」
「できれば」
レスティナは三人の答えを紙へ書き留めた。
「では、皆さんの分も作ってきます」
「話し合うのは、食事だけじゃないぞ」
オルドが釘を刺す。
「はい。灰岩竜の生態と岩山の地形も確認します」
「分かっているならいい」
レスティナは依頼書に添付された地図を広げた。
討伐対象。
地形。
仲間の得意なこと。
持ち込む道具。
そして、道中の食事。
考えなければならないことは多い。
一人なら、見つけて倒し、持って帰るだけでよかった。
だが、今回は違う。
自分が戦うだけでは、試験に合格できない。
「難しそうですね」
レスティナは地図を見つめながら呟いた。
それでも、不安そうな表情はしていない。
上手くできるか分からないなら、考える。
足りないものがあれば、準備する。
失敗したなら、原因を確かめて次へ活かす。
師匠から教わったことは、戦いでも料理でも変わらない。
「まずは、灰岩竜が美味しくなる方法を――」
「作戦を考えろ!」
ダガンの声が、ギルド中へ響いた。
◇
B級昇格試験の当日。
レスティナは、まだ日も昇らないうちから侯爵邸の厨房へ立っていた。
「本当に手伝わなくていいのか?」
ガルドが、作業台へ置かれた大量の食材を見ながら尋ねる。
「はい。試験では、私が仲間の食事を用意すると決めましたから」
「五人分だろう」
「試験官の方を含めると五人です。皆さん、よく身体を動かしますので、一人三つずつ用意します」
「十五個か」
「念のため、二十個作ります」
「それなら、もう五個作れ」
「なぜですか?」
「大剣使いはよく食う。お前もよく食う。余ったら俺たちが食う」
「分かりました」
レスティナは米の量を増やした。
今回用意するのは、山を歩きながらでも食べられる料理。
冷めても味が落ちにくい。
手で持てる。
長時間動くために必要な肉と穀物を、一度に食べられる。
料理の名は――。
『炎角牛と根菜の炊き込み握り飯』
最初に、米を大きな器へ入れる。
水を注いだら、すぐに一度目の水を捨てる。
乾いた米は、最初に触れた水を最もよく吸う。
糠の匂いが溶けた水へ長く浸せば、炊き上がった米にも臭いが残ってしまう。
二度目からは、指先を立てて大きく混ぜる。
米粒同士を強く擦り合わせない。
白く濁った水を捨て、新しい水を入れる。
それを数回繰り返した。
水が僅かに濁る程度になったところで、洗うのを止める。
「完全に透明になるまで洗わないんだな」
若い料理人が手元を覗き込む。
「洗いすぎると、米の甘みまで流れてしまいます」
研いだ米をざるへ上げる。
そのまま炊かず、表面の余分な水を切る。
次に、炎角牛の肉を用意した。
使うのは、腿肉の中でも筋の少ない部分。
五日間寝かせたあと、表面を整え、小分けにして氷魔法で保存しておいたものだ。
肉の繊維を確認する。
筋へ直角に包丁を入れ、薄く切る。
その薄切りを、さらに細長く。
最後に、米粒より少し大きい程度の角切りにした。
「ずいぶん小さく切るんですね」
下働きの少女が尋ねる。
「大きいままだと、握ったときに肉の周りから崩れます。それに、どこを食べてもお肉が入るようにしたいです」
すべてを同じ大きさに切れば、火の通り方も揃う。
硬い筋を見つけたら、その場で取り除く。
切り分けた肉には、まだ下味をつけない。
炊き込み飯は、水分の量が重要だ。
先に塩をして肉から水を出せば、炊飯に使う水の量が変わってしまう。
根菜は、土人参と白蕪。
皮を薄く剥き、肉よりも小さな角切りにする。
小さくすることで、米が炊き上がるまでに中へ火が通る。
鱗茎は、形を残さないよう細かく刻んだ。
香味根は、皮を削ってから擦り下ろす。
「このまま全部、米へ入れるのか?」
ガルドが尋ねる。
「先にお肉を焼きます」
平鍋を中火へかける。
炎角牛から取った脂を少量入れ、ゆっくりと溶かした。
脂が透明になり、小さな泡が消え始めたところで、角切り肉を入れる。
ジュウッ!
肉の周囲から音が上がった。
すぐには混ぜない。
鍋底へ触れた面に焼き色がつくまで待つ。
「炊くなら、焼かなくても火は通るだろう」
「はい。ですが、焼いた香りは、煮るだけではつきません」
肉の片面に濃い焼き色がついたところで、木べらを使って返す。
すべての面を焼く必要はない。
中まで火を通す必要もない。
目的は、肉の表面へ香ばしさをつけ、脂の一部を引き出すこと。
焼きすぎれば、炊いたあとに肉が硬くなる。
肉の半分ほどに焼き色がついたところで、一度皿へ取り出した。
鍋には、炎角牛の脂と、肉から出た旨味が残っている。
そこへ刻んだ鱗茎を入れる。
弱火に落とし、鍋底を木べらで擦りながら炒めた。
鱗茎から水分が出て、肉の焼き跡が少しずつ剥がれていく。
透き通り、甘い香りが立ったところで、土人参と白蕪を加えた。
根菜へ脂を薄くまとわせる。
完全に火を通す必要はない。
表面へ油が回ったところで、果実酒を注いだ。
ジュワアッ!
蒸気が立つ。
鍋底の旨味を残さず剥がし、果実酒へ溶かす。
強い酒精の匂いが消えるまで煮立てる。
そこへ、家禽の出汁。
豆醤。
塩。
蜜を僅かに。
擦り下ろした香味根を加えた。
「そのまま米へかけるのか?」
「いいえ。一度、味を見ます」
レスティナは煮汁を小皿へ取り、冷ましてから舐めた。
「少し濃いな」
ガルドも味を確認する。
「米へ味をつけるので、これくらいでよいと思います。ただ、煮詰めると濃くなるので、もう火は止めます」
火を止め、煮汁を漉す。
肉と野菜を、煮汁から分ける。
「なぜ分ける?」
「水の量を正しく量るためです。具が入ったままでは、煮汁がどれだけあるか分かりません」
漉した煮汁を計量する。
米を炊くのに必要な量へ足りない分だけ、水を加えた。
逆に多すぎれば、煮汁を別の鍋で少し煮詰める必要がある。
今回は、僅かに水を足すだけで済んだ。
厚手の鍋へ、水を切った米を入れる。
その上から、冷ました煮汁を注ぐ。
木べらで一度だけ、底から返す。
豆醤や塩が偏らないようにするためだ。
何度も混ぜれば、米粒が擦れて余計な粘りが出る。
焼いた肉と炒めた根菜は、米の上へ広げた。
混ぜ込まない。
「上に載せるだけか?」
「具を米の間へ入れると、水の流れが偏ります。米が炊き上がってから混ぜます」
蓋をする。
最初は強火。
鍋底全体へ均等に熱を入れる。
やがて、蓋の隙間から白い蒸気が出始めた。
鍋の中で、ぐつぐつと水が沸く音がする。
レスティナは耳を澄ませた。
「沸きました」
火を弱める。
ここからは、蓋を開けない。
中を見れば蒸気が逃げ、鍋の温度が下がる。
音を聞く。
激しかった水音が、次第に小さくなっていく。
ぐつぐつ。
ぱちぱち。
最後には、鍋底から僅かな乾いた音が聞こえ始めた。
レスティナは香りを確かめる。
米と豆醤。
炎角牛の脂。
鍋底で僅かに焼けた煮汁の、香ばしい匂い。
「火を止めます」
「もう開けていいのか?」
「まだです」
「やっぱり待つのか」
「はい。蒸らします」
火を止めても、鍋の中には熱と蒸気が残っている。
その蒸気が米粒の中心まで届き、最後の硬さを取る。
すぐに蓋を開ければ、表面は柔らかくても中心に芯が残る。
レスティナは、その間に包むための葉を用意した。
香りのよい大きな葉。
表面を水で洗い、布で一枚ずつ水分を拭き取る。
火へ近づけ、軽く炙る。
鮮やかな緑色が少し深くなり、葉が柔らかくなったところですぐに離す。
炙りすぎれば焦げる。
熱を入れなければ折り畳んだときに割れる。
「葉まで炙るのか?」
「柔らかくすることと、香りを立たせるためです」
蒸らし終えた鍋の蓋を開ける。
濃い香りを含んだ蒸気が、厨房へ広がった。
米は淡い茶色に染まっている。
その上には、炎角牛の肉と赤や白の根菜。
レスティナはしゃもじを鍋肌へ沿わせた。
底から大きく持ち上げる。
具と米を均等に混ぜながら、余分な蒸気を逃がしていく。
押し潰さない。
切るように。
底には、薄いおこげができていた。
「少し食べてもいいか?」
若い料理人が尋ねる。
「握る分が減ります」
「一口だけ」
「先ほど、五個増やしたでしょう」
ガルドが小皿を差し出した。
「味の確認だ」
「料理長まで!」
「試験に持っていくものだ。失敗していないか確かめる必要がある」
「私が先に確認します」
レスティナは匙で、米、肉、根菜を一緒に掬った。
息を吹きかけて冷ます。
一口食べる。
「ん~」
炎角牛の脂と出汁を、米が余さず吸っている。
肉は小さいながらも、噛めば濃い旨味がある。
土人参と白蕪の甘み。
豆醤の塩気。
香味根の爽やかな辛み。
僅かに加えた蜜が、全体を丸くまとめていた。
おこげには味が凝縮され、香ばしい。
「美味しくできました」
「なら、俺たちも確認だ」
ガルドたちも一口ずつ味見する。
レスティナは炊き込み飯を平たい皿へ広げた。
熱いまま握れば、手を火傷する。
それだけではない。
湯気がこもったまま葉で包めば、水滴がついて傷みやすくなる。
表面の蒸気を逃がし、手で触れられる温度まで冷ます。
しかし、完全に冷やしてはいけない。
冷たくなれば米粒同士がまとまりにくく、強く握る必要がある。
レスティナは手を洗い直した。
清潔な水へ塩を溶かし、指先を濡らす。
炊き込み飯を手へ取る。
最初に中央を軽く押し、空気を抜く。
力を込めて潰すのではない。
両手で三回ほど形を整え、丸みのある三角形にする。
「それだけで崩れないのか?」
「温かいうちなら、表面だけがまとまります。強く握ると、中まで固くなります」
完成した握り飯を、炙った葉の中央へ置く。
左右を折る。
下から持ち上げる。
最後に上側を被せ、細く裂いた葉で結ぶ。
空気がこもらないよう、きつく包みすぎない。
一つ。
二つ。
三つ。
レスティナは同じ大きさで握り続けた。
途中、ガルドも手を伸ばす。
「俺もやる」
「私が作ると決めました」
「出発に間に合わなければ意味がない」
時計を見る。
約束の時間まで、あまり余裕はなかった。
「……お願いします」
「任せろ」
二人で握る。
ガルドの握り飯は、レスティナのものより少し大きい。
「大きさが違います」
「大剣使いの分だ」
「なるほど」
最終的に、握り飯は二十八個できた。
レスティナが予定していたよりも多い。
「余ったら、持ち帰ります」
「残ると思うか?」
「ダガンさんが、どれくらい食べるか分かりません」
「なら全部持っていけ」
握り飯を、内側へ薄い氷板を仕込んだ箱へ詰める。
直接氷へ触れれば米が濡れるため、布と木板で仕切った。
冷やしすぎても米は硬くなる。
レスティナは氷板を薄くし、箱の中が僅かに涼しくなる程度へ調整した。
「行ってきます」
「ああ。試験だからって無理するな」
「灰岩竜の肉は、無理をしなくても持ち帰れます」
「そっちじゃない!」
「仲間の皆さんも、怪我をさせないようにします」
「ならいい」
レスティナは食料箱を背負い、厨房をあとにした。
◇
冒険者ギルドの前には、三人の仲間と一人の試験官が集まっていた。
「おはようございます」
「遅い!」
ダガンが声を上げた。
「約束の時間までは、まだ少しあります」
「試験を受ける側が最後に来るな!」
「申し訳ありません。握り飯を包むのに時間がかかりました」
「本当に食事を作ってきたのか……」
「はい」
レスティナは背負っていた箱を地面へ下ろした。
ダガンが持ち上げようとし、顔を顰める。
「重っ! 何人分だ、これ」
「五人分です」
「五人で食う重さじゃないだろ!」
「二十八個あります」
「多すぎる!」
「ダガンさんは、よく食べるとガルド料理長が言っていました」
「会ったこともない奴に、なぜ俺の食事量が分かるんだ!」
「身体を見れば分かるそうです」
「何だ、それは……」
ルーリィが笑い、ノノは興味深そうに箱を覗き込んでいる。
その横で、試験官の男が口を開いた。
「俺はベルク。B級冒険者だ。今回の試験へ同行する」
三十代後半。
目立つ武器は持っていない。
腰に片手剣を提げ、革鎧の上から灰色の外套を羽織っている。
立ち姿には隙がなかった。
「よろしくお願いします」
「俺はお前たちが死にそうになるまで手を出さない。道案内もしない。判断はすべて、お前がしろ」
「分かりました」
「では、出発前に荷物を確認する」
レスティナは五人分の荷物を並べた。
食料。
水。
治療薬。
解毒薬。
縄。
天幕。
毛布。
予備の武器。
魔獣避けの香。
火をつける道具。
解体用の包丁。
肉を包む布。
塩。
香草。
鍋。
「最後のほうは、灰岩竜を食うための道具じゃねえか」
ダガンが言う。
「必要です」
「討伐に必要な物より多くないか?」
「討伐するだけなら、槍だけで足ります」
ダガンが黙った。
レスティナなら本当に槍一本で済ませるかもしれない。
「荷物は、すべて私が持ちます」
レスティナは食料箱の上へ、他の荷物も載せ始めた。
「待て」
ダガンが止める。
「何でしょう?」
「分けるぞ」
「私なら、すべて持てます」
「持てるかどうかじゃない」
ダガンは水袋を一つ取り、自分の荷物へ入れた。
「お前が崖から落ちたら、全員の食料と水がなくなる。魔獣に足止めされたら、他の奴が治療薬を使えない」
レスティナは手を止めた。
一人で行動するときには、すべて自分で持つ。
それで困ったことはない。
だが、今回は五人いる。
「なるほど」
レスティナは荷物を見直した。
「食料と水、治療道具は分けます。解毒薬も全員が一つずつ持ってください」
「そうしろ」
「天幕と鍋は、私が持ちます」
「俺が天幕を持つ」
「重いですよ」
「大剣を背負って山を歩くんだ。今さらだ」
「分かりました」
ルーリィには、軽い治療薬と魔法の触媒。
ノノには、食料と予備の矢。
ダガンには、天幕と水。
レスティナは鍋、解体道具、残りの食料を持つ。
ベルクは試験官のため、自分の荷物だけを背負った。
「準備は終わりました」
「では、行くぞ」
五人は北西の岩山へ向け、領都を出発した。
◇
午前中は、何事もなく進んだ。
レスティナは先頭を歩こうとしたが、ノノがそれを止めた。
「斥候は僕。先頭は任せて」
「私のほうが魔獣を早く見つけられると思います」
「それだと、僕がいる意味がないよ」
「ですが、試験ですので――」
「試験だから、仲間を使うんじゃないの?」
レスティナは考えた。
「そのとおりです。お願いします」
「うん」
ノノが先行する。
少し離れて、ダガン。
中央にルーリィ。
その後ろをレスティナ。
最後尾にはベルク。
視界の悪い森では間隔を狭める。
開けた街道では、魔法や弓を使える空間を確保する。
地形が変わるたびに、ノノとダガンが自然に位置を調整していた。
レスティナはその動きを観察する。
一人なら、好きな速度で走れる。
自分の見える範囲だけを警戒すればよい。
仲間がいると、確認するものが増える。
前を歩く者との距離。
後ろの者の足音。
疲労。
荷物の状態。
周囲の地形。
誰か一人だけが速くても、全員がついてこられなければ意味がない。
「難しいですね」
レスティナが呟いた。
「何が?」
ルーリィが振り返る。
「一人で歩くより、考えることが多いです」
「そりゃそうよ。だからパーティーには慣れが必要なの」
「ルーリィさんは疲れていませんか?」
「まだ平気」
「魔力は?」
「戦っていないんだから、減ってないわよ」
「分かりました」
「そんなに何度も確認しなくても、辛くなったら言うわ」
「言わずに我慢する方もいます」
レスティナ自身が、かつてそうだった。
辛くても。
空腹でも。
痛くても。
誰かに伝えたところで、何も変わらないと思っていた。
「だから、確認します」
ルーリィはレスティナの横顔を見た。
「……そう。なら、よろしく」
「はい」
昼前。
一行は森を抜け、小さな川の近くで休憩を取った。
レスティナは食料箱を開ける。
「『炎角牛と根菜の炊き込み握り飯』です」
「待ってました!」
ノノが最初に手を伸ばした。
「葉は食べません。包みを開いてください」
「分かってるよ」
「ダガンさんは大きいほうです」
「本当に俺だけ大きさが違うのか……」
「足りなければ、おかわりもあります」
「二十八個だろ。余るよ」
五人で握り飯を食べる。
ダガンが一口齧り、目を見開いた。
「美味いな」
「ありがとうございます」
「冷めてるのに、肉が硬くない」
「小さく切り、煮汁と一緒に炊きましたから」
ルーリィも、包みを開く。
「香りがいいわね。これは何?」
「葉を火で炙りました。握り飯の水分で香りが移っています」
「炎角牛って、もっと脂っぽいと思っていたわ」
「根菜を増やし、香味根を入れました。脂が固まらないよう、冷やしすぎないことも大切です」
ノノは、すでに二つ目を食べている。
「これなら歩きながらでも食べられるね」
「こぼさないようにしてください」
「子供じゃないんだから」
口元に米粒がついていた。
レスティナが指差すと、ノノは慌てて拭った。
ベルクも黙って食べている。
「いかがですか?」
「試験官へ感想を求めるな」
「お口に合いませんでしたか?」
「……美味い」
「よかったです」
五人は十分に休み、再び歩き始めた。
午後になっても、足取りは軽かった。
午前中と同じ速度で歩いているのに、疲労がほとんど増えない。
「何だか、身体が温かいわ」
ルーリィが自分の手を見る。
「山へ近づいて、気温は下がってるはずなのに」
「炎角牛のお肉だからでしょうか」
「そんなことがあるの?」
「寒い土地では、身体を温めるために食べるそうです」
「へえ。便利な食材ね」
皆は、それ以上深く考えなかった。
◇
日が傾く前に、岩山の麓へ到着した。
灰色の岩が剥き出しになった山。
木は少なく、足元には細かな石が転がっている。
少し離れた場所には、鉱山の入り口が見えた。
人の姿はない。
灰岩竜が現れてから、採掘作業は中止されている。
「ここからは僕が先に行く」
ノノが声を落とした。
「足跡を探す」
「一人では危険です」
「僕が見つからない距離を保って、ついてきて」
「分かりました」
ノノが身を低くし、岩陰を移動する。
レスティナたちは少し離れて追った。
しばらく進むと、巨大な足跡が見つかった。
人の頭ほどもある。
爪が岩肌を削り、深い溝を残していた。
「新しい」
ノノが足跡へ触れる。
「細かい石が、まだ穴へ落ち切ってない。近くにいるよ」
「風は、こちらから向こうへ吹いています」
ルーリィが言う。
「今なら、匂いでは気づかれにくいわ」
ダガンが大剣を抜く。
「どうする、指揮官」
三人がレスティナを見た。
自分で飛び出し、灰岩竜を倒すのは簡単だ。
だが、それでは試験にならない。
レスティナは周囲を確認した。
右側には、背の高い岩。
左側は緩やかな斜面。
正面には、灰岩竜の足跡。
後方へ下がれば、幅の狭い道がある。
「ノノさんは、あの高い岩へ。灰岩竜を見つけても攻撃せず、数と位置を教えてください」
「了解」
「ルーリィさんは、左の斜面です。地面へ水を撒き、合図をしたら凍らせてください」
「氷魔法は得意じゃないわ」
「冷やすのは私がします。水だけお願いします」
「分かった」
「ダガンさんは、私と正面へ。灰岩竜が転倒したあと、腹を狙えますか?」
「鱗が薄い場所なら斬れる」
「では、お願いします」
「お前は?」
「灰岩竜を、濡れた斜面へ誘導します」
「囮になるつもりか」
「はい」
「危なくなったら、すぐに下がれよ」
「分かりました」
役割を決める。
ノノが高い岩へ登った。
ルーリィが斜面へ杖を向け、音を抑えながら水を広げる。
ダガンは大剣を構え、岩陰で待機した。
レスティナは槍を組み立てる。
試験官のベルクは、少し離れた場所で全体を見ていた。
ノノが岩の上から、指を一本立てる。
一頭。
続いて、右奥を指差した。
レスティナが頷く。
灰岩竜は、巨大な岩の陰にいる。
レスティナは足音を消し、前へ進んだ。
岩の角を曲がる。
「いました」
全長六メートルを超える巨体。
身体を覆う灰色の鱗は、周囲の岩とほとんど同じ色をしている。
太い四本の脚。
大きく裂けた口。
棍棒のような尾。
灰岩竜は地面へ横たわっていた。
だが、眠ってはいない。
黄色い瞳だけが動き、レスティナを捉えた。
「グルルルルル……」
低い唸り声が、岩山に響く。
レスティナは槍を構えた。
「こちらです」
石を一つ拾い、灰岩竜の頭へ投げる。
石は硬い鱗へ当たり、乾いた音を立てて砕けた。
灰岩竜が立ち上がる。
「グオオオオオオッ!」
雄叫びと同時に、巨大な尾が振るわれた。
レスティナは後ろへ跳ぶ。
尾が岩へ激突し、人の背丈ほどある岩を粉々に砕いた。
飛び散った破片の向こうから、灰岩竜が突進してくる。
「レスティナ!」
ダガンの声が響いた。
「予定どおりです!」
レスティナは濡れた斜面へ向かって走った。
灰岩竜が追う。
巨体が一歩進むたび、地面が揺れる。
レスティナは斜面の中央を通過した。
「今です!」
地面へ手を向ける。
ルーリィが撒いた水へ、レスティナの魔力が流れ込む。
斜面全体が、一瞬で白く凍りついた。
灰岩竜の前脚が氷を踏む。
硬い爪が滑った。
巨体が傾く。
「ダガンさん!」
「おう!」
岩陰から、ダガンが飛び出した。
大剣を両手で振り上げる。
倒れかけた灰岩竜の腹へ向け、全力で刃を振り下ろした。
お読み頂き、ありがとうございます。




