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最強美食家令嬢は世界を味わい尽くす  作者: 涙目
第二章 ガルドの料理

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第十三話 母の料理本と包み煮 

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

 レスティナが侯爵邸へ戻ってから、一か月が経った。


 朝は日の出前に起き、厨房で料理人たちと朝食を取る。


 日中は、侯爵家が用意した教師から礼儀作法や歴史、算術、地理を学ぶ。


 授業が終われば厨房へ戻り、自分の夕食を作りながら、料理人たちと調理法を教え合う。


 それが、レスティナの日常になっていた。


「では、昨日教えたところを確認します」


 午前中の礼儀作法の授業。


 教師が扇子を閉じ、レスティナの前へ立った。


「侯爵家が主催する夜会において、格上の公爵令嬢から声をかけられた場合は?」


「正面から視線を合わせ続けず、相手よりも浅い礼を返します。こちらから先に話題を変えず、尋ねられたことへ簡潔に答えます」


「では、同格の侯爵令嬢であれば?」


「同じ深さの礼を返します。ただし、年齢や家同士の関係によっては、こちらから一歩譲ります」


「相手が明らかな侮辱を口にした場合は?」


「事実であれば認め、間違っていれば訂正します」


「……もう少し遠回しな言い方を覚えましょう」


「なぜでしょう?」


「貴族は、正しいことをそのまま伝えればよいわけではありません」


「間違いを遠回しに訂正すると、伝わらない可能性があります」


「それでもです」


「難しいですね」


 レスティナは真剣な顔で頷き、教師の言葉を手元の紙へ書き加えた。


 礼儀作法そのものは、ほとんど身についている。


 姿勢。


 歩き方。


 食器の扱い。


 身分に応じた挨拶。


 一度教えれば、二度目には修正し、三度目には自然に行える。


 教師が困っているのは、技術ではなくレスティナの考え方だった。


 遠回しな嫌味。


 言葉の裏へ隠された要求。


 笑顔のまま相手を牽制する方法。


 レスティナには、それらの必要性がなかなか理解できない。


 狩りであれば、魔獣の足跡が進む方向を示す。


 料理であれば、焦げた匂いは火が強すぎることを教えてくれる。


 だが、貴族は口にした言葉と、本当に伝えたいことが違うらしい。


「貴族は、皆さん難しい話し方をするのですね」


「それが社交というものです」


「分かりました。覚えます」


 理解できなくても、必要なら覚える。


 レスティナはその日の課題も、予定より早く終わらせた。


「本日はここまでにいたしましょう」


「ありがとうございました」


 教師を見送る。


 窓の外を見ると、太陽はまだ高い。


 次の授業までは時間があった。


「今なら、煮込む時間も取れそう」


 レスティナは調理用の服へ着替え、厨房へ向かった。


◇


「ガルド料理長、使ってよい食材はありますか?」


「入って早々、それか」


 厨房へ入ると、ガルドが呆れた顔を向けた。


「昼食は食べたのか?」


「皆さんと一緒に食べました」


「なら、夕食にはまだ早いだろう」


「煮込み料理を作りたいので、今から始めます」


「何を煮込む」


「まだ決めていません」


「また食材を見てから考えるつもりか」


「はい」


 ガルドは食材置き場へ顎を向けた。


「今朝届いた葉野菜がある。外側の葉が硬すぎて、晩餐には使えん。あとは甲殻猪の挽き肉だ。脂が多いから、そっちは使用人用に回す予定だった」


「見せてください」


 作業台には、人の顔よりも大きな葉野菜がいくつも置かれていた。


 球状に葉が重なり合っている。


 外側は濃い緑色で、葉脈も太い。


 一枚剥がして曲げてみると、途中で折れた。


「確かに、このままでは硬いですね」


「上の柔らかい部分だけ切って、スープに入れるつもりだ」


「外側もいただいてよいですか?」


「食えるならな」


「食べられるようにします」


 レスティナは葉野菜と挽き肉を使って、料理を考え始めた。


 硬い葉は、長く煮れば柔らかくなる。


 ただし、そのまま鍋へ入れれば、食べにくい。


 肉を包み、出汁の中で煮込めば、葉へ肉の旨味も染み込む。


 レスティナは米と香草も用意した。


 料理の名は――。


『甲殻猪肉と香草米の葉包み煮』


 最初に、米を洗う。


 これは完全に炊くためではない。


 肉の中へ混ぜ、煮込みながら出汁と肉汁を吸わせるためのものだ。


 鍋へ米と、通常よりも少ない水を入れる。


 火へかけ、米の表面だけが柔らかくなったところで火を止めた。


 中心にはまだ硬さが残っている。


「それでは生煮えだぞ」


 若い料理人が鍋を覗き込む。


「このあと肉と一緒に煮ます。今すべて炊いてしまうと、出汁を吸えません」


「なるほどな」


 米を平たい皿へ広げる。


 鍋へ入れたままでは余熱で火が通りすぎるためだ。


 広げれば早く冷め、米同士も固まりにくい。


 次は葉野菜を一枚ずつ剥がしていく。


 無理に引っ張れば途中で裂ける。


 根元へ包丁を入れ、外側からゆっくり外した。


 大鍋に湯を沸かし、塩を少量。


 葉を一枚ずつ湯へ沈める。


 最初に太い葉脈を下へ。


 熱が通り、濃い緑色が鮮やかになったところで、全体を湯へ入れる。


 長く茹ですぎない。


 葉が折れずに曲がるようになったら、すぐに冷水へ移した。


「煮込むのに、冷やすのか?」


「余熱で柔らかくなりすぎるのを止めます。それに、熱いままではお肉を包めません」


 冷やした葉を布の上へ広げ、水分を拭き取る。


 太い葉脈の盛り上がった部分へ、包丁を寝かせて入れた。


 すべて切り取るのではない。


 厚い部分だけを薄く削ぎ、葉全体の厚みを揃える。


 これで巻いたときに折れにくくなる。


 葉の準備が終わると、今度は中身を作る。


 甲殻猪の挽き肉は、赤身に対して脂が多い。


 そのまま使えば、煮ている間に脂が流れ出し、中身が縮んでしまう。


 レスティナは冷えた挽き肉へ塩を加えた。


 指先を立て、一定方向へ混ぜる。


 最初は粒の分かれていた肉が、次第にまとまり始める。


 塩によって肉の粘りが引き出されたのだ。


「手が温かい人は、木べらを使ったほうがよいです」


「なぜだ?」


「脂が溶けるからです。脂が溶けて分かれてしまうと、煮たときに肉汁が外へ逃げます」


 レスティナは自分の指先を氷魔法で冷やした。


 冷えた手で肉を混ぜ続ける。


 粘りが出たところで、冷ましておいた半炊きの米を加える。


 細かく刻んだ鱗茎。


 森で採った香草。


 潰した香辛料。


 少量の果実酒。


 卵を一つ。


 卵は中身をまとめ、煮崩れを防ぐ。


 すべてを入れたあと、今度は混ぜすぎない。


 米を潰せば粘りが強くなり、食感が重くなる。


 肉と米が均等に混ざったところで止めた。


「先に一つ、焼きます」


「煮る料理じゃないのか?」


「味見です。生のお肉を食べるわけにはいきませんから」


 小さく丸めた肉を平鍋で焼く。


 中まで火を通し、口へ入れた。


「塩を、ほんの少しだけ足します」


「煮汁にも味をつけるんだろう?」


「はい。ですから、中身だけでちょうどよい塩加減にすると、完成したときに濃くなります」


 塩を加え、もう一度軽く混ぜる。


 茹でた葉を、内側が上になるように作業台へ広げた。


 根元に肉を置く。


 最初に手前から一度巻く。


 次に左右を内側へ折り込み、空気を追い出しながら最後まで巻く。


 緩すぎれば煮ている間に崩れる。


 強く締めすぎれば、中の米が膨らむ場所を失い、葉が破れてしまう。


 指一本分ほどの余裕を残し、形を整えた。


「紐で縛らないのか?」


「鍋へ隙間なく並べれば、開きません」


 大きさの揃った葉包みが、次々と完成していく。


 煮込み用の平たい鍋の底へ、使わなかった葉の切れ端を敷く。


 直接鍋底へ触れれば、長く煮ている間に焦げる可能性がある。


 その上へ、巻き終わりを下にして葉包みを並べる。


 外側から円を描くように。


 隣同士が軽く触れる程度に詰める。


 最後に中央へ一つ置くと、鍋の中で動く隙間がなくなった。


「本当に紐がいらねえな」


「ほどけなければ、食べるときにも邪魔になりません」


 透明な家禽の出汁を、葉包みの半分ほどの高さまで注ぐ。


 多すぎれば沸騰したときに中身が動き、葉が破れる。


 少なすぎれば、上側へ味が染みない。


 潰した赤実。


 刻んだ香味野菜。


 塩。


 蜜をほんの少し。


 酸味を和らげるため、獣酪も一欠片加える。


 上から残っていた葉を一枚被せた。


 落とし蓋の代わりだ。


 その上へ蓋をする。


 最初は中火。


 鍋の縁から小さな泡が上がり始めたら、火を弱める。


 ぐらぐらと沸騰させてはいけない。


 肉が急に縮み、葉が破れる。


 煮汁の表面が僅かに揺れる火加減を保つ。


「これで四半刻ほど煮込みます」


「その間は?」


「ソースを作ります」


 別の小鍋へ、赤実を潰して入れる。


 葉包み煮に使った出汁。


 少量の果実酒。


 蜜。


 塩。


 弱火にかけ、木べらで赤実を潰しながら煮詰めた。


 皮と種を細かな漉し器で取り除き、滑らかな液体だけを鍋へ戻す。


 そこへ、葉包み煮の鍋から煮汁を少し加える。


 肉と野菜の旨味が溶け込んだ煮汁だ。


 再び弱火へかける。


 味見をし、酸味が強ければ蜜を一滴。


 甘くなりすぎたら塩を一つまみ。


 最後に火を止め、冷たい獣酪を溶かし込む。


 赤いソースに艶が生まれた。


 煮込み鍋から、柔らかくなった葉と肉の香りが漂い始める。


 レスティナは蓋を開け、細い串を葉包みの中心へ刺した。


 少し待ってから引き抜き、下唇へ当てる。


「中まで熱くなっています」


 米が煮汁を吸い、肉も十分に火が通っている。


 しかし、すぐには鍋から出さない。


 火を止め、蓋をしたまま休ませる。


「もうできているんだろ?」


「今は、鍋の中の煮汁が激しく動いています。すぐに切ると、中から肉汁が流れます」


「また待つのか」


「はい。美味しくなるまで待ちます」


 料理人たちは慣れた様子で頷いた。


 以前なら、完成した料理をすぐに食べようとしていた。


 今ではレスティナが「待つ」と言えば、食器を用意しながら大人しく待つようになっている。


 そのときだった。


「ガルド料理長はいらっしゃいますか」


 厨房の入り口から、落ち着いた声が聞こえた。


 レスティナを森へ迎えに来た執事だった。


「ここにいる。どうした」


「三日後の晩餐会について、旦那様から追加のご指示がございます」


 執事は書類を手に、厨房へ入ってくる。


 そこで、作業台の前に立つレスティナへ気づいた。


「レスティナ様」


「こんにちは」


「本日も、こちらにいらしたのですね」


「はい。授業が早く終わりましたので」


 レスティナが厨房で料理をしていることは、すでに知っている。


 森の小屋で作った唐揚げも食べた。


 侯爵邸へ持ち込んだ荷物に、包丁や調味料が入っていたことも覚えている。


 それでも、執事が調理する姿を直接見るのは初めてだった。


 レスティナは煮込み鍋へ向き直った。


 両手で鍋を扱う。


 蓋を取るときには、水滴が料理へ落ちすぎないよう僅かに傾ける。


 葉包みを持ち上げる際には、崩さないよう二本の木べらで下から支える。


 皿の中央へ料理を置き、赤実のソースを周囲へ流す。


 最後に小さな香草の葉を一枚だけ添えた。


 食材を見る目。


 味見をする前に、香りを確かめる仕草。


 料理を皿へ盛るときの、穏やかな表情。


 執事の脳裏に、十二年前の光景が蘇った。


 離れの小さな厨房。


 侯爵家へ連れてこられた一人の女性。


 彼女も、用意された料理にはほとんど手をつけず、自分で厨房へ立っていた。


 見慣れない香草を使い。


 食材へ語りかけるように包丁を動かし。


 完成した料理を誰かが食べると、それだけで嬉しそうに笑った。


『よろしければ、あなたも食べませんか?』


 あの女性も、初めて会った執事へそう言った。


「できました」


 レスティナの声で、執事の意識が現在へ戻る。


 彼女は小さな皿を一つ用意した。


「お仕事中ですか?」


「はい。ですが、急ぎではございません」


「でしたら、味見をしませんか?」


 差し出された皿。


 料理を勧めるときの笑顔まで、記憶の中の女性と重なった。


「……血は争えませんね」


「はい?」


「いえ。何でもございません」


 執事は皿を受け取った。


「こちらは、何という料理でしょう」


「『甲殻猪肉と香草米の葉包み煮』です」


 ナイフを入れる。


 柔らかく煮込まれた葉は、ほとんど抵抗なく切れた。


 断面から、甲殻猪の挽き肉と米が現れる。


 肉汁を吸った米はふっくらと膨らみ、肉の隙間を埋めていた。


 赤実のソースを少し絡め、口へ運ぶ。


「……美味しゅうございます」


 硬かったはずの外葉は柔らかい。


 噛めば出汁が染み出し、そのあとから甲殻猪の濃い旨味が広がる。


 米が脂と肉汁を吸っているため、肉は縮まず、柔らかなままだった。


 赤実の酸味が猪肉の脂を切り、もう一口を自然と求めさせる。


 そして、食べ進めるうちに、朝から続いていた身体の重さが薄れていく。


「いつもより、身体の調子がよくなる気がします」


「厨房の皆さんからも、時々そう言われます」


「何か、特別なことを?」


「温かいうちに食べていただくことと、食材に合わせて調理しているだけです」


「左様でございますか」


 レスティナに嘘をついている様子はない。


 本人にも理由は分からないのだろう。


 執事は、それ以上尋ねなかった。


 皿の上の料理を、最後まで食べる。


「ごちそうさまでございました」


「お粗末さまでした」


 レスティナが嬉しそうに笑う。


 その日の夜。


 執事は屋敷の地下へ下りた。


 侯爵家の重要書類や、使われなくなった品を保管する倉庫。


 棚に並ぶ木箱を一つずつ確認し、奥へ進む。


 目的の箱は、最も奥の棚に置かれていた。


 埃を払い、鍵を開ける。


 中に入っていたのは、数着の衣服と、小さな装飾品。


 そして、一冊の分厚い本。


 執事はその本を手に取り、表紙を見つめた。


 革張りの表紙には、二つの道具を組み合わせた紋章が刻まれている。


 一振りの包丁。


 その刃を受け止めるように置かれた、丸いフライパン。


 ファレル侯爵家の紋章ではない。


 持ち主がどこから来たのかを示す、唯一の印。


 執事は本を布で包み、倉庫をあとにした。


◇


 翌日の夕方。


 授業を終えたレスティナが部屋へ戻ると、扉の前に執事が立っていた。


「レスティナ様。少々、お時間をいただけますでしょうか」


「はい」


 二人で部屋へ入る。


 執事は扉を閉めると、布に包んだ物を机へ置いた。


「こちらを、レスティナ様にお渡ししたく参りました」


「本ですか?」


「はい」


 布を解く。


 現れたのは、使い込まれた一冊の料理本だった。


 表紙には無数の細かな傷がついている。


 それでも、包丁とフライパンを組み合わせた紋章だけは、はっきりと残っていた。


「これは?」


「亡きお母上の形見でございます」


 レスティナの手が止まった。


「お母様の……」


「本来であれば、もっと早くお渡しするべき物だったのかもしれません」


「なぜ、今まで渡さなかったのですか?」


「レスティナ様が料理をなさるとは、思っておりませんでした」


 森へ送られる前のレスティナは、厨房へ近づくことさえ許されなかった。


 形見を渡したとしても、家令たちに取り上げられていた可能性が高い。


 森へ送られたあとは、生きているとは思われていなかった。


 そして今。


 レスティナは自分の力で料理を覚え、母親と同じように、食べた者を笑顔にしている。


「本日、レスティナ様が料理をされるお姿を拝見し、これをお持ちすることを決めました」


「お母様も、料理をしていたのですか?」


「はい。ティファーナ・ファレル様は、料理を大切になさる方でした」


「ティファーナ……」


 レスティナは、初めて知った母親の名前を口にする。


「お母様は、ティファーナ・ファレルというのですね」


「左様でございます」


「どちらの家から、ファレル家へ来たのですか?」


 執事は、僅かに目を伏せた。


「申し訳ございません。私は、ティファーナ様の旧家名を存じません」


 レスティナは執事の顔を見た。


 それ以上の答えが返ってこないことを察し、素直に頷く。


「そうですか」


「お力になれず、申し訳ございません」


「いいえ。名前を教えていただけただけでも嬉しいです」


 レスティナは料理本へ手を伸ばした。


 表紙を撫でる。


 母親も、この本へ何度も触れたのだろう。


 それまで顔さえ知らなかった母親が、初めて僅かに近くなった気がした。


「開いてもよいですか?」


「もちろんでございます。これは、もうレスティナ様の物です」


 慎重に表紙を開く。


 最初の頁には、見覚えのない筆跡で一つの言葉が記されていた。


『料理とは、いただいた命を、明日を生きる命へ変えること』


 その下には、包丁とフライパンの小さな紋章。


 頁をめくる。


 様々な料理の作り方が、細かな文字と絵で記されている。


『疲れた日に食べる、角兎肉と根菜の煮込み』


『身体を温める、火蜜鳥の香辛料焼き』


『毒草を口にした者へ与える、白月草と薬茸の粥』


『力を使いすぎた日に飲む、岩牛骨の濃厚スープ』


 使われているのは、レスティナが知っている食材だけではない。


 見たことのない魔獣。


 遠い土地の植物。


 名前すら聞いたことのない調味料。


 切り方。


 火の入れ方。


 食材を加える順番。


 分量だけではなく、完成した料理を誰に、どのような状態で食べさせるべきかまで詳しく書かれている。


 レスティナの目が、頁をめくるたびに輝いていく。


「すごい……」


 この本には、まだ知らない料理が詰まっている。


 母親が見ていた食材と、母親が作っていた味が残されている。


「この料理、全部作ってみたいです」


 母親について知りたい、とは言わなかった。


 誰かが語ってくれないのであれば、無理に聞こうとは思わない。


 けれど、この料理を作れば、ティファーナ・ファレルという人が何を見て、何を考えていたのか、少しは分かるかもしれない。


「ありがとうございます」


 レスティナは本を胸へ抱え、執事へ頭を下げた。


「大切にします」


「……はい」


 執事は静かに目を伏せた。


「ティファーナ様も、お喜びになるでしょう」


 執事が退室したあとも、レスティナは机へ向かい、料理本を読み続けた。


 夕食を作る時間になっても。


 窓の外が暗くなっても。


 一頁ずつ、書かれた言葉を確かめるように読み進める。


「包丁と、フライパン……」


 表紙の紋章へ指を這わせる。


 それが何を意味するのか、レスティナはまだ知らない。


 料理を食べた者の身体が僅かに癒やされる理由も。


 森で採った食材を食べ続けた自分が、異常な速さで強くなった理由も。


 母親が、なぜこの屋敷へ来たのかも。


 何一つ知らないまま。


 レスティナは母から遺された料理本の、次の頁をめくった。

お読み頂き、ありがとうございます。

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