第8話 娼婦を卒業した夜(後)
「……っは」
「ふぁ……っ」
王子がようやく唇を離す頃には、リズリアの息はすっかり上がっていた。瞳は力なく熱に潤み、頬は上気したように熱を持っている。
「──っ!」
視線がぶつかると、王子の顔中がみるみるうちに赤く染まり、なぜかぶんっと勢いよく顔を背けられた。しかし手は繋いだままだ。
「わ、悪い……つい夢中になって……じゃなくて! いや、ちょっとうっかり倒れ込んだだけで、決してお前をどうこうしようと思って押し倒したとかではなく……」
しどろもどろになる王子に、リズリアはぽやんとしたまま、繋いでいるのとは反対の手を伸ばした。
「……だい、じょうぶ、ですか?」
「は?」
大丈夫じゃないのはお前だろうと言わんばかりの目で見下ろされ、乱れた息のままきゅっと王子の袖口を掴む。
「くるしく、ないですか……? オジサンは……すぐにくるしそうに……してたから」
どれだけの時間唇を重ねていたのかは分からないが、マルディアスが音を上げたよりも遥かに長い時間そうしていたことは分かる。
その間、随分魔力を吸ってしまったはずだ。全身が熱く、腹の霊獣もあのときよりずっと満足そうにしている。
対する王子は呼吸が乱れている。魔力を吸われ過ぎて苦しくなってしまっているのではないだろうか。
「……そんなことか。俺の魔力のことは聞いているんだろう? 排出しなければならない余剰分がお前に流れただけだ。気にするな」
「それなら……よかった」
安堵に頬を緩めると、その頬を撫でながら今度は王子の方が心配そうに眉尻を下げた。
「お前は?」
「え……?」
頬の指先が下腹部へと移動し、優しくそこを撫でる。
「お前のここ……少しは、満たされたか?」
「……ん。だいぶ……満足してるみたいです。私も、今頃お腹いっぱいになってきた気がします」
撫でられた下腹部へと視線を下げ、リズリアはふと、ある一点に視線が釘付けになった。
薄い腰のすぐ脇で、先ほどまでよりも盛り上がっている部分。衣服越しでも分かるほど、確かにそれは存在を主張している。
「どうした?」
「あ、えっと……」
指摘して良いものだろうか悩ましい。それは明らかに男性特有の生理現象だった。
王子といえど男だ。相手が場末の娼婦であっても、あれだけ熱く唇を重ねればこういうことになってしまうものなのだろう。
「…………」
双方の沈黙。
どうしたものかと真剣に考えていると、王子はリズリアの視線の先に何があるのかにようやく気づき、一瞬動きを止めた。
そして次の瞬間には、跳ねるように飛び上がり、慌てて体勢を変えて背を向けてしまった。シーツをぎゅっと握りしめ、肩が小さく震えている。
「ち、違うからな! こ、これはその……生理現象だ! 俺の意志とは関係なく……つまり……自然なことだ! さっきのだって、決してお前を組み敷こうとしたのではなくだな……!」
リズリアはきょとんとしたまま首を傾げた。
娼婦として働き始めて以来、男性の身体的反応は見慣れているはずだったが、このように慌てふためき言い訳する姿は初めて見た。
「あのー……」
にじり寄るリズリア。
不思議な動きで後ずさるルーファウス王子。
「私、お手伝いしましょうか? 手でも口でも、王子さまの好きな方で」
身体を繋ぐのは嫌かもしれないが、そのくらいであれば王子も大丈夫かもしれない。このままでは彼も苦しかろう。
そう思ったリズリアは、あくまでも厚意のつもりで提案したのだが──。
王子は再び首を痛めそうな勢いで振り向き、声を荒げた。
「そういうことをあけすけに言うな! 本当に恥じらいというものがないんだな、お前は!」
「だめでしたか? 王子さまは一応"お客さん"ではないから、初心な振りはしなくていいと思ったんですけど……」
不快だったのかとリズリアは少ししょんぼりした。
あくまでも失敗してしまったことへの反省だったが、王子は違う意味に取ったようで、今度はおろおろし始める。
「べ、別にお前自身を否定したわけでも、お前が嫌だというわけでもない! そういう環境に置かれていた娘なのだから、仕方のないことであることは分かっている!」
「??」
「ただ、その……お前はもう娼婦ではないのだから、俺の欲を──じゃなくて、生理現象に対してまで、どうこうしようとしなくていいんだ!」
もう娼婦ではない。その言葉が、飛矢のように胸に突き刺さる。
ここにリズリアを連れてきた魔術師にも「娼婦は卒業だ」と言われたが、それでもやることは変わらないとも言われた。ならば今までと同じことをしていればいいとリズリアは思っていた。
男に身体を開くこと以外に、生きる術をリズリアは知らない。
だが今目の前にいる少年は、どう見ても欲が湧いているにも関わらず、対処しなくていいと言うのだ。
(えっと……どうしたらいいんだろう……)
リズリアの傾げた首の角度がさらに深くなると、王子はガシガシと頭を掻き、背を向けたままシーツに勢いよく身体を横たえた。
「は、腹は満たされたんだろう! 今宵はもう終わりだ! 寝ろ!」
「は、はい……えっと、おやすみなさい……」
「…………おやすみ」
元が赤褐色の耳が茹でたように真っ赤になっている。それにつられるように顔が熱くなるのを感じながら、リズリアも身体を横たえた。
生まれて初めての柔らかい寝台の感触を楽しむ余裕もないままに、娼婦を卒業した最初の夜が静かに幕を閉じていった。
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