第45話 希望の光線(中)
「……リズ? まさか……」
「──っ、掴んだ!」
小さな手が金属輪を繋ぐ鎖をぎゅっと握りしめる。手枷を覆う光がみるみるうちに彼女の手に向かって流れ、集束し、吸収されていく。
手枷による魔力制御が弱まるのを感じたルーファウスは、彼女の意図を完全に理解した。もはや条件反射のようにそれに応えるべく、己を縛る手枷に向けて魔力を放出する。
その刹那、甲高い音を立てて金属の手枷が粉々に砕け散り、ルーファウスの体内に魔力の巡りが急速に戻ってきた。
「……リズ。お前……」
「~~っ、や、ったぁ! できたぁ!」
非魔術師の少女が、無機物からの魔力の吸収という、途轍もないことを完遂してしまった。彼女は自分がどれほどのことを成し遂げたのか理解せぬままに、両腕を突き上げてぴょんぴょんと無邪気に跳ねている。
その隣では、かつての師、マルディアスが安堵の息をついていた。彼にとってもリズリアがこれを成功させるかは未知数だったはずだ。ルーファウスの知る彼は、そのようなリスクを冒す人間ではなかった。
ましてや、まさか自分を助けるためにこれほどの騒ぎを起こすような人間などでは──。
(っていうか……しまった。手枷を壊してしまった……。リズが頑張っていたから、つい応えてやりたくて……)
罪人として裁きを待つ身の上で、その身を拘束する手枷を破壊するということがどういうことなのか。リズリアは無邪気に喜んでいるが、ルーファウスの心は未だ揺らいでいた。
その心中を察するように、マルディアスがニヤリと口角を吊り上げ、飛び跳ねるリズリアの腰を抱き寄せる。
「? オジサ……んんぅっ!」
「──っ!」
ルーファウスの目の前で、ただ見せつけるためだけであるかのように、マルディアスがリズリアに唇を重ね、スカートの上から彼女の腿をなぞる。
底意地の悪い笑みを湛えた瞳が狼狽するルーファウスを捉え、細められる。
「ちょ……っ、何なのオジサン! 何もルゥの前でしなくても……!」
「何を言っている? お前はもう傍女を解雇され、俺に身請けされた元娼婦の身の上だろう。王子自らが下賜すると言った以上、今のお前は俺のものだ」
「んなっ……! だって、さっきは……」
「なぁ? ルーファウス殿下」
壮年の魔術師の眼光がルーファウスに答えを迫る。
その双眸に、眼前で行われた行為の意味を理解した。
心の底から惚れ込み、求めた愛しい存在が、今後は自分ではない男の手で愛でられる。
彼女を手放すとは、そういうことなのだ。
その未来を突きつけられ、胸の奥底に怒りと悔しさの炎が湧き上がる。
「さっきは魔力譲渡のためにこいつを抱いたが、今後はそうはいかねぇぞ。こいつの身体から霊獣を摘出し、俺は思うままにこいつを抱く」
「んむーっ! むーっ!」
抗議しようとしているリズリアの口元は、マルディアスの手によって塞がれている。彼女は腰を抱きすくめられたまま、じたばたともがくことしかできなくなっていた。
(抱い、た……? マルディアスがリズを……?)
下賜すると言った以上、想定していなかったわけではない。そもそもが、マルディアスが一晩の情欲に買った娼婦がリズリアだったのだ。ルーファウスが結ばれるより先に、二人は関係を持っている。
それでもなお、分かっていてなお、突き付けられた光景に燃え滾る感情が胸を焦がす。
しかし同時に、別の感情も頭をもたげてくる。
(さっきの魔力砲……俺の渡した魔力だけでは到底放てるものではない……。だから二人は交わったのか……俺をここから救い出すために……)
マルディアスがリズリアを抱いたということは、彼の魔力はほとんど残ってはいないはずだ。彼もまた常人より遥かに多い魔力量を持っていたが、先ほどの地下牢を覆う結界ごと穿った魔力砲の威力を鑑みれば、彼が己の魔力のほぼ全てをリズリアへ託したことが窺える。
ルーファウスが拳を握りしめると、ダメ押しとばかりにマルディアスが続けた。
「まぁ、自分の手で手枷を壊した以上、裁きを待つだけの王子は……もういねぇと思うがな」
「マルディアス……」
「流されるがままに無実の罪で投獄され、流されるがままに救われる気か? 魔術師どころか男の風上にも置けねぇぞ、ルーファウス。お前がそんな体たらくのままでいる気なら、俺は遠慮なくこの女を貰い受けるぞ」
もがき続けていたリズリアの抵抗がピタリと止まった。その双眸がぱちぱちと瞬いてマルディアスを見上げ、そしてルーファウスへと向けられる。
彼女の小さな手が、ルーファウスを求めるようにゆっくりと伸ばされた。
向けられた赤茶の瞳に、笑みが浮かんでいる。
その手を反射的に取ったルーファウスは、あっさりと引き寄せられた彼女の身体を抱きとめた。
『……俺は、お前が欲しいよ、リズリア』
初めて彼女を抱いたときの己の言葉が脳裏に蘇る。
腕の中の温もりと、抱き返される背中の感触を噛み締めながら、彼女への想いが確かな意志として固まっていく。
(……そうだ。俺は、リズが欲しい。他には何もいらない。ただリズと一緒に、人として生きていきたい……)
そうして紡がれた宣告の中に、一国の王子としての意志は一欠けらも残されてはいなかった。
「俺の女は返してもらうぞ、マルディアス」




