第6話 娼婦を卒業した夜(前)
◇◇◇
「はー……。なんでこうなるんだ……」
リズリアが王宮に引き取られることが決まってから、約三時間後の第三王子の寝室。
寝台に腰を落とし、丸めた背をリズリアに向けたルーファウス王子が、何度目かのため息をついた。
『抱くかどうかは自分で決めていいが、しばらく寝食をともにせよ』
国王陛下が玉座を立つ直前、最後に王子に下した命令は、簡単に言ってしまうとそんな内容だった。そのため、小汚いと言われたリズリアはまず真っ先に湯浴みをさせられ、身体中を磨き上げられた。
初めて目にするドレスを着させられ、動きにくいと文句を垂れると、初老の侍女に大変恐ろしい笑みで小言を言われた。他人の笑みに震え上がったのは生まれて初めてのことだ。
後で知ったことだが、リズリアがドレスだと思ったものは動きやすさを重視した侍女服だった。適当な布を縫製しただけの服しか知らないリズリアは、腰の締まったひらひらした服は皆ドレスだと思っていた。
本来傍女の役割を持つ侍女は専用の服を与えられるらしい。だが、小柄なリズリアに合うサイズがなかったため、それは後日用意されると言われた。
王子とともに食事の席にもつかされたが、リズリアが作法の概念など持ち合わせているはずもない。それどころか、食器の使い方も碌に知らず、肉を手掴みしようとしたところで、向かいに座る王子に慌てて止められた。
ド貧民のみっともない食事風景を目の当たりにするという、王子や給仕にとっては地獄のような食事を終えると、改めて身を──主にソースだらけになった口元と手元を清められて、真白い寝間着に着替えさせられた。
「わぁ。王宮の寝間着ってつるっつるなんですねぇ」
──そして今、寝台の上で絹の肌触りにリズリアがはしゃいでいる中、ルーファウス王子が項垂れているという次第だ。
「寝台も柔らかいし、お腹いっぱいにはならないけど、あったかいご飯もたくさん食べられたし。私、初めてオジサンに感謝したかもしれません」
「……オジサンって、マルディアスのことか?」
王子が振り返る。
無視されるのではないかと思っていたリズリアは、言葉を返されたことに一瞬目を丸くした。間近で見る彼の瞳は、オリーブと同じ緑色をしていた。
「はい。『マルディアスさん』って、呼びにくいので。やっぱりマルオジサンの方が分かりやすいですか? おじいちゃんは失礼かと思ったんですけど」
「そういうことじゃない」
王子の表情が険しくなる。
いや、元々険しい表情をしていた気もするけれど、先ほどまでの己の運命を呪うかのような表情が、リズリアに対する疑念と嫌悪のようなものに変わった。
「あいつにも抱かれたんだろう? お前は自分がジジイだと思うような男の相手を平気でしていたというのか?」
品性など概念さえ持ち合わせていないリズリアでさえ「ジジイ」とは言っていない。
こっちが素なのだろうか。その崩れた言葉遣いにも驚きながら、リズリアは答える。
「客の年齢は拒む理由にはなりません。娼婦や店が拒むのは、明らかに病気を持っていると分かる方と、乱暴してくる客だけです。娼婦は、商品ですから」
商品は客を選べない。だが、商品に傷を付けるような客ならば、店側にとっても不利益になるので拒むことを許されている。
高級な娼婦ならば客を選ぶこともできるらしいが、それを言い出すとキリがないのでやめておく。そもそも高級娼館の話は姐さんたちから噂話程度に聞いたものだ。リズリアも詳しく知っているわけではない。
リズリアがうんうんと一人で頷いていると、王子は拳を握りしめ、声を震わせた。
「俺はお前の意思を訊いているんだ! お前は……『嫌がる相手に無理やりさせるのは良くない』と言っていたな。自分はどうなんだ。嫌じゃなかったのか? 今も、嫌なんじゃないのか? 父上のおっしゃった通り、誰よりもお前が、意に添わぬ行為を強いられてきたんじゃないのか!」
凄まじい剣幕でまくし立てられ、リズリアは目をまん丸に見開いた。だいぶ荒々しい言い方ではあるが、これはもしや、心配してくれているのではないだろうか。
(どうしよう……。なんか、適当に流しちゃいけない気がする……)
内心で狼狽えているリズリアを、ルーファウス王子はギッと睨むような目で見据え続ける。これはきちんと答えなければ許してくれなさそうだ。何が癪に障ったのかは分からないが、飯抜きの刑にでもされてはたまらない。
観念したリズリアは小さく口を開いた。
「私は……学もないし、文字も読めませんから。これ以外に、生きる方法を知りません。それなのに、その行為を嫌だと思うのは苦しいだけじゃないですか。そんな感情……邪魔なだけです。痛いのはちょっと嫌ですけど」
「誇りは……ないのか」
「三日も飢えれば忘れますよ、そんなもの。誇りでご飯は食べられません。……まぁ、私は生まれたときから貧しいので、お腹いっぱい食べられたこともないですし、誇りなんて最初から知りませんけど」
至極正直に答えながらも、徐々に不安になってきた。
高貴な身分の人間が何より大事にしているであろう誇りというものを、リズリアは邪魔だと言ってしまったのだ。
中にいる霊獣ノクスレアが、下腹部から空腹を訴えてきているのが分かる。しかし、正直に答え過ぎて、王子が自分をいっそう嫌がるのではないかと思えてきた。




