第48話 師弟(後)
「俺が何の備えもなく全ての魔力を渡すと思ったか?」
言うが早いか、マルディアスは魔鉱石を己の口内へと放り投げた。宝石にも似た石が噛み砕かれる音が響き、リズリアの背すじに寒気が走った。
「あわわわ……オジサン、石……食べたぁ……」
いよいよ人を辞める気かと、リズリアは涙目でぷるぷると身体を震わせた。
「最低限、これを喰うだけの魔力は残しておいたんだよ」
「リズ。マルディアスの魔術は身体強化なんだ。魔力によって己の全身を内臓に至るまで強化できるから、魔鉱石を喰うぐらいはワケないんだよ。こいつがジジイのくせに頑丈なのはそのためだ」
「肉体に関してはちゃんと鍛えてんだよ、ひょろガキ!」
リズリアを怖がらせないようにと穏やかな口調で説明するルーファウスに、マルディアスがクワッと異議を唱える。
確かに、リズリアが最初に買われたときに見た彼の筋肉は凄まじく、体格だけで言えばバルニア侯爵や若き軍隊長をも遥かに凌ぐ代物だった。
それに対しルーファウスはまだ成長過程なのだ。ひょろガキとは酷いことを言う、とリズリアは頬を膨らませた。
「あ……兵がどんどん近づいてくる……」
松明の明かりが距離を縮めながら、なおも牽制するように光の矢を放ってくる。それらを一つ残らず迎撃し、彼らの足元に牽制を返すようにルーファウスが魔力弾を放つ。
「いくら魔力を補充しても、相手は数十人いるんだぞ!? それも、全てがお前の鍛えた魔術師兵たちだ! 俺も戦う!」
「馬鹿を言うな。お前、立場を捨てたからって、かつての臣下を攻撃できるのか?」
「──っ!」
マルディアスの厳しい言葉にはリズリアも心中では同意だった。
彼は自分を立てようとする家臣たちの誰かが、王太子を暗殺しようとしたと考えていた。それにもかかわらず、その責任を一身に背負って死罪まで受け入れようとした人間だ。
敵に回ってしまったとはいえ、自分を慕っていた騎士を、それも自分たちが逃げるために攻撃できるとは思えない。その甘さを、マルディアスは誰よりも理解していた。
「邪魔だ。さっさと行け。元々お前らのお守りはここまでにするつもりでいた」
「え!? 一緒に行くつもりじゃなかったの!?」
マルディアスの言葉に今度はリズリアが驚愕の声を上げる。
確たる理由があったわけではないが、リズリアは彼が自分たちと一緒に逃げるつもりでいるものと思っていたのだ。
ルーファウスを助けた以上、彼は宮廷魔術師ではいられない。ならば一緒に来るものだと、ごく自然にそう思っていた。
身体の関係を持っていても、リズリアにとってのマルディアスの存在もまた、自分を売った実の親よりも親に近かったのだ。
「行くわけねぇだろ。ガキの面倒みるのはもう御免なんでな。あいつらを片付けたら、俺は俺で逃げる。ここからは、お前らは自分たちの力だけで生きろ」
ルーファウスは手のひらに爪が食い込まんばかりに強く拳を握りしめ、マルディアスから受け取った白いローブを羽織った。そして決意を固めるように、人差し指に魔力を集め、魔術騎士団にそれを向ける。
「いいか。ルーファウス、リズリア。よく覚えておけよ。確かに分不相応な願いってもんはある。時には諦めることも肝心だ。だが、求め、足掻くことでしか手に入らねぇもんもあるんだ。自分の優先順位を間違えるなよ。じゃねぇと、切り捨てるべきもののために、大事なもんを失うことになるぞ」
「オジサン……?」
初めてまともに名を呼ばれ、淡々と紡がれる言葉にリズリアの鼓動が不安でざわめく。思わずルーファウスを見上げると、彼も何かを堪えるように唇を噛み締め、オリーブの瞳を震わせている。
彼は、理解していた。
──これが師からの最後の教えであり、今生の別れであると。
濃度を高めた魔力弾を兵たちの足元へ撃ち放ち、舞い上がる土煙を煙幕にしてルーファウスはリズリアを肩へ担ぎ上げる。
「っや、ちょっと待ってルゥ……!」
「マルディアス」
もがこうとするリズリアを押さえつけながら、ルーファウスは真っ直ぐにマルディアスを見据えた。
「世話になった。この恩はいずれ、再会したときに必ず返す」
叶うとも思っていないであろうその言葉に、マルディアスはフッと笑みを返す。
「そんときは……多少は成長しとけよ、馬鹿弟子」
「うるせぇ、ジジイ。必ず見返してやるからな」
交わされる憎まれ口。そこに織り交ぜられる師弟の結びつきの深さを感じながらも、リズリアの胸の内には拒否感ばかりが募る。
やめて。
やだよ、そんな……別れの挨拶みたいな。
いずれなんてだめだよ。
今……今別れたりしたら……。
言葉にならない思いをリズリアが喉に震わせる中、ルーファウスの脚が地を蹴った。
彼がマルディアスに背を向けたことで、肩に担がれたリズリアの双眸に底意地の悪そうな笑みが映る。
「オ、オジサン……」
徐々にその笑みが遠くなり、夜闇に紛れようかというその一瞬──リズリアは確かに見た。
壮年の魔術師の、穏やかで、温かく、柔らかな慈愛に満ちたような微笑みを──。
「オジサン! 嫌だ! 一緒に行こうよ! お願いだから! オジサァァン!」
マルディアスが背を向け、別れを告げるように右手を軽く上げる。その姿が闇に隠れ、更に周囲の木々が彼の見えていた場所を覆っていく。
どんどん流れていく暗い森の景色に、マルディアスとの距離が開いていくのが分かる。
「……ルゥ。戻ろうよ。オジサンを一人にしちゃだめだよ……」
ぎゅうっとルーファウスの背中のシャツを掴むと、彼もまた、リズリアを抱く手に力を込めた。
「あいつは強い。ムカつく奴だけど、あの人数の魔術騎士団を相手にしたとしても、簡単にやられたりはしない」
「でも……でも……」
「俺の最優先はお前なんだ、リズ! お前のことは俺が絶対に守る! その上で、俺はあいつを信じる!」
真っ直ぐに紡がれた言葉とは裏腹に、ルーファウスの声は震えていた。それを受けたリズリアは、「あぁ、そうか」と思い直す。
ルーファウスとマルディアスの付き合いは、リズリアとのものよりも遥かに長く、深い。この胸が感じる張り裂けんばかりの痛みと不安を、彼が感じていないはずもない。
それでも最後に言われた言葉を、「優先順位を間違えるな」という教えを、彼は忠実に守り、貫くことで、師に応えようとしているのだ。
「また……会えるよね?」
「……必ず会える。だけど、たとえ会えなかったとしても、俺はあいつに応える」
零れ落ちた涙が夜の闇に溶けていく。
きっと大丈夫。
また会える。
そう信じようと思いながらも、リズリアの脳裏に低い声が蘇る。
『魔術師ってのはな、嘘つきなんだ』
見えなくなった背を追うように顔を上げ、リズリアは唇を噛み締めた。
(オジサンの……ルゥの……噓つき……)
二人の師弟魔術師のついた、優しくも悲しい嘘。
そして、求めろ、足掻けと説かれた最後の教えを胸に、リズリアもまた、彼らに応えることを心から誓う。
生きる。
愛した男とともに生き抜き、求め、二人の人生を手に入れる。
彼らのついた嘘ごと信じ、守り抜きたい想いを抱いて。
遠い視線の先に閃光が弾けるのが小さく見え、リズリアはルーファウスの肩にぎゅっとしがみついた。
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